魔王と勇者と闖入者
「なっ……!」
ギャレマスは、「ツカサを元のサリアに戻す必要も無い」と言い放ったシュータの言葉に、思わず言葉を失ったが、すぐに我に返ると、ありありと非難と憤怒を浮かべた目で、薄笑みを湛えたシュータの顔を睨みつけた。
「な……何を言っておるのだ、シュータ! サリアに戻す必要が無いだと……? そんな訳無いだろうがッ!」
そう声を荒げたギャレマスは、眉間に深い皺を寄せ、激しく頭を振る。
激情を露わにする魔王を前に、シュータは冷めた顔で肩を竦めてみせた。
「何を熱くなってんだよ、クソ魔王」
「熱くならずにおられるか!」
「まあ、聞けよ」
「聞かぬ!」
「だから、聞けっつってんだろうが! ハタくぞボケ!」
「……ッ!」
聞く耳を持たぬ様子のギャレマスを鋭い声で一喝したシュータ。
と、彼はそのまま後ろを振り返り、山の斜面に転がっている大岩のひとつに声をかける。
「――お前も、そんなところでコソコソ盗み聞きなんかしてねえで、堂々と聞けよ。さっさと出て来い、クソオカマ」
「……あらぁん? バレちゃってた?」
シュータの呼びかけに応じ、大岩の陰から上がった声は、品を作った、妙に艶めかしい男の声だった。
その声を耳にした瞬間、ギャレマスの顔色が変わる。
「その声、まさか……?」
「うふふ……」
魔王が驚きながら漏らした声に応えるように、愉しげな笑い声が上がった。
そして、大岩の裏から、ひとりの人影が姿を現す。
「やはり、お主か……!」
ギャレマスは、人影の額あたりから伸びる大きな一本角を見て、自分の推測が間違っていなかった事を確信した。
彼は、高いヒールで小石を踏みながら悠然と歩を進める長身の男に険しい目を向け、鋭い声でその名を口にする。
「――マッツコー!」
「うふふ、お久しぶりねぇん、雷王ちゃあん♪」
姿を現した真誓魔王国四天王のひとり・癒撥将マッツコーは、その白面に皮肉気な薄笑みを湛えながら応えた。
ギャレマスは、そんな彼の顔を爛々と輝く金色の瞳で睨みつける。
「マッツコー……余はまだ、お主にかけた重謹慎を解いた覚えは無いぞ」
「あらぁ? そんな命令、とっくに無くなってるわよぉん。雷王ちゃんの可愛い娘ちゃんのおかげでね。知らないのぉん?」
「……それは、確かにファミィから聞いた。だが――」
そう言って、ギャレマスは自分の事を指さした。
「お主にかけた重謹慎の命を解けるのは、魔王ひとりのみ――つまり、余だけだ。よって、いかに我が娘がお主の重謹慎を赦そうが、余が認めぬ限り、それは無効だ」
「いやねぇん。そんな頭の固い事を言わないでよぉん。ワタシとアナタの仲じゃない、雷王ちゃん……いや、もう“先王ちゃん”って呼んだ方がいいかしらん?」
「ふざけた事を申すな、癒撥将!」
マッツコーの言葉に、ギャレマスは目を吊り上げて怒声を上げる。
「誰が“先王”だ! 余は、退位した覚えなど無いぞ!」
「うふふ、アナタに退位した覚えが無くても、公式ではそういう事になってるのよん。……ま、正確には“退位”じゃなくて“崩御”だけどねぇん♪」
そう皮肉げに言いながら、マッツコーはくすくす笑った。
「だから、今はあの姫ちゃんが、新しい陛下ちゃんって事。もっとも、まだ即位の礼が終わってないから、お尻に(仮)が付くけどねん」
「み、認めぬぞ、そんな事は断じてッ!」
ギャレマスは、マッツコーの説明に目を剥いて、激しく首を左右に振る。
「だ、第一、この通り、余は崩御などしておらぬ! よって、サリアの即位の礼も、余の大喪の儀も無用だ!」
「……それで、『ハイそうですか』って素直に頷く訳にもいかないのよねん」
