姫と帰還と対魔完滅法術
「く……!」
シュータの“超加重魔法術”によって石床に身体を押さえつけられていたスウィッシュは、うめき声を上げながら何とか上半身を起こした。
彼女は、自分の体を容赦なくかかる通常の十倍近くの重力圧に必死で抗いながら、呪祭拝堂の広大な床全体を覆い尽くす“超加重魔法術”の巨大な魔法陣の中央に顔を向ける。
そして、輝く光の鎖に身体を拘束され、眩く聖なる光にその身を苛まれて荒い息を吐いている赤髪の少女の苦しげな姿を見るや、胸が張り裂けそうな思いに駆られ、思わず我を忘れて叫んだ。
「や……やめて! もうやめて! このままじゃ、あの娘が……消えちゃうッ!」
「だから……何でテメエが止めようとしてるんだよ、氷女……!」
スウィッシュの絶叫に冷ややかな声をぶつけたのは、肩で息を吐いているシュータだった。
さすがの彼でも、『“超加重魔法術”+(“超重力”×2)+(“反重力×2)』というチート能力技の同時発動は負担が大きいらしく、その顔からはいつもの余裕がすっかり消えている。
それでもシュータは、虚勢を張るかのように薄笑みを浮かべ、スウィッシュに言った。
「そもそも、この『サリアとツカサの人格が入れ替わった状況を再現して入れ替え直させる』って状況は、俺と同様、テメエら『クソ魔王とゆかいな仲間たち』も狙ってたんじゃねえのかよ? だったら、テメエらに止める理由は無ぇはずだろうが」
「そ……そうだったけど……でもっ!」
シュータの正論に返す言葉を失うスウィッシュだったが、それでも激しく頭を振りながら叫んだ。
「や、やっぱり……サリア様を取り戻せても、ツカサを犠牲にするのは違うと思うの! 何とか……何とか、今からでもツカサも幸せになれる方法を探せば……!」
「ツカサも幸せになる方法ねえ……」
スウィッシュの言葉を聞いたシュータは、そう言いながら鼻で嗤い飛ばし、逆に訊き返す。
「……で、そんな方法が本当にあるって言い切れるアテはあるのか?」
「そ……それは……」
シュータに問いかけられ、思わず答えに詰まるスウィッシュ。そんな彼女を見て、シュータは皮肉げに唇を歪めてみせた。
「無えんだろ? だったら、俺がやろうとしている事に口出しすんじゃねえよ。……それとも、これから数年、あるいは数十年をかけて、『サリアとツカサを助ける方法』とやらを探そうっていうのか?」
「そ、それは――」
「……氷のお姐ちゃんと……ギャレの字には酷な事じゃが、恐らくそんなに長い間は保たんぞ、お嬢ちゃんの人格は」
そう、暗い声でスウィッシュに言ったのは、ヴァートスだった。
彼は高重力によって石床に張りつけられたままの格好で、静かに言葉を継ぐ。
「ワシも、お嬢ちゃんと同じ異世界転生者じゃから経験済みじゃが……転生者が覚醒したら、それまでこの世界で暮らしていた時の人格は、いずれは前世の人格に飲み込まれて消えてしまうんじゃ」
「じゃ、じゃあ……!」
「……うむ」
青ざめるスウィッシュに、ヴァートスは沈んだ表情で重々しく頷いた。
「今の……前世の人格である転生者のお嬢ちゃんが表に出ている状態のままでは、そう遠くない未来にこの世界の人格である姫のお嬢ちゃんは取り込まれて消えてしまうじゃろうて……。つまり、何年もかけて『ふたりの人格が助かる方法』を探すなんて時間的余裕は無いんじゃ……」
「そ、そんな……」
ヴァートスの言葉を聞いたスウィッシュは、深い失望を覚え、一瞬呆然として、身体の力が抜けてしまう。
「――くぅっ!」
力が抜けてしまった事で、“超加重魔法術”の高重力に抗えなくなったスウィッシュの身体は、元のように石床へへばりついた。
彼女は、圧し掛かる重力に呻きながらも必死で顔を上げ、再び魔法陣の中央に縛りつけられている赤毛の少女を見やる。
「つ……ツカ……」
……と、その時、
「……あれ?」
