刃と球雷とたまたま
――仲村秀大は侮っていた。
ゲームキャラクターのステータス欄の片隅にある『運』というパラメータの事を。
日本のとある地方都市の病院で、ごくごく平凡なサラリーマンの一人っ子として生を受けた秀大。
彼は、家族の前では尊大で不遜な態度を取るが、一歩家の外に出ると、根暗で自己評価が低く口下手で引っ込み思案という典型的な陰キャへと変貌する、絵に描いたような内弁慶へと成長した。
そんな性格だったから、秀大は中学でも高校でも部活に入る事は無く、終業のチャイムが鳴るとすぐに下校し、帰宅するや挨拶もそこそこに自室に直行し、テレビを点けてゲーム機のコントローラを握り締めるという日々を過ごしていた。
彼が好んでプレイしていたのは、剣と魔法で悪の魔王を討伐する王道ストーリーのRPGや、テレビ放送されていたロボットたちが一堂に集まり地球を救うシミュレーションRPGや、デフォルメされたプロ野球選手を操作してペナントレースを勝ち抜いたり、ストーリー形式のシナリオをクリアして、能力の高いオリジナル選手を作成するモードが搭載された野球ゲームなどだった。
大抵のゲームには、『運』というパラメータ要素がある。『運』は、主にドロップするアイテムのレア排出率や、攻撃時の命中率や被弾率、能力アップイベントの成功率などに影響を与えるパラメータである。
だが秀大は、『運』という要素を、さほど重要視していなかった。
敵が落とすアイテムがレアでなかったとしても、攻略自体に支障はなかったし、ボス戦では『必中』『完全回避』系のスキルや魔法を予めかけておくようにしていた。
野球ゲームでも、育成モードでの能力アップイベントで『科学ノ発展ニ犠牲ハツキモノデース』という不吉なメッセージが出たら、その瞬間にリセットしてはじめからやり直したし、そもそも、そんな博打の様なイベントにはめったに手を出さなかった。
だから――秀大は、『運』の事を、ゲームの攻略要素として重視するには値しない、あくまで補助的なパラメータだと認識していた。
『いくら運が高かろうが、攻撃を当てちまえば、どうという事は無い』
――今この場で対峙しているサリアを前にした時にも、過去にプレイしていたゲームから得た数々の成功体験によって、そう思い込んでいたのが、“伝説の四勇士”シュータ・ナカムラの油断であり、誤算であった。
◆ ◆ ◆ ◆
「その薄っぺらい誇りとやらで凌いでみせな! この俺が放つ攻撃をなぁッ!」
そう絶叫したシュータが放った十数本の刃が、立ち尽くすサリアを串刺しにせんと、甲高い風切り音を立てながら飛ぶ。
銀色に光る刃が、棒立ちのサリアの身体に突き立たんとする寸前――、
「――くっ! 真空風波呪術ッ!」
超々重力に圧し潰された状態から、火事場の馬鹿力で身を起こしたギャレマスが放った真空の刃が、間一髪のところでその進路を妨げた。
ガガガガガギィンッ!
「チッ! 邪魔すんなよ、クソ魔王!」
鋭い金属音を残して、自らが放った銀の刃たちがサリアの身体から逸れ、真っ直ぐ上空へと飛んでいったのを見たシュータは、口元を歪めて舌打ちした。
彼は、攻撃を妨げたギャレマスの顔をギロリと睨むと、人差し指と中指を伸ばした腕を魔王に向ける。
「分かったよ! だったら、もう一回超重力を重ね掛けしてやるよ! さすがに、超重力三回分を食らえば、圧し潰されて手足の一本や二本は折れるだろうけど、カエルじゃねえんだから、そのくらいじゃ死にゃ――!」
「――舞烙魔雷術!」
「――ッ!」
だが、彼の攻撃は、サリアが唱えた雷撃呪術によって遮られた。
「クソがッ!」
毒づきながら、慌ててその場から飛び退るシュータ。一瞬後、縒り合された稲妻の束が、彼の立っていた地面を深く穿つ。
稲妻に打たれ、まるで爆発したかのように巻き上がる砂礫の直撃を、咄嗟に掲げたマントで防ぎながら、シュータは思わず歯ぎしりした。
「チッ! あの天然ボケ娘、ゴミステータスのクセに、派手な呪術を打ちやがって……!」
「隙ありですっ!」
「ッ!」
近くから聞こえた女の声に、シュータはハッとして、声のした方に顔を向ける。
濛々と立ち込める土煙の向こう側で、右腕を真っ直ぐ頭上に挙げたサリアの姿が見えた。
「チッ!」
彼女の姿を視認したシュータは舌打ちすると、急いで指を動かし始めた。彼の動かした軌跡に沿って白い光が現れ、それは円環を成す。
だが、物質創成魔法陣の完成までは、もう少し時間がかかる――!
