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聖女とワインとソファ

 国立聖神殿から伸びる極秘の隠し通路の先に設けられた、荘厳なる奥殿。

 そのだだっ広い建物の中でも一際豪奢な内装の居室――その中央に置かれたフカフカのソファの上に、神官服を纏った翠髪の美女がだらしなく寝転んでいた。


「退屈ですわね……」


 そう呟いた彼女は、読み()しの本を乱暴に放り投げる。

 億劫そうに身を起こした彼女は、ソファの前に置かれたローテーブルに手を伸ばし、平皿に盛られた砂糖菓子を一つ摘まむと、そのまま口に放り込む。

 そして、指に付いた砂糖を舌で舐め取りながら、今度は平皿の横に置かれたガラス製のゴブレットを持ち上げ、なみなみと注がれた真っ赤なワインの馥郁たる香りを堪能する事も無く一息に飲み干した。

 ――だが、一瓶で馬一頭分と同じ価値を持つ最高級ワインの豊潤な味ですらも、今の彼女が感じている鬱屈した気分を晴らす事は出来ない。

 翠髪の女――“聖女”エラルティス・デュ・ヤーミタージュは、ゴブレットをローテーブルに置くと、不機嫌そうに柳眉を顰めた。


「はぁ……もう、このワインの味にも飽きましたわね……」


 渋い顔でそう独り言ちたエラルティスは、今度は真鍮の呼び鈴を手に取ると、激しく左右に振る。

 部屋の中――そして、分厚い樫製の扉の向こう側に、甲高い呼び鈴の音が鳴り響いた。

 それから数十秒ほどして、重々しい音を立てて扉が開き、ひとりの初老の神官が息を切らせて入ってくる。


「お、お待たせいたしました、聖女様! な、なにか御用でしょ――」

「遅い!」


 荒れた息のまま尋ねた神官を無下に一喝したエラルティスは、ムスッとした顔のまま、床の上に転がったワインボトルを指さした。


「この味は、もう飽きました。次からは、別の銘柄のワインに変えて下さいませ」

「え、えぇっ?」


 エラルティスの指示に思わず当惑の声を上げた初老の神官は、慎重に言葉を選びながら聞き返す。


「で、ですが、聖女様……この銘柄に変えてから、まだ一週間と経っておりませんが……」

「……それが何か?」

「あ……い、いえ……その……」


 エラルティスの蛇のように冷たい眼光に睨み据えられた神官は震え上がるが、それでも勇気を振り絞って言葉を継いだ。


「も、もう飽きたとおっしゃられましても、先週の聖女様から頂いた『味が気に入ったから、一ヶ月は切らさないように買い占めておきなさい』とのご指示を受けて大量に仕入れたのです。そのせいで、酒蔵にはまだ在庫が大量に残っております。なのに、もう別のものに替えろとおっしゃられては……」

「……何ですの? この神殿の酒蔵は、その程度で満杯になってしまうくらいに小さいものなんですの?」

「い、いえ……そういう訳では……」


 神官は、エラルティスの険しい声に怯む。

 そんな彼にいやみったらしい薄笑みを向けたエラルティスは、「……そうそう」と言いながら、自分が座っているソファを指さした。


「実はさっき、このソファにワインを零してしまいましたの。シミになっちゃいましたから、明日までに新しいソファと取り替えて頂けます?」

「は、はぁ?」


 聖女の言葉に、神官は思わず素っ頓狂な声を上げる。

 そして、彼女が指さしているソファの座面に、気付くか気付かないかくらいの僅かな濡れ痕が付いているのを見て、思わず渋面を浮かべた。


「せ、聖女様……あの、畏れながら……」


 彼は、大いに躊躇いながら、恐る恐る聖女に言う。


「た、確かにシミが付いておりますが、このくらいのならば、別にソファを丸ごと取り替える必要は無いかと……」

「あらぁ?」


 神官の答えを聞いたエラルティスの眉間に、深い皺が寄った。

 彼女は、険しい目を神官に向け、険しい声を上げる。


「貴方は、ワイン染みの付いた小汚いソファに、神からの寵愛を一身に受けた清らかなる“聖女”のわらわを座らせていても、心が痛まないのですか? 神に仕える下僕の分際で?」

「い、いえ! そ、そんな! め、滅相も御座いませぬ!」


 エラルティスの言葉にみるみる顔面を真っ青にした神官は、慌てて(かぶり)を振った。

 狼狽する彼に皮肉気な嘲笑を向けながら、エラルティスは冷ややかに言う。


「でしたら、無駄な事は言わずに、さっさとわらわの言う通りになさいな。わらわの言葉は、すなわち、神の御言葉なのですよ」

「で……ですが!」


 神官は、エラルティスの尊大な言葉にキッと眦を上げるや、意を決した様子で捲し立てた。


「お、畏れながら! ぶ……無礼を承知で言わせて頂きますが、最近とみに聖女様の金銭感覚は麻痺していらっしゃるように思いますぞ!」

「……何ですって?」

「この赤ワインが、一瓶でいくらするのかご存知ですか? 今、貴女が踏ん反り返って座っていらっしゃるソファの値段はっ? それを買う為の金が、どこから出ておるとお思いか! 全て、信者からの喜捨や王家からの寄進ですぞ!」

「ふ、ふん……だから何だと言うのですか?」


 エラルティスは、神官の鋭い語気に気圧されながらも、強がるように鼻で嗤ってみせる。


「そんな世俗的なお金の話など、清らかなる聖女のわらわの知った事ではありませんわ。そもそも、神の為に差し出されたお金ならば、この世で神の恩寵を受けるわらわの為に使われて然るべきでしょう?」

「そ、そんな屁理屈――」

「――それに」


 と、エラルティスは、激昂する神官の言葉を遮り、その顔をじろりと()め上げた。


「半年前――あの北方の田舎町で、神に疎まれし魔族の首魁であり、我ら人間族(ヒューマー)の天敵である“雷王”ギャレマスを斃したのは、他ならぬわらわですわよ。そんな、人間族(ヒューマー)の未来を救った英雄たるわらわの()()()()()願いも叶えられないとおっしゃるのですか、貴方がたは?」

「い、いや、ささやか……って……」

「……まだ何か?」

「う……い、いえ……」


 殺気すら帯びた翠色の瞳に見据えられ、遂に論駁する事を諦めた神官は、聖女に対する憤懣や怒気を無理矢理心の中に押し込め、彼女に向かって深々と首を垂れる。


「……畏まりました。全て……聖女様の御望みの通りに……」

「はじめからそうおっしゃえば良いのですよ。まったく、使(つっか)えないですわね」

「……」


 エラルティスの憎まれ口を聞きながら、神官はグッと拳を握りしめて耐えた。

 ――と、その時、


「あぁ……これじゃ確かに、早くどっかに消えてくれないかなって思われるわね」

「ッ!」


 突然、広い部屋の中に響いた若い女の呆れ声に、エラルティスは驚愕の表情を浮かべる。


「そ……その声は……」

「ああ、あと、さっきのあなたの発言……一つ訂正してくれないかしら。『“雷王”ギャレマスを斃したのは、他ならぬわらわ』ってトコね」

「ま……まさか……ッ!」


 ゆっくりと近付いてきた蒼髪の少女の姿を見て、エラルティスは飛び出さんばかりに目を見開いた。


「な……何で生きて……ここにいるのですか、貴女が……ッ?」

「それはもちろん……あの時、あなたに斃されてなんかいなかったからよ。陛下も、あたしもね」


 そう言うと、スウィッシュは嫌味満点の笑みをエラルティスに向ける。


「――久しぶりね、クソ聖女」

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