聖女と依頼と拒否
「――は?」
スウィッシュの言葉を聞いたエラルティスは、呆気にとられた表情を浮かべ、それから露骨に顔を顰めながら頭を振った。
「……『魔王城まで一緒に来て』ですって? なんでわらわが、貴女のような汚らわしい魔族と一緒に、おぞましい魔王の巣窟まで足を運ばなきゃいけませんの?」
「……いちいち頭に不快な修飾語を付けないと会話が出来んのかオノレは」
嫌味たらしいエラルティスの問いかけに頬をひくつかせるスウィッシュだったが、気を取り直すようにガシガシと頭を掻くと、努めて落ち着いた声色で言葉を継ぐ。
「なんでって……今言ったばっかりでしょ? サリア様を元に戻す為に、あなたのが必要なのよ。……もっとも、あくまでも必要なのは“聖女”としてのあなたの能力だけなんで、能力だけ貸してもらえるんだったら、あなた自身は要らないんだけどね」
「うふふ……貴女、ひょっとしてバカですの?」
スウィッシュの言葉を聞いた聖女は、皮肉と侮蔑をたっぷりと沁み込ませた嘲笑を浮かべた。
「“聖女”の“天啓”だけを貸し出すなんて、出来る訳無いに決まってるでしょ? 片腕を外して渡せっておっしゃってるようなものですわよ、ソレ。……まったく、そんな愚かさで良く四天王が務まってらっしゃいますわねぇ」
「そんな事、解ってるに決まってるでしょ!」
「あら? それは失礼しました。まさか、ご自分の無能っぷりをちゃんとご存知だとは思いませんでしたわ」
「ソッチの方じゃないわよクソ聖女ッ!」
クスクス嘲笑うエラルティスに激昂するスウィッシュだったが、すぐに我に返る。
そして、心を落ち着かせるように深く深呼吸をしてから、改めて口を開いた。
「そんな事……聖女の能力だけを借りられない事、こっちも解ってるわよ。だから、あなた自身に魔王城まで来てもらいたいの。承知してもらえるわよね?」
「……逆に、なんでわらわが承知すると思うんですの?」
「……思わないわね」
エラルティスの答えを聞いたスウィッシュは、苦笑いを浮かべながら小さく首を左右に振る。
そして、だらりと下ろしていた左手に理力を込め始めながら言った。
「でも……さっきも言ったでしょ? 『拒否権は認めない』って。あなたが否だと言おうが嫌だと喚こうが関係無い。力づくで連れていくわよ」
「ふふ……力づくねぇ……」
スウィッシュの声にそう応じながら、エラルティスも聖杖を握る手に力を籠める。
「なら――やれるものなら、やってみなさいなッ! “聖鎖法術”ッ!」
先手必勝とばかりにエラルティスが振り下ろした聖杖の軌跡をなぞる様に眩い光が生じ、たちまちのうちに黄金色の鎖の束へと姿を変えた。
「――“縛”ッ!」
彼女の声に応じるように分銅の付いた鎖の先端が、スウィッシュの身体を目がけて飛来する。
それに対し、スウィッシュは掌を床に向けて翳し、毅然とした声で叫んだ。
「硬化氷板創成魔術ッ!」
彼女の詠唱に応じるように、分厚い氷の板が床からせり上がるように現れ、聖鎖法術の黄金鎖の進路に立ちはだかる。
黄金鎖の分銅は、突如現れた氷の壁に激しく衝突し、その表面に蜘蛛の巣状の亀裂を入れた。
だが、スウィッシュの身体を拘束する事は出来ず、耳障りな金属音を上げながら床に落ち、無数の光の粒子へと崩壊する。
それを見たスウィッシュは、口の端を上げて不敵に嗤った。
「やるわね、あたしの硬化氷板創成魔術にヒビを入れるなんて! ……でも、これはどうかしらッ?」
そう叫ぶや、彼女は俊敏に飛び退き、まっすぐ伸ばしていた手の指をぐっと曲げながら、新たな魔術を発動させんと――
