魔王と娘と懇願
「ぐ……うぅ……!」
“超加重魔法術”+“超重力”×2による、通常の五十倍近い重力を受けながら、それでも歯を食い縛って必死に立ち上がったギャレマスは、光の鎖に全身を絡め取られてぐったりした少女に向かって、上ずった声で呼びかけた。
「お……お主……スウィッシュの言う通り……本当に……」
「お……」
彼の声に、少女は蒼白の顔に弱々しい微笑みを浮かべる。
「お父……様……会いた……かった……です……」
「さ……サリアあああああッ!」
先ほどまでとは違って険の取れた微笑を一目見て、スウィッシュの言葉の通り、彼女の人格がツカサからサリアに入れ替わっている事を確信したギャレマスは、万感の思いを込めた叫びを上げた。
――だが、
「だ……だが……、今のサリアがサリアに戻っているという事は……」
そう漏らして青ざめた彼は、僅かに声を震わせながら、恐る恐る問いかける。
「よ、よもや……ツカサの人格は――」
「……ううん」
だが、サリアはギャレマスの言葉に対し、静かに首を横に振り、自分の胸を指さした。
「だいじょうぶ……です……。サリアが……入れ替わっただけ……。つーちゃんは……まだ消えてません。今は……この中で眠っています……」
「そ……そうか……それは良かった……!」
サリアの答えを聞いて、高重力に圧し潰されそうになりながらも、安堵の表情を浮かべるギャレマス。
そんな彼の反応を見て、サリアも満足げな笑みを浮かべた――が、すぐにその表情は苦しげに歪む。
「うぅ……っ!」
「――サリアッ!」
彼女の苦しげな声を聞いたギャレマスは、激しく狼狽しながら叫んだ。
「だ、大丈夫か……ッ!」
「お……父様……」
肩を激しく上下させて浅い息を吐きながら、それでも気丈に顔を上げたサリアは、無理矢理に拵えた笑顔をギャレマスに向ける。
「さ……サリアは……もういいんです。今まで充分……幸せでした……から」
「な……! 何を言っておるのだ、サリア……?」
「これ……からは、つーちゃんが……お父様の……娘……です。だから……つーちゃんを……娘として、サリアと同じように……大切にして……あげて……下さい……」
「も……」
ギャレマスは、突然のサリアの言動に当惑しながらも――即座に頷いた。
「もとよりそのつもり! ツカサとお主が同じ魂なら、ツカサも余の娘というのは自然の事だ! 娘を愛し慈しむのは、父親として当然の事であるぞ!」
「お父……様……」
父の力強い言葉に、サリアは嬉しそうに微笑む。
「お父様なら……そう言ってくれると……思ってました……」
「……サリア?」
娘の言動に妙な違和感を覚えたギャレマスは、激しい不安に襲われる。
「何を……言おうとしておるのだ、お主は……?」
「お父……様……」
訊き返すギャレマスの顔を見つめるサリアの目から、大粒の涙がポロポロと零れ落ちた。
そして、嗚咽混じりの震える声で、父に告げる。
「……さよなら」
「なっ……!」
娘の口から紡がれた別離の言葉に、ギャレマスは絶句した。
そんな彼の顔に胸が張り裂けそうになるのを感じながら、サリアは泣き笑いの顔で言葉を継ぐ。
「今まで、サリアは幸せでした……。どうか、これからは……サリアの分までつーちゃんの事をかわいがってあげ――」
「ならぬッ!」
サリアが何を考え実行しようとしているのかを瞬時に悟ったギャレマスは、サリアが声を震わせながら紡ぎかけた別離の言葉を、上ずった絶叫で遮った。
「せ、せっかくこうして再び会えたというのに、また余の前からいなくなろうと言うのか、サリア! ――そのような事、断じて赦さぬ! いつまでも、余と共にあるのだ! ツカサも……お前も!」
「……ッ!」
「だから……強がらず、正直に言え! サリアよ……お前は、どうしたいのだッ?」
「お父様……!」
ギャレマスの力強い説得の言葉に、サリアが苦労して取り繕っていた強がりの仮面は、その顔から瞬く間に剥がれ落ちる。
一転して、幼子のような泣き顔を浮かべたサリアは、心の底から湧き上がる感情を正直に舌に乗せた。
「サリアも……つーちゃんといっしょに、ずっとこの世界で生きたいよ……スーちゃんたちと……お父様と!」
「ああ!」
サリアの言葉に、ギャレマスは大きく頷く。
そんな彼に、聖鎖によって拘束され、動かす事もままならない手を必死に伸ばしたサリアは、あらん限りの声で父に懇願した。
「だから――助けて、お父様ぁっ!」
「任せろ!」
サリアの助けに、ギャレマスは即座に応じる。
「すぐに行く! それまで頑張るのだぞ、サリア!」
そう告げて、彼女を救う為に大きく一歩踏み出そうとしたギャレマス……だったが、
「ぐ……ぐぅッ! お、重い……ッ!」
彼の全身にかかる高重力が、その行動を著しく妨げた。
ギャレマスが踏み出した脚にかかる凄まじい重力が、固い石床に放射状の亀裂を生じさせる。
全身の筋肉に力を入れて、自分を床に磔ようとする高重力に抗ったギャレマスは、血走った目を勇者シュータへ向けた。
「――シュータぁッ! 余にかけている、この忌々しい術を今すぐ解けぇ!」
「……うるせえなぁ! んなモン、こっちはとっくにやってんだよ!」
苛立つ魔王の怒声に、負けじと怒鳴り返したシュータは、忌々しげに言葉を継ぐ。
「でもよ……重力制御術式の三重掛けなんてしちまったからか、どうも上手く解除できなくってよ……。テメエにかけた術を解くには、ちょっと時間がかかりそうなんだわ」
「……は?」
シュータの答えを聞いたギャレマスは、思わず訊き返した。
「そ、それはその……どういう意味だ……?」
「どういう意味って……ほら」
ギャレマスの問いかけに、シュータは少し考え込んでから、ポンと手を叩く。
「例えば……釣りをしてる時に、釣り糸がこんがらがっちまって、なかなか解けなくなる事ってあるじゃん。――それと同じだよ」
「ああ、なるほど。そういう事か……」
分かりやすい喩えに思わず手を叩いたギャレマスだったが、その一秒後、
「……って、はあああああっ?」
ようやく事の厄介さを理解して、素っ頓狂な叫び声を上げた。
「で、では……こ、この鬱陶しい重力負荷が解けるまで、まだ相当の時間がかかるという事では無いのかっ?」
「そうだよ。最初に言っただろうがボケ」
ギャレマスの、答えが分かり切った問いかけに不機嫌面で吐き捨てるように答えるシュータ。
だが、すぐにその口元に不敵な薄笑みを浮かべた彼は、金色に輝く瞳で魔王をじっと見据えながら言った。
「安心しろ。そのまんまの状態でも大丈夫だよ。――今の状態のテメエならな」




