聖女と躊躇と脅迫
「……」
シュータの言葉に一瞬たじろぐそぶりを見せたエラルティスだったが――、
「ふ……」
と、その整った口元に薄笑みを浮かべ、わざとらしく肩を竦めてみせた。
「そうでしたわね。その能力を持っている貴方に、この手の嘘は通じませんでしたわね」
「そういう事だ。分かったら、さっさと――」
「――重ねてお断りしますわ」
「なに……?」
エラルティスの返事を聞いたシュータは、訝しげに眉を顰める。
「断るだと? どういう事だ、テメエ……」
「……ご存知じゃありませんでした? わらわは、気乗りしない事はしない主義ですの」
シュータに問い質されたエラルティスは、その低い声に内心少し気圧されながらも、すまし顔を保って自分の長い翠髪を手櫛で梳いてみせた。
「ほら……さっき、気持ち悪い魔族の死体人形どもに追い回されたり、気持ち悪い魔王の加齢臭を間近で嗅がされたりで、身体がすっかり穢されてしまってますでしょ? だから、一刻も早く熱いお風呂に入って体を清めたいんですの」
「あぁ? だから何だよ? それとこれとは関係無いだろうが」
「関係大アリですわ。こんな体中が気持ち悪い状態で、対魔完滅法術なんてクソ面倒くさい事をする気なんて、とても起きませんのよ。――ですから、申し訳ないんですが、他を当たって下さいまし」
そう言うと、彼女は横を向いてフンと鼻を鳴らす。
「クズ聖女……いえ、エラルティス……」
そんな彼女に、スウィッシュは驚きと感動が混ざった表情を向けた。
「あなた……まさか、ツカサの――サリア様の事を……?」
「ふ、フンッ! 気味の悪い勘ぐりをしないで下さいましッ!」
スウィッシュの声に、エラルティスは慌てて声を荒げた。
「わ、わらわは別に、あの魔族の娘……の中身とやらに同情した訳じゃありませんのよっ? ほ、本当にクソだるいからであって……!」
「あーハイハイ、分かったよ、エラリィ」
彼女の弁解じみた言葉に苦笑を浮かべながら口を挟んだのは、ジェレミィアだった。
「アンタがそう言うなら、そういう事にしといてあげるよ、ふふ……」
「まったく……相変わらずひねくれた奴だな、お前は」
「だーっ! な、何ですの、その生温い眼差しは! こ、これだから、色ボケハーフエルフは……!」
ジェレミィアに続いて呆れ笑いを浮かべたファミィに辟易しながら、聖女は上ずった声で叫ぶ。
「……」
そんな女たちのやり取りを見つめるシュータの漆黒の瞳には、冬の湖のような底冷えする冷たさが宿っていた。
「……はぁ」
と、大きな溜息を吐いた彼は、顔を真っ赤にして仲間たちに喚いているエラルティスに向けて声をかける。
「――別に、無料でやれとは言ってねえ。相応のボーナスは出してやるよ、雇用主として、な」
「……!」
シュータの言葉に、エラルティスの耳がピクリと動いた。
――だが、彼女はすぐに首を左右に振る。
「ふ、フン! せ、聖女をあまり見くびらないで下さいまし! 清く気高いわらわが、端金を積まれた程度で、一度決めた節を曲げるとは思わないで頂きたいですわ!」
「いや……結構簡単にホイホイ曲げてただろうが、テメエ……」
聖女に呆れ声を上げたシュータ。
と、彼は、その目を更に険しくする。
「……なら、しょうがねえなぁ」
「……」
「だったら、俺が今度出す予定の自伝に追加の章を入れて少し分厚くするだけだ。『特別付録・勇者は見た! ~とある聖女の背徳行為~』とか適当な章題を付けてな」
「な……なッ?」
おどけた調子でシュータが口にした言葉に、エラルティスの顔は蒼白になった。
彼女は、明らかに狼狽した様子でヒステリックな声を上げる。
「な、何をほざいてますの、貴方ッ? は……背徳行為だなんて、清い身体のわらわがそんな破廉恥な事をした覚えなんて、これっぽっちも――!」
「まあ、確かにソッチ関係はそうかもしれねえけどよ。……でも、コッチはそうじゃあねえだろ?」
シュータは、取り乱す聖女に向けて、親指と人差し指をくっつけて丸を作って、ニヤリと嘲笑ってみせた。
「俺が知らねえとでも思ったのか? テメエが闇金融都市ジャイアネーブのソーフトン地下銀行にこっそり作った隠し口座の事をよ」
「ひっ……な、なんで、その事を……っ」
