憎悪と羨望と後悔
エラルティスが聖句を紡いだ瞬間、ツカサの身体に巻きついた聖鎖が眩く輝いた。
「くぅ……っ!」
目も眩むような白光を浴びたツカサは、顔を歪めて苦悶の呻きを上げる。
「い……痛い……チクショウ……痛い……熱い……ッ!」
身体と四肢に幾重にも巻きついた聖鎖が放つ浄滅の光は、魔族の身体と精神を容赦なく責め苛み、その激しい痛みに耐えかねたツカサは、何とか苦痛から逃れようと、悲鳴を上げながらジタバタと藻掻いた。
だが、彼女を拘束する聖鎖は、その抵抗で緩むどころか更にきつく固く締まり、放つ光は更に強まる。
そのせいで、先ほどよりも酷くなった痛みに、ツカサは思わず意識を手放しかけた。
「く、くぅぅ……ち、チクショウ……ッ!」
ギュッと唇を噛みしめて、その痛みで何とか気絶するのを免れたツカサだったが、その代償のように酷い眩暈と睡魔に襲われる。
(ま……ずい……これは……あの時と同じ……)
うつ伏せの体勢で聖鎖に拘束されて身じろぎひとつ出来ない中、ツカサは荒い息を吐きながら既視感を感じていた。
(ウチが……サリアと入れ替わった……あの時に、あの娘が感じていたのと……同じ……痛み――!)
あの時の彼女は、痛みに苦しむサリアの姿を魂の裏側で傍観していた立場だった。だが、あの時サリアが感じていた痛みや喪失感や絶望感は、その後の七か月の間にツカサへも“記憶”としてフィードバックされている。
そして、ツカサの中にフィードバックされた“サリアの経験の記憶”は、今自分が経験している感覚が、ふたりの意識が主客逆転したあの時と全く同じである事を告げていた。
……前回は、他ならぬツカサ自身がサリアに力を貸す事で絶体絶命の窮地を脱したが――今回は違う。手助けしてくれる者は、誰も居ない。
それは即ち、聖女の対魔完滅法術によって、ツカサの人格がこの世界から掻き消えるという事――。
(……嫌だ……)
聖光を浴びて五感と意識がみるみる遠のいていく中、彼女の口から声にならない声が漏れた。
(嫌だ……消えたくない……よ)
ツカサは、焦点の定まらない目を巡らし、ひとりの男の姿を探す。
そして、超高重力によって石床に圧しつけられながら、それでも必死に身を起こそうと藻掻くギャレマスの姿を見つけた。
「……めよ、エラ……ス! 娘を……、……の事を消さない……れ! シュータ! お前も……めて……れ!」
彼は、聖女と勇者に向かって必死に叫んでいるようだったが、聖光に侵され弱まったツカサの耳では、その内容は途切れ途切れにしか聴こえない。
だが、その絶叫の断片と表情から、彼が自分の娘の助命をふたりに乞うているらしいとは察せられた。
(……いいなぁ)
ギャレマスの必死の形相を虚ろな瞳で見つめながら、ツカサは無性に寂しさと羨ましさを覚える。
「実のオヤジにあんなに大切に想われててさ……。正直羨ましいよ……サリア」
そう呟いたツカサは、そっと目を瞑り、その目尻から溢れた一粒の涙が頬を伝い落ちた。
(ウチも……お前と同じように愛されたかったよ……あのオヤジにさ……)
――もちろん、“あのオヤジ”と言っても、彼女の前世で父親だった最低の男の事ではない。目の前で必死に娘の事を守ろうと足掻いている今世の父親の事だ。
……最初のうちは、自分がこの世界で生きていく上で邪魔な存在だと思った。娘を取り戻す為に自分を排除しようとしている敵だと考えた。
だから、憎んだ。殺してしまおうとした。
でも……彼は死ななかった。
アヴァーシの廃寺院で不思議な光に包まれて行方不明になっても、シュータを差し向けて始末させようとしても、彼はまた戻ってきた。
――だから、今度こそ彼をこの世界から排除しようと、自ら手を下そうとしたが……それも叶わず、今は自分の方がこの世から消されそうになっている。
皮肉な話だ。
――そして、
時間が経って、徐々にサリア・ギャレマスだった頃の記憶が自分の中に蘇ってくるにつれて、彼女は知る事になる。――父が、イラ・ギャレマスが、いかに娘の事を愛し慈しんでくれていたのかを。
それに気付いた時、まずツカサの胸中を過ぎったのは、サリアに対する嫉妬――その次に感じたのは、強烈な羨望だった。
(もし……、もしウチが覚醒するのがもっと早かったら、オヤジはウチの事をサリアと同じように愛してくれたのかな……?)
虚しいたられば論だったが、そう思わずにはいられなかった。
そして、こうも考えてしまう。
(……あのオヤジだったら、サリアじゃなくなったウチの事も、自分の娘として扱ってくれたのかもしれない……)
そんな事はありえないと、自分でも思う。……けど、そう期待させるものを、サリアの記憶の中に刻まれた父親の姿は感じさせてくれた。
――もしかしたら、ちゃんと話をすれば、分かってくれるのかもしれない。
ちゃんと今までの事を謝って、その上で自分がサリアと同じだとキチンと説明できれば、ギャレマスは自分の事を娘だと認めてくれる……かもしれない。
……でも、もうそれは確かめられない。
自分という存在は、あと数分後には消え去ってしまうのだから。
文字通り、光となって。
「……チクショウ」
ツカサの口から、掠れた声が漏れる。
『いやだよ……まだ消えたくないよ……ウチは、あのオヤジと……みんなと一緒にいたいんだよ……!』
彼女は必死で懇願するが、その声はもう声にならない。
それでも……ぎゅっと目を瞑った彼女は、心の中で希った。
『助けて……! 誰か……助けて! ウチ……まだ消えたくないんだよ! 助けて……っ!』
――その時、
『――うん。分かった―』
突然、声が聞こえた。
聞き慣れた……でも、もう二度と聞く事は無いと思っていた声が。
『え――?』
驚いたツカサは、思わず目を見開いた。
ぼんやりとした視界に、その姿がハッキリと映る。
癖のついた長く赤い髪を風に遊ばせ、まだ幼さの残る顔に柔らかな笑みを湛えた魔族の少女の姿が。
彼女は、自分の事を呆然とした顔で見上げるツカサに手を差し伸べながら、優しい声で言った。
『だから、もう泣かないで……つーちゃん。サリアが助けてあげるから、ね』




