魔王と勇者と転移
「ようやく理解したかい、魔王様よ?」
そう言いながら、階の上の豪奢な玉座に身を埋め、変顔を晒しながら鼻毛を抜いているのは、玉座の主ではなく、“伝説の四勇士”シュータ・ナカムラだった。
一方、本来の椅子の主であるギャレマスは、その『冥府の幽鬼も泣きながら逃げ出す』と恐れられた強面を恐怖で引き攣らせながら、階の下の真っ赤な絨毯の上で、背筋をピンと伸ばして正座している。
瀕死の重傷を負っていたギャレマスだったが、その傷は嘘のように消えていた。
その傷を治癒したのは、ギャレマスを死の淵まで追い詰めた張本人のシュータだ。
先ほどの戦いでの不可解極まるシュータの行動を思い返したギャレマスは、怪訝な表情を浮かべながら、自分の玉座で呑気に鼻の中の剛毛と絶賛格闘中の勇者に尋ねる。
「な……なぜ、余の命を奪う為に、わざわざ魔王城まで攻め込んできたキサマが、土壇場で余を助けたのだ? “伝説の四勇士”シュータよ――」
「“さん”を付けろよ、タコ助野郎」
「……申し訳ございません、シュータさん」
玉座にふんぞり返ったシュータから、ギロリと睨み据えられた魔王は、震え上がりながら慌てて床に額を擦りつけた。
そんな魔王を一瞥し、ふんと鼻を鳴らしたシュータは、再び鼻の穴に指を突っ込みながら、ギャレマスの問いに答える。
「だから、さっきも言っただろ? 俺は、この世界を恐怖に陥れる魔王であるアンタを打ち倒し、全ての人々に平和をもたらす為に、ココとは別の世界にある日本っつー所から異世界転移させられた勇者なんだって」
「は……はぁ。確かに、それは伺いましたが……」
シュータの答えに、ギャレマスは首を傾げた。
「で……でしたら、尚の事――な、何故、先ほどの時点で余……私に止めを刺さなかったのですか? 私の命を絶てば、貴方は、この世界に転移させられた目的を達成できるというのに――」
「だからだよ」
魔王の言葉に、シュータは得たりとばかりに大きく頷いた。
その言葉の意味を測りかね、ギャレマスは目をパチクリと瞬かせる。
「あ、あのぉ。だ、『だからだよ』とは、一体……?」
「だーかーらー」
狐につままれたような表情を浮かべる魔王に、シュータは苛立ちを露わにしつつ言葉を加える。
「アンタに止めを刺しちまったら、この世界での俺の使命が終わっちまうだろうが。そうなったら、俺はあの爺に、元の世界へと戻されちゃうんだよ」
「あ、“あの爺”とは……先ほど言っていた、この世界の“神”とやらですか?」
「知らんがな。――何か、やたら偉そうで、『ワシの世界』とかほざいてたから、そうなんじゃねえの? もっとも、俺に言わせりゃ、神は神でも“疫病神”だよ、ありゃ」
「そ……それはさすがに、神に対して、些か不敬なのでは……?」
文字通り、『神をも畏れぬ』口を叩くシュータに、ギャレマスは顔を引き攣らせながら、おずおずと窘めた。
その言葉を聞いたシュータは、眉間に深く皺を寄せると、憮然としながら吐き捨てるように言う。
「フン! 元々、俺の世界の神じゃねえんだから、不敬もクソもねえだろうが。それに、タダの高校生だった俺を、何の断りもなしにこの世界に引っ張ってきたんだから、俺の世界の法律用語で言えば、あの爺はタダの未成年誘拐犯だよ!」
「か、神を、誘拐犯呼ばわりするとは……」
シュータの止まらぬ暴言には、本来の“神をも畏れぬ存在”であるはずの魔王ギャレマスですらドン引きする。
と、
「……まあ、あのクソ爺の事はどうでもいいんだ」
忌々しそうに、指で抜いた鼻毛を吹き飛ばしてから、シュータは話を戻した。
「要するに、俺は戻りたくねえんだよ。元の世界――日本に、な」
「そ、そうなんですか?」
シュータの言葉に、ギャレマスは驚きの声を上げる。
「ふ、普通、環境も文化も違い、知己すらいない、全てが異なった世界に放り出されたら、一刻も早く元の世界に戻りたいと思うものではないのですか?」
「へっ! 思う訳ねーだろ!」
シュータは、魔王の問いかけを一笑に付す。
そして、わざとらしく肩を竦めてみせながら、言葉を継いだ。
「確かに、放り出されてすぐの頃は、色々と戸惑ったよ。特に、食い物はキツかったぜ。飯は味が薄くて、全然食った気しねえし、肉料理のバリエーションも焼くか煮るかしか無い上に、まるで消しゴム噛んでるみたいにクソ固いし、生卵を食ったら腹を壊すしよ……。ホント、こっち来てしばらくの間は、毎日のようにミックジャガルドの照り焼きバーガーが夢に出て来たわ!」
「は、はあ……」
「あと、便所がボットン便所しか無いのもマジムリ! ウォシュレットとまでは言わねえから、せめて全ての便所を水洗トイレに変えてほしい! 何で、あの爺は、俺に水洗トイレを創るチート能力を寄越さなかったんだよ! マジ使えねえ~!」
「あ……あのぉ~……」
何だか訳の分からない事を叫びつつ、勝手にヒートアップしているシュータに、ギャレマスは恐る恐る声をかける。
「そ……そんなにご不満があるようでしたら、尚の事、元の世界に戻りたいと思うのではないですか……?」
「……いや、何だかんだで、今は慣れちゃったからなぁ」
魔王の問いかけに、小さく首を横に振ったシュータだったが、「……それに」と、今度は締まりのない笑みを浮かべる。
「確かに、嫌なところも多いけど、それ以上に、役得な所も多いからな」
「……役得? それは、一体――」
「モテる」
「……」
シュータの簡潔にして明白な、それ故にあんまりすぎる回答に、ギャレマスは思わず呆れ顔を浮かべ――、
「……あいだっ!」
眉を吊り上げたシュータが放った小さなエネルギー波を眉間に食らい、顔面を押さえて悶絶する。
「んだよ! いいじゃんかよ! 種族が違おうと、同じ男なら理解できるだろ? モテるって事が、男にとって如何に大事な事――永遠に追い続けるべき浪漫だっていう事がよ!」
「は……はひ。おっしゃる通りです、ハイ……」
その威厳に満ちた金色の眼を、溢れんばかりの涙で潤ませながら、魔王はひたすらコクコクと頷くのだった。