氷牙将とイキビトと応戦
マッツコーとツカサに向かって雄々しく叫んだスウィッシュは、両腕を交差させ、高らかに叫んだ。
「――阿鼻叫喚氷晶魔術ッ!」
彼女の詠唱と共に生じた夥しい数の氷雪弾が、一斉にマッツコーに向かって放たれる。
「……ふふ」
だが、迫り来る阿鼻叫喚氷晶魔術の氷雪弾を前にしても、マッツコーの顔に浮かんだ薄笑いは消えなかった。
彼は、パチンと指を鳴らし、まるで料理店でデザートを頼む時のような気安い口調で声をかける。
「お願い、イキビト一号ちゃん」
『――ダ・メダコ・リャー……』
彼の言葉に応えるように、抑揚の無い暗い声が上がった次の瞬間、凄まじい音と共に呪祭拝堂の天井を突き破って、帯状の雷がマッツコーとスウィッシュの間に落ちた。
その雷――『降雷防壁呪術』によって創られた障壁によって、スウィッシュの放った氷雪弾は全て防がれ、儚く溶け消えた。
「きゃ……っ!」
スウィッシュは、目前に落ちた降雷防壁呪術の放つあまりの眩しさと轟音に思わず身を竦め、目を固く瞑ってしまう。
そんな彼女の頭上に、破壊された天井の巨大な破片が――!
「スウィッシュ!」
落下してくる天井の破片に気付いたファミィが、スウィッシュに叫びながら、早口で精霊術の霊句を紡ぐ。
『猛るべし! 風司る精霊王! 山崩す風嵐と成さんッ!』
彼女が霊句を唱え終わると同時に発生した竜巻が、降ってくる天井の破片を四方八方へと弾き飛ばした。
「大丈夫か?」
「あ、ありがとう、ファミィ。助かったわ……」
スウィッシュは、雷壁の白光によって一時的に麻痺していた目を盛んに瞬かせながら、ファミィに礼を言う。
と、その時、
「ふたりとも、気を緩めるのは早いぞい! 右後ろじゃ!」
「「ッ!」」
珍しく緊迫した響きを湛えたヴァートスの声に、ファミィとスウィッシュはハッとして右後方に目を向けた。
そこには、ふたりが天井からの落下物に気を取られている隙に、音も無く接近していた黒髪の男の姿が――!
彼は、無言で拳を振り上げ、その拳がすぐに白い雷光に包まれ帯電し始める。
「くっ! 硬化氷板創成魔術ッ!」
不意を衝かれたものの、先ほどと同じように帯電した拳撃での攻撃が来ることを瞬時に読んだスウィッシュは、咄嗟に硬化氷板創成魔術で最硬の氷の盾を作って攻撃を防ごうとした。
……だが、
「きゃあっ!」
雷呪術で強化された拳撃に耐えうる強度の氷板を作るには、あまりにも時間が足りなかった。
出来かけの氷板は、男が振り下ろした拳によってあっさりと打ち砕かれる。
男は、無防備になったスウィッシュとファミィに向け、更に拳を振り下ろそうとした――が、
『火の精霊 我が求めに 応じ給え 群れ集まりて 小さき陽と成れぃ!』
しわがれた老人の声と共に生じた巨大な火球が、男の身体に炸裂した。
「……ッ!」
火球をまともに食らった男は一瞬大きく仰け反るが、すぐに何事も無かったかのように体勢を立て直す。
だが、その間、スウィッシュに加えられようとしていた攻撃の手は一瞬止まった。
「ファミィさん! お嬢ちゃんを連れて、一旦退くんじゃ!」
「……ああ!」
すかさず上がったヴァートスの声の意図を瞬時に理解したファミィは、呆然としているスウィッシュの服の襟首を掴んで石床を蹴り、少し離れたところに立っていたヴァートスの元まで退がった。
「――すまない、ヴァートス様。助かった! あのままだったら、私もスウィッシュも危なかった」
「ヒョッヒョッヒョッ! なんのなんの!」
ファミィの感謝の言葉に、ヴァートスは上機嫌に笑う。
「他ならぬまいはにー……と、ついでに氷のお姐ちゃんのピンチじゃったからのう。お礼はほっぺたに熱いチューでええぞ。ほれ、ココにブチューッと!」
「また、そういう事を……。そういう冗談を言っている状況じゃないだろう、今は……」
嬉々とした顔で自分の頬を指さすヴァートスに、思わず呆れ声を上げるファミィ。
一方のスウィッシュは、本気で嫌な顔をしながら、千切れんばかりに首を左右に振った。
「だ、ダメですッ! あ、あたしには、もう心に決めた男性がいますのでッ! た、たとえお礼だとしても、口じゃなくてほっぺたであっても、チューは断固としてお断りします! ごめんなさい!」
「あ、いや……お姐ちゃんの方には、別にチューとか求めとらんのじゃが……」
頑なに拒絶するスウィッシュに辟易しながら、ヴァートスは苦笑いを浮かべる。
と、
「ふたりとも……だから、そんなボケツッコミをしていられる状況じゃないって言ってるだろうが……」
そうふたりに呆れ混じりの声をかけながら、ファミィは油断の無い瞳を前方に向けた。
彼女の視線の先には、相変わらず玉座に深く腰掛けているツカサと、その横に悠然と立っている長身のマッツコー、そして、彼らを守るように前方で佇む黒髪の男がいる。
黒髪の男の葬衣には、先ほど食らったヴァートスの火球から炎が燃え移っていた。だが、先ほどと同様、男は炎に身を焔かれながらも、些かの痛痒も感じてはいないようだった。
自分の身体で燃え上がる炎に照らし出される男の無感動な表情に慄然としながら、ファミィは声を潜めてヴァートスに尋ねる。
「……あれが、さっきの道中で貴方が話していた――?」
「……うむ」
ファミィの問いかけに表情を引き締めたヴァートスが、小さく頷いた。
「あのオカマが、死んだ先々代魔王の亡骸を使って作り上げた死体人形――アイツの言葉で言うところの“イキビト一号”じゃ」
「……信じらんない」
さっきまでとは打って変わった硬い表情で、微かに声を震わせたのは、スウィッシュだった。その声には、少しの畏怖と恐怖と――たくさんの憤怒が籠もっている。
「ヴァートス様の話を聞いた時には、正直まだ信じられなかったけど……。本当にあの実験を成功させた上に……実用化までしているだなんて……!」
彼女は、押し殺した声でそう呟くと、激しい怒りで爛々と輝かせた紫瞳でマッツコーを睨みつけ、鋭い声で叫んだ。
「マッツコー様……死者を蘇らせる術は、あなたが重謹慎に処されたあの事件の砌に、陛下が全て禁術と定めたはずです! なのに……その禁を破った上、よりにもよって先々代の魔王陛下であらせられるサトーシュ様の亡骸を使うなんて……! 死者に対しても王家に対しても不敬極まる事を、あなたは……!」
「うふふ……不敬ねぇ」
スウィッシュの糾弾にも、マッツコーは動じる様子も無く、皮肉げに口元を歪めてみせる。
「確かにそうかもだけど……それは、今のアナタにだけは言われたくないわねぇん」
「何ですって……?」
「だって、今のおてんばちゃんたちも、現在進行形で不敬を働いてるじゃない? もうじき国王になる陛下ちゃんと――」
訝しげに訊き返すスウィッシュに微嘲笑みかけたマッツコーは、ゆらりと腕を上げて、壮麗な祭壇を指さした。
「あの祭壇で安らかに眠っている雷王ちゃんに対して……ね」




