魔王と執務と呼び出し
それから三日経ち、ギャレマスはようやく公務に復帰した。
彼が寝込んでから、かれこれ二週間ほどの時間が経っていたが、彼の不在中もスウィッシュら側近がその穴を埋めるべく精力的に働いてくれたおかげで、彼の執務机の上に決裁書類が山積みになっている事も無かった。
いや……むしろ、いつもよりも机の上がさっぱりしているような気すらする……。
(これは……余が居ない方が、スムーズに事が進むという事ではないのだろうか……?)
と、自らの存在意義に疑問と危機感を感じつつ、ギャレマスは良く言えば華美、悪く言えば悪趣味な装飾がごてごてと付いた執務椅子に腰をかける。
そして、引き出しから単眼鏡を取り出して右目にかけ、机の上に置かれた報告書類の束に目を通し始めたが……、
「……陛下、お仕事中に申し訳ございません」
ものの二十分も経たぬ内に、執務室の扉が控えめにノックされた。
机に頬杖をつき、眉間に皺を寄せたしかめ面で書類とにらめっこをしていたギャレマスは、ゆっくりと顔を上げると、扉の向こうに声をかける。
「……うむ、構わぬ。入るが良い、スウィッシュよ」
「はい……失礼いたします」
ギャレマスの返事を受けて、木製の扉が開き、複雑な表情を浮かべたスウィッシュが入ってきた。
彼女の顔を見たギャレマスも、ふと表情を曇らせる。
「どうした? 何か、問題でも発生したのか?」
「あ……いいえ。問題という程、深刻な事では無いのですが……」
「……?」
煮え切らないスウィッシュの反応に、ギャレマスは怪訝な表情を浮かべる。
彼は、手に持っていた書類を脇に置き、右目に嵌めた単眼鏡を外して引き出しにしまうと、首を傾げながら尋ねた。
「何があった? 申してみよ」
「あ……はい……」
ギャレマスに促され、スウィッシュはどこかホッとした様子で頷くと、おずおずと口を開く。
「実は……ゲストルームに収容しているあの者が、先ほどから陛下を呼べと騒いでおりまして……」
「ゲストルーム? ……ああ、あやつか」
スウィッシュの報告を聞いたギャレマスは、すぐにある人物の顔を思い浮かべ、小首を傾げた。
「一体どうしたというのだ? わざわざ余を呼びつけようとは……?」
「もちろん、陛下に出て頂くまでもないと思って、あたしが対応しようとしたんですが……」
そこでスウィッシュは言い淀むと、不満げに頬を膨らませた。
「――いくら不満や要望を訊いてやろうとしても、『責任者を呼べ!』の一点張りで埒が明かず……」
「ふむ……」
困り切ったスウィッシュの言葉に、ギャレマスも顎に手を当てて考え込む。
そして、ハッと何かに気付いたように眉を上げると、ポンと手を叩いた。
「ひょっとすると……食事の事かのう?」
「食事……ですか?」
「うむ」
訊き返すスウィッシュに、ギャレマスは大きく頷いてみせる。
「ほれ、先日の爆発事故で調理場が吹き飛んだ件――あれで、食事のグレードが一気に落ちてしまった事を不満に思って、城の主である余に文句を付けようとしておるのではないか?」
「あ……確かに、それはありえるかもしれませんね」
ギャレマスの説明に、スウィッシュも納得したようにうんうんと頷きながら言葉を継いだ。
「そういう事でしたら、わざわざ陛下にご足労頂くまでもありませんね。あたしが、あの者に滔々と言って聞かせてやります」
「いや、良い。余が参ろう」
スウィッシュの言葉に軽く首を振ると、ギャレマスは椅子から腰を浮かした。
それを見たスウィッシュは、慌てて彼の事を押し止める。
「いえ! こんな程度の些事で陛下の御手を煩わせてしまったとあっては、四天王の名折れでございます! ここは、あたしにお任せを!」
「いや、しかし……先方が余を指名しておるのであれば、余が対応した方が収まりやすい――」
「……陛下は、あたしの事を信頼していらっしゃらないのですか? こんな小さな事も満足に対処できないって――」
「あ、い、いや……そうではないが……」
「でしたら! どうぞ、あたしにドーンとお任せ下さい! 大船に乗った気で!」
「……う、うむ。分かった……」
結局、スウィッシュの勢いに押される形で、ギャレマスは頷いた。