ヒートアップするギャレマスに、マッツコーは苦笑を向けた。
「もしもアナタが魔王に戻っちゃったら、せっかく解いてもらったワタシの重謹慎も復活しちゃうからね。あんな華も彩りも無い単調で退屈な生活は、もう二度と真っ平だもん」
「そんな事、元はと言えば、お主の自業自得であろうが!」
マッツコーの言葉に、ギャレマスは吐き捨てるように言う。
「あんな事を仕出かしておいて……!」
「やぁねえ。そもそもアレって、そんなに目くじら立てる事なのかしら?」
ギャレマスの憤りを逆撫でするかのように、マッツコーはおどけた仕草で肩を竦め、皮肉げに口の端を吊り上げてみせる。
「ワタシに言わせたら、アレはタダの“再生利用の試み”ってやつよん。アタシの“治癒”の能力を存分に活かした……ね」
「ふざけるな!」
ギャレマスは、マッツコーの言葉に眦を上げて叫んだ。
「あれのどこが“治癒”だ! むしろ、真逆の――」
「俺を無視して、勝手にヒートアップしてんじゃねえよ、クソ魔王」
「痛ぁいッ!」
苛立ち混じりのシュータの声と同時に放たれたエネルギー弾を眉間に食らったギャレマスは、悲鳴を上げて悶絶する。
シュータは、そんな魔王を一瞥すると、険しい目をマッツコーに向けた。
「……コイツが、何をそんなにキレてるか知らねえし、べつにどうでもいいけどよ。何でテメエがこんなところに現れたのかは、俺も訊きたいね」
「うふふ、そんなの決まってるじゃない」
シュータの問いに、マッツコーは人を食った態度でくすくす嗤いながら答える。
「勇者シュータと“伝説の四勇士”たちは、我が真誓魔王国の不俱戴天の敵なのよ。そんなアナタが、勝手に魔王城を出て行くのに気付いたら、何か仕出かさないか監視する為に、後を尾けなくちゃダメじゃない? 四天王のひとりとしては、ね」
「……」
「まあ、本来なら、そういう地味な仕事はアタシよりネクラちゃんの方が適役なんでしょうけど、生憎と今どこに居るか分からないからね、あのコ」
「後を尾けたって……」
マッツコーの言葉に驚きの表情を浮かべたのは、ジェレミィアだった。
「魔王さんたちの匂いを探しながらだったから、全速力って訳じゃなかったけど……結構なスピードでここまで移動してたはずだよ、アタシたち……。なのに、どうやってついてこれたの? しかも、アタシとシュータに気配を悟られずに……」
「ふふ……そんなのカンタンな事よぉん」
ジェレミィアの当惑混じりの声にしたり顔を浮かべたマッツコーは、すっと腕を伸ばすと、おもむろに空を指さす。
「飛んできたのよん。高い空の上からだったら、アナタたちの動きが手に取るように分かるし、さすがの“伝説の四勇士”ちゃんたちでも、頭上の遥か彼方までは注意が及ばないでしょ?」
「え……ッ? 飛んで……?」
マッツコーの答えに驚くジェレミィア。
と、その時、
「で……出鱈目を申すなっ!」
ギャレマスが、激しく首を左右に振りながら、彼の言葉を真っ向から否定した。
「そ、空を飛んできただとッ? 翼も生えておらぬお主に、そのような芸当が出来るはずがなかろうが!」
「うふふ……その通り。ワタシだけじゃ飛べないわよん」
マッツコーは、ギャレマスの反論にあっさりと頷く。
そして、その口を半月の形に歪めながら、「……でもね」と言葉を続けた。
「だったら、飛べるモノに運んでもらえばいいだけの話じゃない?」
「は……? それは、一体どういう――」
マッツコーの言葉の意味を計りかね、訊き返そうとしたギャレマスだったが、その声は、唐突に瞬いた強烈な光と、一瞬遅れて上がった轟音によって遮られたのだった――!




