聖女と説得と条件
「なるほどねぇ……」
スウィッシュとファミィから、彼女たちが自分の力を欲している理由を聞き終えたエラルティスは、両手両足を縛られたままゆっくりと頷いた。
「要するに……あのゆるふわ娘が前世の人格の不良娘に成り変わったきっかけの“対魔完滅法術”を再びかけてやれば、そのショックで元に戻せる――そう考えている訳ですわね」
「そういう事」
エラルティスの言葉に、スウィッシュはこくんと頷き返す。
それを見た聖女は、手を縛られたまま、小馬鹿にするように肩を竦めてみせた。
「悔しいけど、あなたの“対魔……ええと……対魔……“対魔酸欠法術”を――」
「“対魔完滅法術”ですわッ!」
エラルティスは、スウィッシュの言い間違いを鋭い声で指摘し、渋い顔をする。
「まったく、どこぞの痴呆大魔王と同じようなボケを……! まったく、何ですの? 魔族はどいつもこいつも、ロクに法術の名称も覚えられないようなトリ頭ばかりですのッ?」
「な、何よ! そんな小難しい格式ばった言葉を法術の名前にする方が悪いのよ! 覚えづらいったらありゃしない!」
エラルティスから罵声を浴びせられたスウィッシュは、こめかみに青筋を浮かべながら言い返した。
「魔族の魔術や呪術を見習いなさいよ! 言いやすさが段違いよ!」
「はぁっ? あの、猿の遠吠えだか何だか分からないみょうちきりんな発音の羅列の方が、ずっと分かりづらいし覚えにくいですわよ!」
「魔族に伝わる聖古代語を猿の遠吠え呼ばわりすんなコノヤローッ!」
「おい、ふたりともやめろ!」
激昂して声を荒げるふたりを、ファミィが慌てて窘める。
「そんな……たかが術の名前でいがみ合ってもしょうがないだろう! ふたりとも落ち着いて――」
「「詠唱がダラダラ長い意識高い系な精霊術使いにたかがとか言われたくないっ!」」
「ンだとぉ!」
宥めようとしたファミィだが、自分の遣う精霊術をふたりからディスられるや、憤怒の形相を浮かべて怒声を上げた。
「お前ら! 古来からエルフ族に伝わる精霊術の事を、そんな風に思っていたのかっ? ええい、こうなったら、どの術が一番か、白黒はっきりつけようじゃあないかッ!」
「望むところですわ! 法術を操る人間族こそが、世界最強の種族だと証明してみせますわッ!」
「ハッ! 寿命があたしたちの三分の一しか無い人間族が世界最強の種族ですってぇ? 神殿の奥で引き籠ってたせいで、もう若年性痴呆が始まってんじゃないの、アナタ?」
「フンっ! 偉そうな口を叩けるのも今の内ですわよ! わらわの“聖女”のギフトで、今度こそ跡形も無く消してやりますわ、魔族娘!」
「……いい加減にしろ、三人とも」
すっかり頭に血が上って、口角泡を飛ばし合う三人を、呆れ顔のアルトゥーが制止する。
「どの術がどうのとか、話が横に逸れ過ぎだ。今は、そんな話をしていた訳では無いだろう。いいから本題に戻れ、氷牙将」
「……ゴメン」
アルトゥーの声に、スウィッシュは憮然とした顔で謝り、ファミィとエラルティスも、気まずげな顔をしながら元の場所に座り直した。
「ええと……それで、どこまで喋ったんだっけ……」
「……わらわの対魔完滅法術で、あのゆるふわ娘を元に戻すってところまでですわ」
「あぁ……そうだったわね」
スウィッシュは、エラルティスの声に頷くと、彼女の顔を紫瞳で見据える。
「で……どうかしら? 協力してもらえるかしら?」
「……」
エラルティスは、スウィッシュの目をじっと見つめ返し――わざとらしく頭を振ってみせた。
「もちろん――お断りですわ。わらわはずっと言ってますでしょう? 気高い聖女の誇りに賭けて、神に疎まれし穢れた種族である魔族に力を貸すなんて、たとえ天地がひっくり返ってもありえませんわ」
「……そういう割りに、半年前のエルフ族解放作戦の際には、力を貸してくれたじゃないか」
「……ふん」
アルトゥーの言葉に、エラルティスは鼻で嗤ってみせる。
「あの時は、あくまで“伝説の四勇士”のリーダーであるシュータ殿の命に従って、同じ仲間のファミィさんの手助けをしたまでですわ。わらわ自身が魔族と直接手を組んだ覚えなど、断じてありません」
「……その状況で、よくもそう強気でいられるわね」
スウィッシュは、無情な拒否に表情を険しくさせながら、両手両足を縛られたエラルティスに鋭い視線を向けた。
「さっきも言ったけど、あなたに拒否権なんて無いのよ。もし断ったら――」
「殺しますか? このわらわを?」
そう、スウィッシュの言葉に挑発するように訊き返したエラルティスは、皮肉げに嗤ってみせる。
「……そもそも、出来ますの、貴女たちに?」
「……」
「できませんわよねぇ。なにせ、貴女たちの話が本当なら、わらわが持つ“聖女”の天啓が無ければ、あのゆるふわ娘を元に戻す事が永久に出来なくなるんですから。言う事を聞かないからって、わらわの事を殺してしまったら、自分で可能性の芽を摘むことになりますものねぇ~」
「……」
