炎と氷と配置転換
イータツの冥炎沸波呪術の行く手を阻んだ、球状氷壁魔術の分厚い氷のドーム。
猛炎の凄まじい熱によって、分厚い氷のドームの表面から大量の水蒸気が濛々と上がるが、術者の理力によって瞬時に再凍結され、融けかけた氷の円蓋は厚みを取り戻す。
それから十数秒後、あれだけ燃え盛っていた冥炎沸波呪術の紅炎は、球状氷壁魔術の冷気によって完全に消し止められた。
そして、炎が消え去ると同時に、球状氷壁魔術の氷円蓋も粉々に砕け散る。
「はあっ! はぁッ! はぁ……! はぁっ……」
轟炎将イータツの必殺の一撃を凌ぎ切ったスウィッシュは、荒い息を吐きながら焼け焦げた石床に膝をついた。
そんな彼女の背中に、命を救われた格好のアルトゥーが上ずった声をかける。
「お、おい、氷牙将! お前、大丈夫なのかッ?」
「う……うん、まあね……」
アルトゥーの気遣いの声に、スウィッシュは弱々しい声で応えた。
「……って言っても、結構ギリギリだけどね。さすがイータツ様……魔王国四天王のひとりなだけあって、物凄い威力……」
「――いや、そうじゃなくて」
真っ赤になった目を細めて、ぎこちない笑みを浮かべたスウィッシュに、アルトゥーは躊躇いがちに頭を振る。
「己が『大丈夫なのか』と訊いたのは……王の事だ」
「……」
アルトゥーの問いかけに、スウィッシュはキュッと下唇を噛んで俯いた。
だが、すぐに顔を上げると、目尻に浮かんだ涙の粒を指で拭き取りながら、気丈に頷いてみせる。
「……大丈夫。――本当は、今も心の中がグッチャグチャで、今にもおかしくなりそうだけど――でも、大丈夫」
そう“大丈夫”の言葉を繰り返した彼女は、キッと表情を引き締めた。
「だって……今は、陛下が亡くなった事を悲しんでいる場合じゃないもの」
キッパリとそう言ったスウィッシュは、鋭い輝きを放つ紫瞳で、鴉羽色の聖礼装を翻しながら次々と雷系呪術を放つツカサを見据える。
「……陛下が亡くなっても――いえ、陛下が亡くなったからこそ、絶対にあたしの力でサリア様の魂を取り返さなきゃ……!」
「……」
「だって……それが、陛下の――あの人の望みなんですもの。生きてるあたしが叶えなきゃ。陛下の四天王として――あの方をお慕いしてた女として……!」
「氷牙将……」
思いつめた表情のスウィッシュの横顔を、心配そうな目で見るアルトゥー。
と、
「あらあらぁ~。おてんばちゃん、ちょっと見ない間に、すっかりオトナの顔になってるじゃないの~」
「――っ!」
お道化た声でスウィッシュの事を茶化す声が上がり、スウィッシュは柳眉を吊り上げて声の主を睨みつける。
「マッツコー……っ!」
「あらぁ、凄い目で睨まれた上に、呼び捨てにされちゃったわん。色気づいただけじゃなくって、遅めの反抗期も発症かしらんねん? うふふ……」
スウィッシュに敵意に満ちた目を向けられたマッツコーは、薄笑みを浮かべながら大袈裟に肩を竦めてみせた。
そんな、殊更にヒトを小馬鹿にするようなマッツコーの態度に、スウィッシュは更に激しく激昂する。
「余裕ぶっていられるのも今のうちよ、このクソオカマ! サリア様の人格を取り戻したら、次はアンタの番! 覚悟しておきなさい、その余裕ぶっこいた厚化粧を涙でぐちゃぐちゃにしてやるからッ!」
「ふふ……楽しみにしておくわん。まあ、そんな機会が訪れる事なんか、金輪際無いでしょうけどねん」
スウィッシュの怒声に、頬を僅かに引き攣らせながら嗤ったマッツコーは、スウィッシュに向けていた目をイータツの方に向けた。
「――おハゲちゃん」
「な、なんだ、マッツコーよ?」
大術の連発で消耗し、戦斧を支えにして荒い息を吐いていたイータツは、マッツコーの呼びかけにビクリと体を震わせながら応える。
そんな彼に冷笑を向けながら、マッツコーは言葉を継いだ。
「こっちの方はもういいわん。アナタは、エルフちゃん二匹と戦ってるイキビト一号ちゃんの方に回ってちょうだい」
「は?」
イータツは、マッツコーの指示に当惑の声を上げる。
「どういう事だ? ワシは、別にこのままでも構わん――」
「アナタさぁ」
マッツコーは、イータツにジト目を向けながら言った。
「ぶっちゃけ、今の攻撃、わざと手を抜いたでしょ?」
「は? そ、そんな事は……な、無いぞっ?」
「すぐバレる嘘吐かないの。そのおヒゲ全部引きちぎるわよ?」
「ひ……っ!」
マッツコーから氷よりもずっと冷たい視線を向けられたイータツは、カエルが潰れたような声を上げながら、みるみる青ざめる。
そんな彼を見下しながら、マッツコーは淡々とした声で続けた。
「私が気付かないとでも思った? さっきの冥炎沸波呪術……二発とも、殺さない程度にわざと出力を抑えたでしょ?」
「う……」
マッツコーの鋭い指摘に、イータツはバツ悪げに目を逸らす。
それを見たマッツコーは、ウンザリ顔で肩を竦めた。
「まったく……呆れたわねぇ。大方、同じ四天王だからって情け心が出たんでしょうけど、そういう事じゃ困るのよねん。今のネクラちゃんたちは、陛下ちゃんやワタシたちの敵なんだから」
「だ、だが……」
「だから、こっちの方はもういいって言ったのん。あっちのエルフちゃんたちなら、心置きなく殺せるでしょ? だから、向こうの方をお願いってコト」
「し、しかし……」
イータツは、なおもマッツコーに反駁する。
「スウィッシュもアルトゥーも、ワシらと同じ四天王だ。こ、コイツがいかに強力でも、苦戦は必至であろう。だから、ワシも一緒に――」
「そう言っといて、ホントはイキビト二号ちゃんにおてんばちゃんたちが殺されちゃわないようにジャマするつもりなんでしょ? 魂胆バレバレなのよん」
「ぐ……」
マッツコーに図星を指されたイータツは、憮然とした表情を浮かべて歯噛みする。
そんな彼に、マッツコーは虫でも払うように手を振った。
「ほら、分かったら、さっさと言う通りにしなさいな。――さもないと」
「さもないと……?」
「先にアナタの息の根を止めてから、アタシの治癒を“過剰投与”して、新しいイキビトちゃんに仕立ててア・ゲ・ル♪」
「ッ!」
マッツコーの言葉を聞いたイータツが、思わず絶句する。
そんな彼の顔を見ながら嗜虐的な薄笑みを浮かべたマッツコーは、ぺろりと舌なめずりしながら言葉を継いだ。
「イキビトちゃんになっちゃえば、素直にアタシの言う事を訊いてくれるようになるし、アナタも無駄な罪悪感を抱く事無くおてんばちゃんたちを灼き殺せるようになるんだから、WIN-WINよねん♪」
 