スウィッシュは、顔を伏せたまま呻いているその姿に、ふと違和感を覚えた。
「ま……さか……?」
胸がざわつくのを感じながら、彼女は目を凝らす。――そして、ある確信に到り、上ずった声で叫んだ。
「さ……サリア……様……ッ?」
「「……えっ?」」
スウィッシュの声を聞いて、ファミィやジェレミィアたちも驚きの表情を浮かべ、聖光に身体を苛まれ続けて荒い息を吐いている少女の方へ一斉に目を向ける。
「う……」
一同の注目を浴びる中、赤毛の少女はゆっくりと蒼白になった顔を上げ――スウィッシュに向かって弱々しく微笑みかけた。
「えへへ……バレちゃった……」
「……ッ!」
「やっぱり……スーちゃんにはウソつけないね……」
「――サリア様あああぁッ!」
そのはにかみ笑いが、自分の見慣れた――そして、ずっと見たくてたまらなかった主……否、親友のそれだと確信したスウィッシュは、思わず声を上ずらせてその名を叫ぶ。
そして、法術を発動し続けているエラルティスに向けて声を荒げた。
「え、エラルティスッ! 今すぐその法術を止めてッ! さ、サリア様が……サリア様が帰ってきたのッ!」
「へ……っ?」
「……ッ!」
急にかけられたスウィッシュの制止の叫びに、動転の声を上げて戸惑うエラルティス。
一方、シュータは、スウィッシュの絶叫を聞くやハッと表情を変え、赤毛の少女に向けて、黄金色に輝かせた目を凝らした。
「――っ!」
そして、“ステータス確認”を発動させた目を通して見た少女のステータス画面の『NAME』欄が、いつの間に『ツカサ・カドヤ』から『サリア・ギャレマス』へ変わっていた事にようやく気付いた。
「……クソっ! 氷女の方に視線を向けていたせいで、気付くのが遅れた……ッ!」
彼は、珍しく上ずった声と共に舌打ちすると、エラルティスに向かって焦燥に満ちた怒声を浴びせる。
「――エラルティスッ! その氷女の言う通りだ! さっさとその法術を解除しろッ!」
「え、ええぇっ?」
スウィッシュに加え、シュータにも法術の停止を強く指示されたエラルティスは、仰天と当惑を隠せぬ様子で目を丸くした。
「ちょ……ほ、法術を止めろって、今更言われても……」
「いいから早くしろ! サリアが消滅しちまう!」
「お願い! 止めてぇ!」
「そ、そんな無茶な……!」
シュータとスウィッシュの絶叫を受けたエラルティスは、困った顔でフルフルと頭を振る。
「も、もう、対魔完滅法術は最後の仕上げの段階ですの! な、なのに、今更止めろなんて言われても無理ですわ! 『気を付けよう 法術は急に止められない』って格言を知りませんのッ?」
「うるせえ! いいから言う通りにしろ! さもないとてめえの息の根ごと止めるぞッ!」
「ひ、ひいぃっ!」
シュータの剣幕に震え上がるエラルティスだったが、泣きそうな顔をしながらブンブンと必死に首を横に振った。
「そ、それでも無理ですわッ! もうこの段階に至っては、法術自体がわらわの手から離れてしまってますの! だから、わらわを殺そうが何しようが、術の完成を妨げる事は絶対に出来ませんッ!」
「……ッ!」
「そ……そんな……」
エラルティスの答えに、シュータは呆然として立ち尽くし、スウィッシュは絶望して涙を零す――。
――その時、
「うおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉ――っ!」
突然、呪祭拝堂に百雷の如き雄叫びが上がった。
「――っ!」
自身にかかる五十倍の重力に抗いながら、雄叫びと共に立ち上がった男に、その場に居た全員の視線が一斉に集まる。
それは、対魔完滅法術の聖なる光に身体を苛まれ続けるツカサ――否、サリアも同じだった。
「お……」
彼女は、今にも消えそうな……それでいて万感が込もった声で彼を呼んだ。
「お……父さ…………ま……ぁ」




