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神殿と神官兵と闖入者

 人間族(ヒューマー)の勢力の中心部である国都アサハカン。そこから徒歩で二時間ほど離れた丘に、歴史を感じさせる荘厳な建造物の一群が建っている。

 これこそが、人間族(ヒューマー)国教会の中枢である国立聖神殿である。

 この神殿には千人以上の神官たちが住み込み、絶大なる信心を以て、彼らの信奉する創世神シゲ・オウ・ツハルに仕えていた。


 もちろん、国教会の総本山であるから、神殿の大本殿には、宗教の長である総教主をはじめとした上級神職者が住んでおり、信者の中から選りすぐられた神官兵が敷地内の警備に就いている。

 神殿の中へは、許可と資格のある者以外は、何人たりとも立ち入る事を赦されない。

 『神殿は、神聖にして、決して侵すべからざる聖域』という暗黙の了解が、全ての人間族(ヒューマー)たちの意識の中に深く刻みつけられており、その不文律を破る事は、王侯貴族はもちろん、かの異世界転移勇者シュータですら赦されなかったのだった――。


 ……はずだったのだが、

 この日は、その不文律が決定的に打ち破られた。


「ち、闖入者――! 何者かが、表門を破って神殿内に侵入しました――!」

「な、何ぃっ?」


 本殿脇に設けられた小さな詰め所で休息していた神官兵長は、泡を食って入ってきた部下の声に、驚愕の声を上げる。

 彼は、信じられないというように目を見開きながら、怒鳴るように部下へ尋ねた。


「闖入者だと? この聖神殿に、無許可で押し入ろうというのかっ? だ、誰だ、その不信心者(バチアタリ)はッ?」

「わ、分かりませんッ!」


 兵長の剣幕にたじろぎながら、部下は激しく(かぶり)を振り、震える声で答える。


「で、ですが……表門の門衛は、その闖入者によって、既に全員倒されてしまったようです……」

「な……何だとっ?」


 部下の言葉に、兵長は愕然とした表情を浮かべた。


「門衛は、俺達神官兵の中でも選りすぐりの凄腕のはずだぞ? それなのに、ぜ、全滅しただと……?」

「は、はい……」

「な、何者なのだっ? その闖入者というのは……」


 そこまで言って、彼はハッと目を見開く。


「ま、まさか……あの勇者シュータが……いつまで経ってもあのお方が出て来ない事に、とうとう業を煮やして――」

「い、いえ……」


 兵長の呟きに、部下はおずおずと首を横に振った。


「た、確かに、あの勇者シュータなら、我々が束になっても敵わないですが……あの男は今、魔族の国の方に行っているという話ですし……」

「そ、そういえばそうだったな……」


 部下の言葉に、兵長は安堵混じりの息を吐き、それから苛立ちを含んだ怒声を上げる。


「――じゃあ、一体何者だというのだっ!」

「わ、私には分かりません! 私も、表門から逃げてきた門衛のひとりから又聞きしただけなので……」

「ええい、使えぬ奴め!」


 部下の言い訳に更に苛立ちを募らせた兵長は、忌々しげに舌打ちした。

 と、


「た、大変ですぅ!」


 木製の扉を蹴破るように開けて、神官兵がもうひとり、転がり込むようにして駆け入ってくる。

 彼は、何故か全身にびっしりと白い霜を付けた状態で、恐怖と寒さで体を震わせながら上ずった声で叫んだ。


「お、表門から侵入した闖入者ですが……既に本門前まで到達しております!」

「な、何だとぉっ?」


 更なる凶報に、兵長は目を剥きながら声を裏返す。


「ほ、本門前まで侵入を許しただとっ? あそこまできたら、本殿はもう目と鼻の先ではないかっ!」


 彼は、激情に任せてテーブルに拳を叩きつけると、密度の薄い髪の毛に指を突っ込んで、わしわしと掻き毟った。


「な……何者なのだ? 一体、何人で攻めかかってきたというのだ……?」

「そ、それが……」


 兵長の言葉を聞いた霜塗れの神官兵は、答えづらそうに目をキョロキョロと動かしながら、重い口を開く。


「そ、それが……相手は、その……ひとりだけでして……」

「は?」

