強者と理と義務
イラ・ギャレマスが統治する魔族の国・真誓魔王国と、人間族の勢力圏と境界付近にあるヴァンゲリンの丘。
この、なだらかな稜線を持つ円錐形の低い丘――その正体は、遥か昔に発生した噴火活動によって出来た、非常に珍しいタイプの低層単成火山だった。
元々はだだっ広い平野だったこの地に、突如として噴出したマグマが積み重なり、活動が安定して、溶岩が冷えて固まった結果、現在のヴァンゲリンの丘が出来上がった。
だが、そのマグマの活動は終息した訳では無く、丘の地下深くでゆっくりとエネルギーを蓄えており、数千年ぶりとなる再噴火の時期は刻々と近付いていたのである。
――だが、その事は、数百年前にこの丘の頂上に砦を築いた人間族はもちろん、彼らよりも種族寿命の長い魔族ですら知る者はいなかった。
とはいえ、本来、ヴァンゲリンの丘が再噴火へ至るまでは、まだ百年ほど時間がかかるはずだった。
だが……二度にわたる舞烙魔雷術、そして、シュータの用いた重力魔法陣の膨大なエネルギーが、ヴァンゲリンの丘の地下深くを刺激し、マグマの活動を著しく促進した結果、ヴァンゲリンの丘は百年ほど早く目を覚まし、激しい噴火活動を始めたのだった――。
◆ ◆ ◆ ◆
「う……うわあああああああああっ!」
真黒な噴煙と共に、真っ赤に輝くマグマが地面から噴き出し、砦の尖塔が大きく傾いたのを見た兵たちが、驚愕と恐怖の叫びを上げた。
逃げようとしても、噴火に伴って起こる激しい地面の揺れによって、立ち上がる事もままならない。
それでも、正に這う這うの体で逃げ惑う兵たちの頭上に、上空へ噴き上がった砂礫と火山灰が容赦なく降り注がんとする。
その時、
「くっ! 上昇風壁呪術ッ!」
『応うべし 風司る精霊王 その手を振りて 風波立てよ!』
ギャレマスとファミィが、風系呪術と風の精霊術を唱えた。
たちまち二陣の上昇風が発生し、兵たちを襲おうとしていた高温の火山灰と噴煙を吹き払う。
「モタモタするでない! 人間族ども、死にたくなければ、今の内に逃げるが良いぞ!」
風系呪術で吹き飛ばし切れなかった大きめの火山礫を黒翼で振り払いながら、ギャレマスは右往左往する人間族兵に向かって怒鳴った。
「そ……そうだ! 心外だけど、その魔王の言う通りだ! 弱っちい人間族は、さっさと逃げなさい! ぶっちゃけ足手纏い!」
魔王と同じく、忙しく風の精霊を使役しつつ、ファミィも叫ぶ。
ふたりの声に促されるように、兵たちは慌てふためきながら避難を開始した。
それを横目で見ながら、ギャレマスは声を張り上げる。
「……おい、シュータ!」
「……んだよ。呼び捨てすんな、クソ魔王!」
呼びかけに、不満げな声で応じたシュータに向け、魔王は更に叫んだ。
「こんな状況では、戦うどころではない! ここはひとつ、一時休戦といくぞ!」
「……ちっ! 魔王如きが勇者様に指図すんじゃねえよと言いたいところだけど……分かったよ!」
さすがのシュータも、熱風と火山礫が吹きすさぶこの状況には辟易した様子で、不承不承ながら頷く。
そして、激しく揺れる地面にへたり込んでいたエラルティスと、剣を振り回して火山礫を弾き飛ばしているジェレミィアに向けて叫んだ。
「おい! お前ら、早く立て! こんなクソ丘、さっさと下りるぞ!」
「は……はい! かしこまりましたわ!」
シュータの呼びかけに、エラルティスは即座に頷いて立ち上がったが、
「ちょ……ちょっと待ってよ、シュータ!」
ジェレミィアは、目を丸くしながら叫び返した。
そして、右手で大剣を振り回しつつ、左手で逃げ惑う兵たちを指さして言う。
「あ……アタシたちが真っ先に逃げちゃったら、へ……兵のみんなはどうするんだよ! みんなが逃げるまでの間、アタシたち“伝説の四勇士”が護ってあげないと――!」
「フン、知らねえよ!」
ジェレミィアの訴えを、シュータはあっさりと切り捨てた。
「ここでの俺たち“伝説の四勇士”の立場は、あくまでも客将だ! あいつらは、別に俺の配下でも何でもねえんだよ! 奴らの身を護るのは、この砦の責任者の役目だよ」
「そ……それはそうだけど……!」
シュータの言葉に、戸惑いながらも口ごもるジェレミィア。
そんなふたりのやり取りを見ていたギャレマスが、思わず口を挟む。
「――おい、シュータ! それは違うぞ!」
「あぁ? 何だよクソ魔王!」
突然声をかけられ、不機嫌そうに声を荒げるシュータに、ギャレマスは諭すように言う。