「凍氷爆砕魔……ッ!」
――したところで、ハッと息を呑む。
視界に、頭を抱えてしゃがみ込んだ人間族の男の姿が映ったからだ。背を丸めながらぶるぶると震えているその男は、先ほどエラルティスに厳しく詰められていた神官だった。
「……チッ!」
彼の姿を見止めたスウィッシュは、口惜しげに舌打ちをしてから、魔術を発動させる為に握り込もうとしていた指を途中で止め、魔術の詠唱の代わりに神官に向かって声を荒げる。
「何してんのよ、あなた! 巻き添え食って死にたくなかったら、早く逃げなさい!」
「は、はひぃぃぃっ!」
スウィッシュの一喝に、神官は悲鳴混じりの声を上げながら、這うようにして部屋を出ようとした。
が、
「あ! お待ちなさい! 貴方、聖女のわらわを置いて逃げ出すつもりですかッ! そんな事、赦される事じゃなくってよ!」
「――ッ!」
その背中にかけられたエラルティスの険しい声に、神官は凍りついたようにその場で立ち止まる。
そんな彼に、エラルティスはなおも叫んだ。
「さあ、貴方も戦いなさい! ……まあ、こんなんでも、その貧乳娘は魔族の四天王のひとりですから、貴方如きの力じゃ瞬殺でしょうけど、攻撃を凌ぐ壁くらいの役には立ってもらいますわよ!」
「ひっ……!」
聖女の口から紡がれる冷徹な言葉に、神官は顔面を蒼白にして身体を震わせる。
神官の彼にとっては、神の寵愛を受ける聖女の言葉は絶対なのだ。彼女に壁になれと言われたら、言われた通りに肉壁になるしかない。
「……」
進退窮まった神官の絶望に満ちた顔を見たスウィッシュは、僅かに顔を顰め――それから、わざとらしく安堵の息を吐いてみせた。
「はぁ~、クソ聖女がバカで良かったぁ~!」
「……何ですって?」
スウィッシュの言葉に、エラルティスの眉間に深い皺が寄る。
『バカ』と呼ばれた事に憤り、殺気を帯びた翠瞳で睨んでくる聖女の顔を紫瞳で見返しながら、スウィッシュは更にせせら笑ってみせた。
「だって……どう考えても、その人に応援を呼んでもらった方がいいじゃない。一対二よりも、一対百の方が分が良いに決まってるのに。そんな事にも気付いてないみたいだからバカだって言ったのよ」
「あ……! た、確かに……」
スウィッシュの言葉に、ハッとするエラルティス。
そして、嬉々とした声で神官に向けて叫んだ。
「じゃ、じゃあ! 貴方はさっさと本殿に戻って、この危急の事態を全神官兵に伝えてらっしゃい! 『聖女様が、汚らわしい魔族の貧乳女に襲われています!』ってね!」
「は、はひっ! かしこまりましたぁっ!」
エラルティスの命を受けた神官は、腰を九十度に折ってから、足を縺れさせながら一目散に部屋を出て行く。……出て行きしなにすれ違ったスウィッシュに向け、聖女から見えないように頭を下げながら。
スウィッシュも、彼の背中を見送りながら僅かに微笑み、それからエラルティスの方に向き直った。
そんなふたりのジェスチャーに気付かなかったエラルティスは、勝ち誇ったようにスウィッシュを嘲笑する。
「ほーっほっほっほっ! まったく、魔族というものは、どこまでも愚かなのでしょうねぇ? わざわざわらわに自分が不利になるような事を漏らしてしまうなんて! おかげで助かりましたわ! ……と、といっても、もちろんわらわも、そんな事は先刻承知ですけどね。心の中でこっそり考えてて、口には出してなかっただけですわよ! か、勘違いしないで下さいましね!」
「あっそ」
なぜか、焦り顔を浮かべながら早口で捲し立てるエラルティスを前に、スウィッシュは呆れ混じりの白け笑いを浮かべるのだった。