「しかも……わ、若い女です……」

「はあああああっ?」


 神官兵の答えを聞いた兵長は、再び……いや、三度……いや、もっと? ……ええと、とにかく、この日何度目かの仰天の声を上げた。


「わ、若い女がひとりだけだとおっ? き、貴様、ふざけておるのかッ!」

「ふ、ふざけても、こんなアホみたいな事言えませんって!」


 怒鳴りつけられた神官兵は、思わずカッとして叫び返すと、その凍りかけた顔を朱に染めながら、更に詳しく説明する。


「た、確かに、見た目はまだ若い女なんですが、凄まじく強力な氷の術を使っていて……我らも懸命に応戦しようとしているのですが……正直、歯が立ちません!」

「こ……氷の術だと? 精霊術か?」

「いえ……」


 兵長の言葉に、神官兵は表情を曇らせながら首を横に振った。


「あ、あの女の耳は尖って――尖耳じゃありませんでした! だから、エルフじゃありません!」

「じゃあ……まさか……」


 “エルフじゃない”という神官兵の言葉に、兵長の脳裏にひとつの可能性が浮上する。

 精霊術以外で、氷を操る事が出来る可能性のある術はふたつ。

 ひとつは魔術。

 もうひとつは呪術。

 ……そのふたつの術を操れる種族は――一種族しかいない!


「……お、応援を呼べ!」


 兵長は、血相を変えて怒鳴った。


「至急だ! 神殿中の法術を操れる……いや、すべての神官兵を総結集して、その女に当たらせろ!」

「す、すべてでありますか?」


 神官兵のふたりは、兵長の指示に当惑して顔を見合わせる。

 そして、おずおずと兵長に言った。


「そ、それは、さすがに些か大袈裟では……」

「バカ野郎! 何が大袈裟だ!」


 兵長は、真剣な顔で神官兵を怒鳴りつける。

 そして、慄然としながら言葉を継ぐ。


「その女……恐らく魔族だ! しかも……かなり高位の!」

「ま……」

「魔族……っ?」


 兵長の言葉に、ふたりの神官兵も青ざめた。

 そんなふたりに、兵長は小さく頷く。


「分かったか? 分かったら、早く動け!」

「「は、はっ!」」

「私は、この事を総教主様に報告しに……」


 そう呟きながらそそくさと立ち上がった兵長だったが、


「……ま、待て!」


 と、立ち去りかけた神官兵を呼び止めた。


「そういえば、その闖入者の容姿を聞いていなかった。総教主様に報告せねばならんから、出来るだけ詳しく教えろ」

「あ、了解しました!」


 兵長の言葉に霜塗れの神官兵が頷くと、視線を宙に舞わせながら、ぽつぽつと答え始める。


「ええと……一見、普通の若い女です。紫色の瞳で、長い蒼髪を頭の後ろで束ねてました」

「ふむ……」

「顔立ちは……少し幼い感じですが、結構可愛い系ですね。街中で会ったら、普通にナンパしたくなるくらいの……ぐふふ」

「いや、そういう情報は要らん……」

「あ、スンマセン……」


 兵長にじろりと睨まれた神官兵は、慌てて頭を下げた。

 そんな神官兵に向けて溜息を吐いた兵長は、ゴホンと咳払いをして、「……他には?」と促す。

 兵長に促された神官兵は、真面目な顔をすると、更に言葉を継いだ。


「あと……体つきは華奢でした。特に胸は、のっぺりというか何というか――」

「誰の胸が断崖絶壁NO()っぺらぼうだとおおおおおぉぉぉぉぉっ!」


 神官兵の言葉は、唐突に上がった絶叫によって掻き消される。


「ぎゃあああああああぁぁっ!」


 それと同時に木製の扉をぶち破って飛来した巨大な氷塊が、神官兵の背中を強かに打ち据え、彼は苦痛に塗れた悲鳴を上げながら昏倒した。


「「な――ッ?」」


 突然目の前で起こった事態に、兵長ともうひとりの神官兵は理解が追い付かず、口をあんぐりと開けたまま体を硬直させる。

 そして、


「まったく……どいつもこいつも胸の事ばっかり……っ!」


 そうボヤキながら、扉の向こうから姿を現したのは――(オーガ)も裸足で逃げ出しそうな憤怒の形相を浮かべる、蒼髪の少女だった。

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