エラルティスは、シュータの言葉を聞くや、ブルブルと体を震わせ始める。
そんな彼女の顔を、薄笑みを浮かべたまま見据えながら、シュータは更に追い打ちをかけた。
「くくく……どうなるだろうなぁ。全人間族の尊敬と思慕を集める聖女様が、実は非合法組織を使って巨額脱税する事も厭わないような、とんでもない守銭奴のクソアマだって事がバレたらよぉ?」
「……ッ!」
「まあ――全財産没収の上、国教会から永久追放で済めば御の字ってところか?」
「ひ……」
「……で」
と、シュータは、激しい恐怖で大きく歪むエラルティスの顔を睨み据えながら。静かな声で言う。
「そこら辺を踏まえた上で、もう一度答えろ。――俺の言う通りにするか?」
「……は……はひ……よ、喜んでぇ……」
涙目のエラルティスは、シュータからの再度の問いかけに、先ほどまでのふてぶてしさが嘘のように、従順な態度で頷いた。
そして、聖杖を前に掲げながら、過重力によって石床に張りつけられたツカサに向かってゆっくりと歩を進める。
――と、その時、
「ちょ、ちょっと待ちなさいっ!」
血相を変えたスウィッシュが、金切り声を上げた。
彼女は、なけなしの理力を掻き集めた掌をシュータに向けながら叫ぶ。
「勇者シュータッ、もうやめなさいッ!」
「何で止めるんだよ、氷女」
スウィッシュの声に、シュータは皮肉げに嗤いながら肩を竦めてみせた。
「今俺がツカサにやろうとしてる事は、お前らがやろうとしてた事とまるっきり同じだろうが。なのに、どうして止めるんだよ? 理屈が合ってねーぞ、オイ」
「そ……それは……確かにそうなんだけど……」
シュータの正論に一瞬たじろいだスウィッシュだったが、石床に圧しつけられて必死で藻掻いているツカサの姿をチラリと見て、大きく頭を振る。
「で、でも! もしかしたら、他にもいい方法があるかもしれないし……サリア様を取り戻した上で、この娘も救えるような……」
「……だから、力づくでも止めるってか?」
スウィッシュの事を金色に輝いた目で見据えながら、シュータはせせら笑った。
「そんな鼻クソ程度にしか残ってねえ理力で、この勇者シュータ様に敵うと思ってんのかよ、テメエ?」
「そ、そんなの、やってみなきゃ分からない……」
「分かり切ってんだよ、そんな事は」
シュータは、そう言いながら両手の指を組んでポキポキと鳴らし、スウィッシュの顔を冷たい目で睨みつける。
「……言っておくけど、俺は男女平等主義者だからな。男女平等にボッコボコにするから、どうなってもノークレームノーリターンでヨロシクな」
「――しゅ、シュータ、やめよ! スウィッシュを傷つける事は、余が絶対に許さ――ぐあああっ!」
「そんなザマで、どう許さないって言うんだ? ええ、魔王様よぉ?」
石床に這いつくばったまま怒声を上げたギャレマスを、シュータは更に重ねがけした超重力で黙らせた――が、その顔は不機嫌そうに歪んだ。
「――テメエらもか。ジェレミィア、ファミィ」
「「……」」
シュータの低い声に、彼の圧倒的な実力を誰よりも良く知っているふたりは表情を強張らせるが、それでも構えを解かない。
と、ヴァートスが尻を払いながらゆっくりと立ち上がった。
「やれやれ……真なる“ふぇみにすと”としては、実力差だの理力だのを度外視してでも、お嬢ちゃんたちに加勢せざるを得んわなぁ、この状況。――まあ、最悪でも寿命が数年縮むだけじゃから、大した事は無いわい、ヒョッヒョッヒョッ!」
「……己にとっては大した事だが、大切な者を守護って散るのなら、まあ悪くはないな」
ヴァートスに続いて、アルトゥーも飛刀を構える。
「……ったく」
シュータは、自分に向けて攻撃の構えを見せる彼らの姿を一瞥すると、大きく嘆息した。
「何なんだよ、この展開は。これじゃ、まるで俺が魔王……ラスボスみてえじゃねーかよ」
そうぼやいた彼は、おもむろに膝を折り、石床の上に手をつく。
そして、ウンザリ顔で「ああもう……めんどくせえ」と呟きながら、掌に込めた理力を地面に向けて解き放つ。
次の瞬間――呪祭拝堂の石床全体をすっぽりと覆うほどの巨大な紅い魔法陣が現れ、妖しい光を放った。
「こうすりゃ、もう俺のジャマは出来ねえだろ。――超加重魔法術!」




