魔王と覚醒と時計
「んん……ふわああああぁぁぁぁ……」
真誓魔王国国王イラ・ギャレマスは、今現在自分の居城で起こっている騒動など知る由もなく、“女神の膝枕亭”の特別室で呑気なアクビをした。
大きく伸びをしながら、横になっていたソファから身を起こしたギャレマスは、眠い目を擦りながら周囲を見回……そうとして、「いちちち……」と呻く。
「うぅ……イカン。どうやら、ソファなどに寝ていたせいで、首を寝違えてしまったようだ……。というか、どうして余はこんな部屋のソファで寝ておったんだっけ……?」
痛そうに首を押さえたギャレマスは、寝起きでぼんやりした頭で、昨日の事を思い返した。
「ああ、そうそう……普通の宿屋が開いていなかったから、やむを得ずこの逢引宿に泊まったのだったな、ジェレミィアと共に……。それで、若い女子と同じベッドに寝る訳にはいかぬからと、余はこのソファで寝る事にしたのだった……」
そこまで思い出したところで、彼は訝しげに首を捻る。
「……って、そもそも、何故余は、ジェレミィアと共に斯様な逢引宿に泊まる羽目になったんだったか……? ええと、確か…………とても大事な用事があって、それで……って、あぁっ!」
そこでようやく肝心な事を思い出したギャレマスは、目を大きく剥きながらソファから勢いよく立ち上がった。
「そ、そうだ! 今日は余の“大喪の儀”とツカサの“即位の礼”の当日であった! ……確か、スウィッシュたちとの待ち合わせの時刻が――」
そう独り言ちながら、ギャレマスは毛布代わりにかけていた漆黒のローブの隠しをまさぐり、鎖のついた懐中時計を取り出す。
そして、蓋を開き、時計の針を読む魔王だったが――、
「……はて?」
と、訝しげに首を傾げた。
「さ、三時……? だいぶぐっすりと眠っておった気がするのだが、まだ夜が明けておらぬのか?」
と、疑問の声を上げながらローブを羽織ったギャレマスは、暗い部屋の壁に設けられた窓に向かう。
そして、両開きの窓を手前に開き、その外側に取り付けられた分厚い二重の鎧戸を押し開けた――次の瞬間、
「――うおっ! 眩しッ!」
猛烈な光の奔流が、暗闇の中で瞳孔が全開になっていた彼の眼球をいたく刺激した。
更に、逢引宿の前を通る小道を行き交う通行人たちが上げる喧騒の音が、彼の鼓膜を激しく振動させる。
「あ、あれぇ……?」
ギャレマスは、目を細めながら、当惑の声を上げた。
「あ、明るい……? 何でだ? だって、今は午前三……」
『午前三時』と言いかけた彼は、そこでもう一つの可能性に思い当たり、その顔はたちまち青ざめる。
「ひょ……ひょっとして……今は、三時は三時でも、午後の三時――?」
……ひょっとしなくても、まだ南西の空でギラギラと輝いている真夏の太陽を見れば、一目瞭然だ。
「ま、マズいぃッ!」
ようやく自分の大寝坊に気が付いたギャレマスは、激しく狼狽しながらくるりと振り返り、ダブルベッドに向かって叫ぶ。
「じぇ、ジェレミィアッ! 今すぐ起きるのだ! ひ……ヒッジョーにマズいッ!」
「うぅ……ん」
……だが、頭からシーツを被ったジェレミィアは、彼の呼びかけに対して、唸り声をひとつ上げただけだった。
ギャレマスは、そんな彼女に嘆息すると、大股で歩いて窓から離れ、ジェレミィアが眠っているベッドの横に立つ。
そして、シーツを被った彼女の肩を手で揺さぶりながら声をかける。
「ほら、早く起きろ! どうやら、余たちは寝坊してしまったらしい。早く身支度を整えて魔王城へ向かわねば……」
「むにゃむにゃ……」
「さ、さっさと起きろと言うに! このままでは、余たちが魔王城に着く前に、余の“大喪の儀”が終わるどころか、ツカサの“即位の礼”が始まってしまう! とにかく、急いで向かわねば……!」
「大丈夫だよぉ……別にアタシたちが居なくても、スッチーたちだけでもさ……。だって、スッチーもファミっちもエラリィも強いもん……」
「いやいや! 相手はツカサとマッツコー……それに、おそらくイータツもだ! いずれも余の力無くば一筋縄ではいかん相手だぞ! というか、肝心の余が居らねば始まらぬであろうが!」
「うぅん……でも、まだ眠いんだもん……。だから、せめて……あと一時間寝かせてぇ……Zzz……」
「そ、そんなに寝かせられるかッ! というか、普通そこはせいぜい『あと五分』であろうが! ――ええいっ!」
何だかんだと言ってゴネまくるジェレミィアに業を煮やしたギャレマスは、彼女が被っている白いシーツの端を掴むや、力任せに引き剥がした。
「四の五の言わずにさっさと起き……」
と、厳しい叱咤の声を上げ……かけたギャレマスだったが、シーツを取り除いたベッドに横たわるジェレミィアの姿を見た途端、その声は尻すぼみになる。
「……クシュン!」
「な……な、ななななななんて格好をし、しておるのだ、お主はぁッ!」
彼は、寝乱れて色々なところが御開帳しているジェレミィアの艶めかしい肢体から慌てて目を逸らしながら、声を荒げた。
そんな彼にキョトンとした顔を向けたジェレミィアは、呑気にアクビをしながら声をかける。
「ふわぁあ……おはよ、魔王さん」
「お、おはよう……で、ではなくッ!」
「……どったの? そんな赤い顔して。ソファなんかで寝ちゃったから、風邪でもひいちゃった?」
「ち、違うわッ! お、お主の……その格好が……」
「……あ、ホントだ。やべっ」
ジェレミィアは、ようやく自分のあられもない姿に気が付き、苦笑しながら舌を出した。
「いやぁ、ごめんごめん。アタシって寝相が悪いから、ベッドで寝るといっつもこうなっちゃうんだよね。てへぺろ♪」
「て、てへぺろ♪では無いッ! い、いいから早くちゃんと服を着るのだッ!」
ベッドの上の彼女に慌てて背を向けながら、顔を茹でダコのように真っ赤にしたギャレマスは狼狽え声で叫ぶのだった――。
 