スウィッシュは、入ってきた時とは打って変わった顔で、意気揚々と扉を開けると、
「それでは陛下、失礼いたします!」
と、元気よく言い置いて、勢いよく扉を閉めた。
ギャレマスは、廊下に反響する彼女の足音が遠ざかっていくのを聞きながら、口の端に苦笑いを浮かべ、
「やれやれ……」
と呟くと、座り心地の悪い執務椅子に腰をかけ直した。
そして、引き出しから取り出した単眼鏡をかけ直すと、持って回った言い回しで紡がれた書類との格闘に戻るのであった……。
――それから、二十分後。
「申し訳ございません、陛下……」
「……」
すっかりしょげ返ったスウィッシュに先導されながら、ギャレマスは城の離れにあるゲストルームへと急いでいた。
「あたしだけで抑えられると思ったんですけど……。アイツ、あたしの言葉には全然聞く耳を持たなくて、とにかく“陛下を連れてこい”の一点張りで……。あたしが至らないせいで、陛下の執務を邪魔してしまう事になってしまって、本当に申し訳ございません……」
「……まあ、そんなに気に病むな、スウィッシュ」
がっくりと肩を落として、ギャレマスに謝罪の言葉を述べるスウィッシュの後姿に向けて、慌ててフォローの言葉をかける。
「余の執務の事なら、案ずる事は無い。余の不在中にお主らが頑張ってくれていたおかげで、こまごまとした案件はほとんど残っておらなんだからな」
「陛下……」
「それに――こんな風に離れまで歩くのも、病み上がりの身としては、運動代わりに丁度良いわ。……だから、お主が気にする必要は無いのだぞ」
「うぅ……陛下ぁ……」
先を歩きながらギャレマスの言葉を聞いていたスウィッシュが、微かに肩を震わせているように見えたが、ギャレマスはあえて気付かないフリをする。
その後は互いに言葉を交わす事も無く、無言で歩を進め、ようやく二人は目的の部屋の前に立った。
小さく洟を啜り、わざとらしく咳払いをしたスウィッシュが、ドアノッカーで扉を激しく叩く。
「――入るわよっ!」
彼女は強い口調で声をかけると、中からの返事を聞く間もなく、勢いよく扉を開けて、ズカズカと部屋の中に入った。
「お、おい……そんなに乱暴に……」
彼女の剣幕に心中で秘かに気圧されるギャレマスだったが、小さな溜息を吐くと、ローブの皺を伸ばして威儀を調えてから、ゲストルームの中へと足を踏み入れた。
そして、室内をゆっくりと睥睨し、部屋の主に向かって重々しく声をかけようと――
「おい、お主があまりにもしつこく余を呼ぶようなので、来てやったぞ。余に何を言いたい事と――」
――して、思わず目を丸くした。
そして、怪訝な表情を浮かべながら、部屋の中央に置かれた椅子に座る者に向けて、呆れ交じりの声をかける。
「……って、一体何をしておるのだ、お主……?」
「くっ……殺せ!」
と、ゆったりとした白い寝間着姿で、手を背もたれの後ろに回した格好で椅子に座っている金髪の女ハーフエルフは、仄かに顔を赤らめつつ、微かに潤んだ瞳でギャレマスの事を睨みつけながら叫んだ。
「……はぁ?」
一方のギャレマスは、唐突な彼女の言葉を聞いて、思わず目をパチクリさせる。
「あの……別に、余はお主の事を殺す気など無いが――」
「くっ、殺せッ! この私……“伝説の四勇士”ファミィ・ネアルウェーン・カレナリエールは、生きてア~ンな事やこんな事やそんな事をされるくらいなら、純潔を貫いたままの浄い死を選ぶ! さ、さあ、早く私を殺せぇっ!」
「いや……だから、我らはお主にそんな事をする気は無いんだが……」
「わ、私は……死んでも、貴様の醜くおぞましい欲望の下僕になんてならないんだからなぁ~ッ!」
「いや、だから他人の話を聞いてくれぬかっ? “伝説の四勇士”ファミィよっ!」
「そ……それともアレか! 自分は手を下さずに、オークやゴブリンに私を襲わせて、その様を見て楽しむ派か! そういうシュミか、この拗らせヘンタイ性癖親父がッ!」
「だ~か~ら~ッ! 余の話を聞けえええええッ!」
ギャーギャー喚き立てるファミィに業を煮やし、思わず声を荒げるギャレマスであった……。




