炎円蓋とキスと理由
「は――?」
予想だにしなかったヴァートスの申し出に目を点にしたファミィは、一瞬思考が停止する。
だが、すぐに我に返ると、ふたつの原因で顔を真っ赤にしながら眉をきつく吊り上げた。
「な……何を言うかと思えば! だから、今はそんな冗談を言っている場合ではないと――」
「いやぁ……冗談じゃなくて大本気なんじゃが」
ファミィの怒気に首を竦めながら、ヴァートスはおずおずと答える。
そんな彼の反応を見て、少しだけ怒気を和らげたファミィは、胡乱げに首を傾げた。
「……何を言っているんだ、貴方は? 戦闘の真っ最中にキスをせがむ事のどこが本気だと?」
「まあ、時間が許すなら、きっちりとそこらへんの説明をしても良いんじゃが……」
ヴァートスは、そうぼやくように言いながら、自分たちを覆い包んでいる猛炎の円蓋を指さす。
と、次の瞬間、燃え盛る円蓋の外殻に青白い光の塊が轟音を上げながらぶつかり、ジグザグに拡散しながら放射状に広がった。
更に、それと呼応するかのように、轟炎を纏った戦斧の刃先が炎円蓋の側面に深く突き立つ。
「――っ!」
「……こんな感じで、あの空気ひとつ読めん脳筋ハゲと死体人形は、とてもワシが説明し終えるまで待ってくれそうもないからのう」
と、ヴァートスは苦々しげにぼやくと、気づかわしげに炎の円蓋の壁に目を向けた。
「いくらファミィさんの手助けを得てパワーアップしたとはいっても、そう何度もあやつらの攻撃を防げるものではない……良くて、あと数撃が良いところじゃろうて」
そう呟くと、ヴァートスは真剣な顔をしながらファミィに詰め寄る。
「って事で! このワシに熱い接吻を! 早く早く早くッ!」
「お、落ち着けヴァートス様っ!」
目の前まで迫った盛りのついたサルのようなヴァートスの顔を必死で押し退けながら、ファミィは金切り声を上げた。
「い、いきなりキスしろと言われても……困る! というか、私にはアルトゥーという大事な者が……」
「大丈夫じゃ! 今は命にかかわる緊急時! 溺れた者に人工呼吸をするのと同じようなモンじゃと、ネクラの兄ちゃんも理解ってくれるに違いないじゃろうて!」
固辞するファミィを目を血走らせて説得するヴァートスは、鼻息を荒くしながら自分の左頬を指さす。
「別に、口にしろとは言うておらん! この頬っぺたに、そのぷりちーな唇でチュッとしてくれるだけでいいんじゃ! そんな事くらい、日本ならいざ知らず、このナーロッパ風異世界なら日常茶飯事じゃろ?」
「だ、だから……そもそも何で私が貴方にキスしなきゃいけないんだと……」
「じゃから、それを説明するには時間が――」
ヴァートスが、なおも躊躇を見せるファミィに苛立ちながら声を上げようとした瞬間――、
「――きゃあっ!」
「――っ!」
耳を劈くような炸裂音と共に、先ほど以上に眩い雷光が閃き、先ほどよりも勢いが衰えた炎の円蓋に炸裂する。
そして――度重なる攻撃によって限界を超えた炎の円蓋は、四方に走る稲光によって千々に裂けながら、黒煙を残して消え去ったのだった……!
◆ ◆ ◆ ◆
「うおおッ?」
更に追撃を食らわせようと大戦斧を大きく振りかぶったところだったイータツは、イキビト一号の放った舞烙魔雷術によって吹き飛んだ炎の円蓋に驚愕の声を上げた。
「熱ちちちちちっ!」
撚り合わされた雷の直撃を受けて、夥しい黒煙と共に散り散りに弾け飛んだ円蓋の火の粉を全身に浴び、慌てて跳ね上がりながら悲鳴を上げるイータツ。
「え、ええいっ! ワシがすぐ傍に居たのだから、少しは加減して撃たんかッ!」
彼は、無数の火の粉を浴びて火傷した禿頭をこわごわと撫でながら、少し離れた所に突っ立っているイキビト一号に怒号を浴びせる。
だが、イキビト一号は、そんな彼の怒声も聞こえていないかのように、無表情で佇み続ける。
「この……マッツコーの木偶人形めが!」
イータツは、無反応なイキビト一号に毒づくが、心と魂を喪っている逝人は、自分に浴びせられた罵声にも眉ひとつ動かす事も無かった。
そんなイキビト一号の無表情に寒気を感じるイータツだったが、その虚ろな顔を見るうちに、ふと忘れていた違和感を思い出す。
「――そういえば」
そう呟いたイータツは、先ほどスウィッシュによって破壊された祭壇の残骸に目を落とした。
残骸の上には、ズタズタに裂けたイラ・ギャレマスの肖像画が転がっている。
肖像画の、記憶よりも若干イケメンになっているように見えるギャレマスの顔と、灰色の葬衣を纏って佇んでいるイキビト一号の無表情を見比べながら、イータツは眉間に深い皺を寄せた。
「……やはり、主上によく似た顔をしておる。それに――王族にしか操れぬはずの雷系呪術を、ここまで強力に使いこなす男とは――」
そう口中で反芻するように呟いたイータツは、キッと眦を上げ、首を巡らせながら怒鳴った。
「マッツコーッ! まさか、この死体人形は――!」
――と、その時、
『――焔霊 我が手に集いて 巨矢を成し 鋭き鏃で 全て貫けえッ!』
もくもくと上がり続ける黒煙の中から、しわがれた老翁の声による朗々たる詠唱が上がる。
と、次の瞬間、分厚い黒煙を突き破って、巨大な炎の矢が凄まじい勢いで飛び出した。
「なっ……?」
予想外の巨大な炎矢の出現に唖然とするイータツの目の前を通り過ぎた炎巨矢は、立っていたイキビト一号の胸板に深々と突き立ち、そのままの勢いで貫通する。
『……ッ!』
炎の巨矢に胸部を丸ごと抉り抜かれたイキビト一号は、僅かに呻くような声を上げながら仰向けに斃れた。
「な……な、何だと……っ?」
「ヒョッヒョッヒョッ!」
一瞬にして死体人形を屠った巨大な炎の矢に愕然とするイータツの鼓膜を、とぼけた調子の馬鹿笑いが無遠慮に震わせる。
ハッと我に返りながら、その耳障りな笑い声が上がった方に振り返るイータツ。
今の一撃で一気に晴れた黒煙の中から出て来たのは――全身から真っ赤なオーラを噴き出している老エルフの姿だった。
その覇気に溢れた雰囲気は、先ほどまでの彼とは見違えるようで、とても齢三百歳を超える老人のものとは思えない。
イータツは、無意識に後ずさりながら、不敵な薄笑みを浮かべているヴァートスに問いかけた。
「な……何なのだ、貴様は? い、一体、何をして――」
「ヒョッヒョッヒョッ! 驚いたか?」
左頬に微かに口紅の痕を付けたヴァートスは、青ざめるイータツの顔を見ながら、勝ち誇るように胸を張って言葉を継ぐ。
「これが、異世界転生者たるワシが持つチート能力――“濡れ場のクソ力”じゃ!」