「力強き者は、立場など関係無く、力無き者を助けねばならぬ義務がある! それが、知恵を持つ種の理というものだ! それが解らぬ者は、野蛮な獣と変わらぬぞ!」
「……うるせえな! 『命あっての物種』って言うじゃねえか! こんなモブどもの為に、命を懸けてたまるかよ!」
ギャレマスの言葉にそう言い捨てると、シュータは三人の仲間に向かって声を張り上げた。
「おい、テメエら! ウダウダしてたら逃げ遅れる! 早く逃げるぞ!」
そう言ったシュータはニヤリと嘲笑うと、ギャレマスの方を指さして言葉を継いだ。
「……安心しな。砦のモブ兵どもは、そこのお偉くてお強い魔王様が、責任もって助けて下さるってよ」
「……」
「――ホラ! 分かったら、さっさと行くぞ!」
「あ、は、はいぃっ!」
「……うん」
シュータが促しの言葉に、エラルティスは即座に、ジェレミィアは躊躇いがちに頷いた。
――だが、
ファミィは、風の精霊を操りながら、静かに首を横に振った。
「……すまない、シュータ様。私は、兵士たちの避難が終わるまで、ここに残ります」
「……あぁ?」
ファミィの答えに、シュータは眉間に皺を寄せる。
「ファミィ……お前、この俺の指示に逆らおうとでも――」
「い、いえ! そ……そういう事では無くて……!」
シュータの低い声に狼狽しながらも、ファミィはキッパリと言った。
「け……決して、魔王の言葉に絆された訳ではありませんが、やはり、“伝説の四勇士”として、兵士よりも先に逃げるのは如何なものかと……その……」
「……分かったよ」
ファミィの顔を睨みつけるように見ながら、シュータはぞんざいに頷くと、くるりと背を向けた。
「勝手にしろ。もう知らね」
「しゅ、シュータ様……?」
「エラルティス! ジェレミィア! 行くぞ!」
「はいッ! 喜んでぇ!」
「う……うん」
それっきり、シュータたち三人は、振り返る事も無く、兵士たちを押し退けながら去っていった。
「……」
一人残り、風の精霊術を唱えるファミィの整った顔立ちを、心配顔でチラ見するギャレマス。
だが、声をかけるのは無粋だと判断すると、傍らのサリアの方に目を向け、言った。
「――サリア!お主も早く逃げよ! この場は、余が食い止める!」
「お断りします、お父様!」
「え――?」
サリアの断固とした返事に、ギャレマスは戸惑いの声を上げた。
そんな父親に、キッと眉を上げたサリアは言う。
「サリアは、真誓魔王国国王イラ・ギャレマスの娘にして、雷撃呪術の使い手であるサリア・ギャレマスです! お父様と同じく、“強き者”として“弱き者”を護る義務がありますの! 逃げる訳には参りません!」
「そ……そうは言っても……」
「お父様は、サリアの事を“弱き者”とお考えなのですか? いつまでもお守が必要な子供だと?」
サリアはそう言うと、ブンブンと激しく首を横に振った。
「とんでもありませんわ! サリアは、もう立派なオトナです! 自分の身と周りの者の身くらい、キチンと護り切ってみせます!」
「だ……だが……!」
「――現に、ついさっき、お父様の危機をお救いしましたよね?」
「う……」
サリアの指摘に、ギャレマスはぐうの音も出なかった。
そんな父の反応を見て、サリアはニッコリと笑ってみせる。
「信用して下さい、お父様。自分の娘の――」
「――危ないッ!」
サリアの言葉を、絶叫に近い声で遮ったのは、ファミィだった。
血相を変えた彼女は、ふたりの頭上を指さす。
「上だ! 大岩が――!」
「「――ッ!」」
ファミィの声に、二人は慌てて頭上を仰ぎ見た。
そこにあったのは、視界を遮るほどの大きな岩塊――!
「……ッ!」
サリアとの口論に気を取られて頭上の警戒を怠った事を、ギャレマスは心の底から後悔しながら、彼は咄嗟にサリアを抱きかかえ、その場に蹲った。
すぐに背中を襲うであろう衝撃と激痛を覚悟し、固く歯を食い縛るギャレマス。
――と、その時、
「――球状氷壁魔術ッ!」
凛とした声が聞こえた次の瞬間、ギャレマスとサリアの周りを囲むように白い氷の壁がドーム状に屹立する。
落ちてきた大岩は、分厚い氷のドームに弾かれ、激しい衝撃音を残してあらぬ方向へ飛んでいった。
「――ご無事ですか、陛下ッ?」
「ッ!」
近付く走駆竜の足音と共にかけられた声に、ギャレマスとサリアは目を見開いて驚き、声を弾ませた。
「――スーちゃん!」
「スウィッシュ!」
「良かった……間に合いましたね!」
白い走駆竜に跨ったスウィッシュは、乱れた蒼髪を掻き上げながら、安堵の笑みを見せたのだった。