一方のサリアは、攻撃の予備動作をほぼ取り終えていた。
彼女は、頭上に掲げた右腕の人差し指を天に向けて伸ばし、その指先に理力を集中させる。
次の瞬間、上空に垂れ込めた黒雲から飛び出した一条の雷光が、まるで意志を持つかのように、サリアの指先に落ちた。
――だが、雷の直撃を受けたはずのサリアは無事だった。
それどころか、落ちてきた雷を伸ばした指先に収束させ、拳大の球雷と変えた彼女は、球雷の青白い光に照らし出された顔に微笑を浮かべる。
「勇者シュータ! 痺れるお覚悟は宜しいですか?」
「な――ッ!」
「行きます! 光球雷起呪術――ッ!」
そう叫ぶや、彼女は胸を張るように身体を捻ると、球雷を宿した右腕を、シュータ目がけて振り下ろさんとする。
――その時、突然風向きが変わった。
「う……うひゃっ……!」
舞い上がっていた土埃がサリアの方へと流れ、その拍子に、細かな粒が彼女の鼻の中に入り込んで、絶妙な刺激で鼻腔をくすぐる。
「ふぇっ……ふぇっ、ふぇぇっ……」
急に鼻がムズムズし始めたサリアだったが、もう既に光球雷起呪術の発動動作に入っている。
彼女は、何とか我慢しようとしたが……その努力は報われなかった。
「ふぇ……ふぇっくちゅんっ!」
耐え切れず、サリアはかわいらしい声をあげて盛大にクシャミをする。
その拍子に、投擲動作中だった彼女の指先から球雷がすっぽ抜け――バチバチと乾いた音を立てながら、シュータの頭のはるか上を通り過ぎていった……。
「……」
上空を振り仰いで、青白い光を放ちながらどんどん離れていく球雷の行方を見送っていたシュータだったが、
「……くく」
やがて、耐え切れずに笑い出した。
「くくく……はははははははっ! 正直、ほんの少しだけビビったぜ! フタを開ければ、とんだ大暴投だったけどなぁ!」
シュータはそう嘲笑しながら、一瞬遅れて創成された金属製の楯を無造作に放り投げる。
そして、まだクシャミが止まらない様子のサリアに冷笑を向けると、ぺろりと舌なめずりした。
「さて……と。次は俺のターンだな。覚悟は良いかよ、天然ドジっ子お姫様……!」
◆ ◆ ◆ ◆
――その頃、はるか上空では、ちょっとした奇跡が起こっていた。
上空に大きく逸れた球雷は、そのままなら飛び続けるうちに放電していって、やがて消滅する運命だったが、たまたまその進行方向に、先ほどギャレマスの真空風波呪術で弾き飛ばされたシュータの刃のひとつが飛んでいた。
球雷と刃は、たまたま空中で衝突した。
そして、たまたまシュータの刃が導電性の高い銀製だった為に、球雷は刃に帯電した。
更に、たまたまこの日に限って付近を滑空していた古龍の進行コースが、球雷とひとつになり、より一層天高く飛び続ける刃の飛ぶ方向とたまたま重なった。
そして、たまたま刃は古龍と衝突し、たまたま古龍の鱗の隙間に突き立つ。そこはたまたま古龍の弱点だった。
刃が帯びていた電流が、たまたま全身を流れ、古龍は意識を失った。
もちろん、気を失った古龍は飛行能力を喪失し、地上目がけて真っ逆さまに落下していく……。
そして、落下した先は――、
たまたまヴァンゲリンの丘に築かれたヴァンゲリン砦の主郭。
そこにたまたま立っていた勇者シュータの頭の上だった。