魔王と癒撥将と約束
まあ――何はともあれ、
イキビト二号――いや、かつての“霹靂王”ガシオ・ギャレマスの体は、己の子孫である“雷王”イラ・ギャレマス渾身の雷系呪術に打たれ、塵ひとつ残さず焼き払われた。
灰と化したガシオ・ギャレマスの体が、呪祭拝堂の壁や天井のあちこちに開いた大穴から吹き込んできた風に煽られ、千々に舞い散る。
「ふぅ……」
疲れた顔で安堵の息を吐いたギャレマスは、静かに目を閉じると、呪祭拝堂の構内を舞うガシオの遺灰に向かって深く頭を下げた。
「無礼仕った、ガシオ様……。再びあの世へ戻り、安らかにお休みくだされ……」
そう、再び魂に戻った先祖の霊に黙祷を捧げたギャレマスだが――、
「う……ぐぅ……っ!」
急に顔を苦しげに顰めると、脇腹を押さえながら膝をつく。
右脇腹に当てた彼の手が、みるみるうちに真っ赤に染まった。
「……王! 大丈夫か?」
「ぐ、むぅ……」
慌てて駆け寄って来たアルトゥーに身体を支えられながら、ギャレマスは呻き声混じりの荒い息を吐く。
「ご……ゴタゴタがあったせいで、腹の傷の事をすっかり忘れておった……」
「陛下っ! だ、大丈夫ですかっ?」
「魔王……あまり無茶をするな……」
血相を変えて魔王の元に駆け寄って来たスウィッシュとファミィも、彼に心配そうな声をかけた。
「へ、陛下……少し我慢していて下さい! 今すぐ、さっきみたいにあたしが氷系魔術で傷口を――」
「す、スウィッシュ……大丈夫だ」
ギャレマスは、慌てた様子で脇腹の傷に掌を当てようとするスウィッシュの事を制すると、よろよろと上半身を起こし、崩れた祭壇の傍らに佇む男に向けて声をかける。
「……マッツコーよ、これで勝負ありだな。余は、ガシオ様――お主の操るイキビトに勝った。それは即ち、余がお主に勝ったという事だ」
そう言って一旦口を閉じたギャレマスは、鋭い目でマッツコーの顔を見据え、それから再び口を開いた。
「……戦う前に交わした言葉、よもや忘れてはおるまいな?」
「……」
「約束通り、余に治癒をかけてもらうぞ、良いな?」
「……ふふふ」
有無を言わさぬ響きを湛えたギャレマスの言葉に、マッツコーは低い笑い声で応える。
その笑い声を耳にしたスウィッシュは、キッと眉を吊り上げた。
「何を嗤っているんですか、マッツコー様! 早く陛下との約束をお果たし下さい!」
「ふふ……」
「まさか……」
彼女は、相変わらず不気味な笑い声を上げるばかりのマッツコーの様子に、表情を更に険しくさせながら声を荒げる。
「あなた……真誓魔王国四天王のひとりでありながら、自ら口にした約束を反故にしようというつもりですか?」
「ふふふ……」
「笑ってないで答えなさい!」
「――やめろ、氷牙将」
苛立って声を荒げるスウィッシュを制したのは、ギャレマスの背中を支えるアルトゥーだった。
彼は、その瞳をマッツコーの白面に据えると、静かに問いかける。
「……癒撥将、氷牙将の問いに答えろ」
「……」
「まさか……本当に、一度口にした言葉を違えようというのか? ……それはさすがに、四天王というよりも、男としてどうかと――」
「ふふふ! 何を言っているのかしらん、ネクラちゃんは?」
アルトゥーの言葉を遮るように、一際高い嗤い声を上げたマッツコーは、大きく頭を振ってみせた。
「男としてどうかって……そもそもワタシは男じゃないわよん。確かに余計なものが真ん中にぶら下がってるけど、心は立派な女のコよぉん」
(((((あ、まだ付いてたんだ……)))))
その場に居た全員が、マッツコーの言葉に同じ事を考えたが、皆大人の分別を以てスルーする。
そんな皆の反応にもすまし顔で、マッツコーは更に言葉を継いだ。
「まあ、だからって、ワタシはアナタたちの言うような嘘つきじゃないわよん」
「……ならば」
マッツコーの言葉にホッとした表情を浮かべたファミィが、ギャレマスの事を指さす。
「さっきの約束通り、魔王の傷を治癒してくれるという――」
「うふふ、そうじゃないわよん」
「……は?」
ファミィは、薄笑いを浮かべたマッツコーが頭を振るのを見て当惑の声を上げた。
「それは……どういう事だ? 現にお前は今、魔王に負けたじゃないか。なのに、そうじゃないって……?」
「ふふ……カンタンな話よん」
マッツコーは、ファミィの言葉にそう答えると、親指と人差し指をくっつけながら口元に近付ける。
そして、にぃっと口の端を吊り上げながら高らかに叫んだ。
「だって……ワタシはまだ負けてないものっ!」
次の瞬間、彼は丸めた指を口に当て、思い切り指笛を吹く。
“ピィ――ッ!”
だだっ広い呪祭拝堂の堂内に、甲高い指笛の音が響き渡った。
「何だ……?」
「どうして、いきなり指笛を……?」
唐突なマッツコーの行動に、アルトゥーたちは戸惑いを見せる。
その中で、ギャレマスは青い顔をしながらマッツコーに尋ねた。
「……『まだ負けてない』だと? まだ何かあるというのか……?」
「ふふ……その通りよん」
ギャレマスの問いかけに、マッツコーはどこか引き攣った含み笑いを浮かべながら小さく頷く。
「とっておきの奥の手がねん。……もっとも、リスクが大きすぎて、出来れば使わずに済ませたかったんだけどね……背に腹は代えられないわねん」
「リスクだと……?」
「――陛下!」
その時、何かを見止めたスウィッシュが、上ずった声で叫んだ。
彼女は引き攣った顔で、崩壊した祭壇の方を指さす。
「あれは――?」
「なんだ……?」
スウィッシュが指さした先に目を向けたギャレマスも、驚きで目を剥いた。
堆く積もった祭壇の瓦礫が、ムクムクと脈打つように蠢いている……!
「な……何ですの、アレ? キモッ!」
「瓦礫の下に……何かがいる?」
異様な光景に、エラルティスとファミィも、顔を引き攣らせながら後ずさりする。
「……祭壇の中に潜んでいたものが、合図に応じて外に出ようとしているのか……?」
そう呟いたアルトゥーが、抜いた飛刀を指に挟んで身構える。
「――来るぞ、油断するな!」
「「「「――!」」」」
アルトゥーの緊迫した声に、他の者たちも緊張の面持ちを浮かべながら、これから起こる何かに備えた。
そして、警戒する五人が注視する中、瓦礫の山を掻き分けるようにして、鈍い動きで這い出てきたのは――先ほどのイキビト一号・二号と同様に灰色の葬衣を纏う、十二人の死体人形たちだった。
「こ、コイツらは……っ!」
「うふふ……分かったかしらん?」
瓦礫の中から現れた死体人形を見て思わず声を上ずらせるギャレマスを前に、マッツコーは愉悦の表情を浮かべる。
そして彼は、まるで自慢のおもちゃを自慢する子どものように無邪気な笑顔で、高らかに叫んだ。
「このコたちは、治癒を過剰投与したけど、出来が悪くてイキビトちゃんには成り損ねちゃった失敗作たち……名付けて“ダースト”ちゃんズよぉん!」
 




