姫と好機と窮地
「くっ……そがッ!」
ツカサは、ダーストが何度も突き出す帯電した拳を間一髪のところで避けながら、ギリリと歯噛みする。
彼女は、ダーストの猛攻を前に、先ほどから防戦一方だ。
――それには明確な理由があった。
「ちぃっ……! 前世じゃ空なんて飛んだ事無いんだから、勝手が掴めないってんだよ……うわっ!」
悔しげに毒づいた途端に大きく体勢を崩したツカサは、必死で背中の黒翼を羽搏かせて、何とか墜落を免れる。
……そう、彼女は、激しい空中戦に慣熟していないのだ。
前世では女暴走族“刃瑠騎梨偉”の総長だった“門矢司”といえど、空を飛びながらケンカをした経験などもちろん無い。
とはいえ、今の彼女の脳と身体神経にはサリア・ギャレマスだった頃の経験が既に刷り込まれている為、歩いたり走ったりするのと同じように、黒翼を羽搏かせて飛行する事自体は可能だった。
……だが、サリアには空中で敵と戦闘した経験が乏し……ほとんど皆無だった為、今のツカサにも空中戦のコツが掴めないのである。
それでも、先ほどまでふたりのダーストを相手にして互角に戦えていたのは、ポルンの背に乗っていたからだ。
――だが、今のツカサは、空中戦での頼れる相棒だったポルンを失ってしまっている。そんな彼女が、かつての魔王で、空中戦の経験も実力も豊富なダーストを相手にするのは、些か荷が勝ちすぎる事だった……。
……だからといって、それでやられっぱなしで居られるほど、彼女の気は長くない。
「……ナメんなあっ!」
そう吠えたツカサは、黒翼を大きく羽搏かせてダーストとの距離を一気に取りながら、勢いよく両手を打ち合わせ、右腕を頭上に掲げた。
掌の間で発生した極小の雷を理力で球状に収束させた彼女は、野球のワインドアップモーションよろしく大きく振りかぶる。
「光球雷起呪術――ッ!」
そう高らかに叫びながら、彼女は右手に握った球雷を、接近してくるダーストに向けて思い切り投げつけた。
拳ほどの大きさに収束した球雷は、バチバチという剣呑な音を発しながら、ダーストの顔面目がけて真っ直ぐに飛ぶ――。
だが、みるみる近付く球雷を前にしても、ダーストに焦る様子は見られない。
『……』
彼は、飛行のスピードを緩めぬまま、間合いの内に入った球雷に薄い雷膜で覆った拳を下から上へ打ちつけた。
ダーストの殴打を食らった球雷は、勢いよく上へと打ち上げられ、呪祭拝堂の天井を突き破って消えていく。
――だが、それはツカサの狙い通りだった。
「はっ! そう来ると思ってたよ! なら……コイツならどうだいッ!」
高らかに叫んだ彼女が両手に掲げ持っているのは――極限まで圧縮凝集した巨大な雷撃の戦槌!
そう――今の光球雷起呪術は、撒き餌だったのだ。
ツカサは、ダーストが自分の投げた球雷を拳で弾き飛ばすように仕向け、その隙に新たな雷系呪術を唱えていたのである。
サリア・ギャレマス最大の必殺技を!
「ぶっ潰れちまえ! 究極収束雷撃槌呪術――ッ!」
物騒な言葉を吐きながら、ツカサは掲げ持った雷の戦槌を、ダーストの脳天目がけて力任せに振り下ろした。
……が、
その直前、唐突に吹き下ろした激しい風によって、黒翼を大きく広げた彼女の身体は大きく煽られる。
「うわっ……!」
それによって、ツカサは体の平衡を崩し、ダースト狙って振り下ろした必殺の一撃は大きく逸れてしまった。
「な、何だよ……この風ッ?」
慌てて黒翼を窄めて体勢を持ち直したツカサは、思わぬ邪魔に狼狽しながら天井を見上げる。
すると、天井に開いた大穴が視界に入った。
瞬時に、先ほどダーストが弾き飛ばした球雷が開けた天井の穴から吹き込んだ強風が自分の身体を煽ったのだと気付いたツカサは、顔を顰めて舌打ちする。
「クソがっ! ツイてねえにも程がある……」
実は……これも、彼女が持つ“うんのわるさ864”のステータスの影響によるものなのだが、チート能力“ステータス確認”を持たないツカサはそんな事を知りようもない。
いずれにせよ、絶好の好機を逃したツカサは、一転して絶命の窮地に陥った。
彼女が空中で風に煽られた身体の体勢を立て直している間にも、ダーストは確実に接近する。ツカサを翻弄した強風が彼の身体も襲うが、飛行する事に熟達している彼にとっては、そよ風と変わらない。
やすやすと拳の届く位置までツカサに接近したダーストは、雷を帯びた拳をグッと握り込みながら大きく振りかぶった。
彼が狙うのは、ツカサの左胸――その中に収まった彼女の心臓を、己が拳で直接突き貫くつもりだ。
「くっ……!」
その時になって、ようやくダーストの接近に気付いたツカサは、慌てて『倍返し』を発動しようとするが、そうするにはあまりにも残された時間が足りなかった。
(間に合わない――!)
ツカサは、青白いプラズマ光を放ちながら近付いてくるダーストの拳をなす術もなく見つめながら、どこか懐かしい感覚を思い出す。
(あぁ……この前――前世で死んだ時も、こんな感じだったなぁ……)
そう――チキンレースで失敗して崖から転落した時も、今と同じだった。全てがやけにゆっくりと……まるでスローモーション映像のように見えて……。
(あ……)
その時――不意に、彼女の脳裏にひとりの男の顔が浮かんだ。
優しい光を宿した金色の瞳を細めながら、黒髭を蓄えた口元を綻ばせる――。
(助けて……)
ツカサは、自分に微笑みかける男の幻影に向かって懇願する。
(助けて、オヤ――お父様……!)
その――次の瞬間、
「――――超重力」
――彼女の耳に、聞き覚えのある若い男の声が福音のように届いたのだった。




