魔王と退室と精算
「魔王さ~ん、お待たせ~!」
と、呑気な声を上げながら、ジェレミィアが部屋の扉を開けたのは、それからたっぷりとニ十分も経ってからだった。
「う……うむ」
寝起きのジェレミィアが出かける支度を整える間、逃げるようにして一足先に部屋を出て、ドアの前で待っていたギャレマスは、彼女の声にぎこちなく頷きながら、恐る恐る振り返る。
そして、彼女がいつも通りの簡易鎧とハーフパンツ姿で立っている事に安堵の息を吐くと、手に持っていた牛面のマスクを被った。
「では……いざ参るぞ、魔王城へ!」
「あ、まだ被るんだ、ソレ」
昨日と同じく牛獣人に扮したギャレマスに、ジェレミィアが不思議そうな顔をして尋ねる。
「もう、ここまで来たら、魔王さんが生きてる事を隠す必要なくない?」
「……いや」
ギャレマスは、覆面を被った顔を左右に振った。
「万が一、余の顔を見た民が驚いてパニックになってしまったら面倒だ。街の中では、この格好で移動して、余計な騒ぎが起こらぬようにしたい」
「まあ、それは確かにそうかもねぇ」
ジェレミィアは、魔王の言葉に納得したように頷いたが、すぐに疑わしげな目を向ける。
「……そんな事言って、ホントは『魔王城で正体を明かした方が、登場のインパクトを増す事が出来る』とか考えてたりして」
「そ……そんな事は……まあ、ほんのちょっとだけ……」
「いや、あるんかい」
目を逸らしながらぎこちなく頷いたギャレマスの事が滑稽で、ジェレミィアは思わず噴き出した。
「と、とにかくっ!」
彼女に笑われて、覆面の中の顔を真っ赤に染めたギャレマスは、大股で宿の廊下を歩きながら、殊更に怒ったような声を上げて場を誤魔化す。
「もう既に大遅刻してしまっておるのだ! 今から急いで集合場所へ行かねば……!」
「いやぁ……さすがに、もう集合場所にはいないんじゃないかなぁ、スッチーたち……」
ギャレマスの後に続いて廊下を早足で歩きながら、ジェレミィアは首を傾げた。
「だって、もう、待ち合わせの時間から五時間……六時間? そのくらい過ぎちゃってる訳じゃん。さすがに律儀にアタシたちの事を待ってたりはしないと思うんだよね。……スッチーたちと一緒にエラリィが居るんだったら尚更」
階段を下りながらそう言ったジェレミィアは、苦笑を浮かべる。
「ただでさえ短気な上に、他人に待たされるのが何より嫌いだからさ、あの娘。だから……十中八九、先に魔王城に向かってると思うよ」
「むう……」
ジェレミィアの話を聞きながら、ギャレマスは難しい顔をして唸った。
確かに、彼女の言う事は一理ある。
そうであるならば――自分たちが向かうのは、二週間前に半人族の村で決めておいた待ち合わせ場所ではなく、魔王城ではないだろうか……?
ギャレマスは、どうするべきか考えあぐねながら一階に下りる。
そして、入り口近くに設置されたフロントに目を向けると、異変に気付いた。
「……おや? 宿の者は誰もおらぬのか?」
彼の言葉の通り、通常ならば宿の従業員が常駐しているはずのフロントの中は、無人だった。
訝しみながら、フロントのカウンターに置かれた呼び鈴を鳴らすも、反応は無い。
ならばと、カウンターから身を乗り出して、奥の待機部屋の中を見るが、部屋の中にも人が居る気配は無かった。
宿の者がフロントのどこにも居ない事を察したギャレマスは、困惑した様子で首を傾げる。
「どうしたのだろうか? 余たちがあまりにも長逗留し過ぎたせいで、存在を忘れられてしまったのか?」
「ひょっとしたら、宿の人たち、お部屋の掃除に行っちゃってるのかもね」
「あ、なるほど……」
ギャレマスは、ジェレミィアの言葉に小さく頷いた。
「確かに……普通の客は、とうにチェックアウトしておる時間だからな……。今夜の営業の為の準備にかかっているのやもしれぬな」
……それでも、宿の顔であるフロントまで空にするのは不自然なのだが、そんな事についてあれこれ考える暇は、ギャレマスには無い。
彼は、困惑した様子で辺りを見回す。
「しかし……困ったな。誰も居らぬのでは、宿代の清算も出来ぬ……」
と、その時、爪先立ちになったジェレミィアが、ギャレマスの耳元で小さく囁きかけた。
「いや、むしろチャンスっしょ」
「……は?」
ジェレミィアの言葉を聞いたギャレマスは、その意味を測りかねて、怪訝な声を上げる。
「チャンス? チャンスとは、どういう意味だ?」
「そんなの、決まってるじゃん」
魔王の問いかけに、ジェレミィアはニシシと笑いながら、宿の木扉を指さした。
「今、こっそり出ちゃえば、宿代払わないで済むじゃん。一泊分儲けたよ!」
「そ……それはイカンだろッ!」
ジェレミィアの答えを聞いたギャレマスは、血相を変えて声を荒げる。
「い、一国の魔王ともあろう者に、宿代を踏み倒すなどという恥ずかしい真似が出来るはず無かろうッ!」
「え~、いいじゃん、別に」
毅然と言い放つギャレマスに向かって、ジェレミィアは口を尖らせながらフロントを指さした。
「ほら、この通り、中には誰もいないんだし」
「い、いないから金を払わなくても良いとはならぬだろうが! これは、魔王の沽券に関わる事であってだな……」
「大丈夫だって。好都合な事に、魔王さんは覆面付けてて、宿の人たちに面が割れてる訳でも無いんだしさ。バレりゃしないって」
「いやいやいや! この覆面は、そういうつもりで付けている訳ではないし、バレなきゃいいって問題でもないッ! 大事な事だから二回言うが、これは、“魔王”の沽券に関わる、極めて大切なケジメの話なのだ!」
ギャレマスは、首を千切れんばかりに左右に振りながら、キッパリと言い放つ。
ジェレミィアは、そんな彼を冷ややかな目で見つめた。
「まったく、マジメだなぁ……魔王のクセに」
「い、いや、マジメとかじゃなくて、魔族として当然の事であろうがッ!」
興奮して捲し立てたギャレマスは、肩で息を吐きながら、呆れ声でジェレミィアに言う。
「……というか、お主らは“伝説の四勇士”――人間族らにとっては英雄なのだろう? そのような存在のひとりであるお主が、魔王に宿代の踏み倒しを唆すとは……敵対する魔王である余が言うのもなんだが、正直どうかと思うぞ……」
「えへへ……まあ、それはそれ、これはこれだよぉ」
「……」
あっけらかんと笑うジェレミィアを前に、ギャレマスは呆れて言葉を失うのであった……。