エラルティスの勝ち誇った声に、スウィッシュたちは憮然とした顔をして押し黙る。その反応が、聖女の言葉が正しい事を如実に物語っていた。
そんな彼女たちの反応を見て、エラルティスはますます愉悦で頬を緩める。
「まあ、わらわ以外に“対魔完滅法術”を操れる聖女が現れたら、話は別ですけどねぇ。でも、あと数日の間で、この広い世界の中から、わらわ以外の聖女を見つけられますかねぇ?」
そう憎々しげに言い放つと、彼女はこれ以上三人と話す気は無いとでも言いたげに、ぷいっと首を背けた。
そんな彼女を前に、渋い顔で黙りこくるファミィとアルトゥー。
……だが、残るひとりは、そっぽを向いたエラルティスにニッコリと微笑みかけた。
「まあ……そう言うとは思ってたけどね」
そう言うと、彼女は傍らに置いてあった背嚢の中に手を突っ込み、赤い宝石があしらわれた革製のチョーカーを取り出した。
そして、エラルティスに見せつけるようにチョーカーを掲げながら言う。
「もちろん、タダでとは言わないわよ。協力してくれたら、相応のお礼はするつもりよ」
「……まさか、そのぼろっちいチョーカーが、協力の“お礼”だって言うつもりじゃないですわよね? ……って、あっ、ちょっと! 汚い手で触らないで下さいましッ!」
露骨に嫌悪の表情を浮かべながら抗議の声を上げるエラルティスにも構わず、スウィッシュは無理やり彼女の首にチョーカーを巻きつけ始めた。
そして、付け終わったチョーカーの位置を調整して、満足げに微笑む。
「はい、出来ました!」
「出来ましたじゃありませんわよ! 何勝手に付けてますのッ? さっさと外して下さいな、こんなだっさいチョーカーなんて!」
「ダサいなんて言わないでよ。これでも、魔王国に代々伝わる由緒正しい秘宝なのよ?」
怒声を上げるエラルティスを宥めるように、スウィッシュが言った。
その言葉を聞いた聖女の眉がピクリと動く。
「……由緒正しい? って事は、このダサ……趣があるチョーカーは、結構なお値打ちものだという事ですか?」
「そうよ。これひとつで、邸宅が一軒買えるくらいはね」
「……!」
「これは、“お礼”の前払い分よ。首尾よくサリア様を元に戻す事が出来たら、もっとたくさんのお礼を用意するわ。……どうかしら、これで協力してくれない?」
「っ!」
スウィッシュの答えを聞いたエラルティスは、一瞬目を輝かせたが、すぐにぶるぶると激しく首を左右に振った。
「だ……騙されませんわよ! わらわが、そんな見え見えの嘘に引っかかるとでも思いましたのッ? さあ、この小汚いチョーカー、さっさと外して下さいなッ!」
「……外す、ねえ」
エラルティスの要求に、スウィッシュは軽く首を横に振り、苦笑いを浮かべながら両手を打ち合わせる。
「――ゴメン! そのチョーカー、実は呪いがかかってて、王家の方じゃないと外せないの!」
「の、呪いぃっ?」
スウィッシュの答えを聞いたエラルティスは、飛び出さんばかりに目を見開き、両手両足を縛られたまま、激しく暴れ始めた。
「ふ……ふざけるんじゃありませんわよッ! 何、わらわに呪いのアイテムなんて付けてくれちゃってますのぉ! 外して! 今すぐに外しなさいッ!」
「だから、外せないんだって」
スウィッシュは、必死の形相で捲し立てる聖女の事をニヤニヤと笑いながら、わざとらしく頭を振ってみせる。
そして、何とか縛られた手でチョーカーを外そうと苦闘するエラルティスに言った。
「あ、無理矢理外そうとするのはやめておいた方がいいわよ。それ、呪いがかかってるから、正規の手続きを踏まないで外しちゃったら、ボンッっていっちゃうから」
「ぼ、ボンンッ?」
「まあ、爆発自体は大した事無いんだけどね。その高慢ちきなお顔がキレイに吹っ飛ぶくらい」
「ひ――ッ!」
エラルティスは、スウィッシュの言葉を聞いた途端に顔面蒼白になり、凍りついたように身体を硬直させる。
そんな彼女の顔を見て、とても愉しそうな笑みを浮かべながら、スウィッシュは彼女の耳元に囁きかけた。
「どう? 素敵なお礼でしょ?」
「……ッ!」
「って事で……協力してくれるわよね?」
「ぐ……ぅッ!」
と、猫なで声で囁きかけるスウィッシュの顔を血走った目で睨みつけるエラルティスだったが……もう、彼女に選択肢は残されていなかった……。
「……おい、スウィッシュ」
エラルティスから満足のいく答えを聞き出せ、満足げな表情を浮かべるスウィッシュに、ファミィは抑えた声で尋ねた。
「お前がエラルティスの首に付けたチョーカー……あれは、本当に呪われたアイテムなのか?」
「……うふふ」
ファミィの問いかけに、スウィッシュは意味深な微笑みを浮かべて、エラルティスから見えないようにこっそりと首を横に振る。
「安心して。あれは、あたしが昔付けてたお古のチョーカーよ。別に呪われてなんかないわ」
「やっぱりか……」
スウィッシュの答えを聞いたファミィは、安堵と呆れが入り混じった表情で、肩を竦めるのだった。




