姫と厨房とクッキング
ギャレマスとヴァートスが、肉餅挟み込みパン……照り焼きバーガーに思いを馳せている頃――。
「ふぇくちっ!」
そこから遠く離れた真誓魔王国の中央部に聳え立つ魔王城。その真新しい厨房に、可愛らしいくしゃみの音が響いた。
「……風邪でもひいたかな?」
そう呟きながら首を捻ったのは、緩やかに癖のついたショートボブの赤髪の上に三角巾を巻きつけた、エプロン姿のサリア・ギャレマス……もとい、異世界転生者・門矢司だった。
彼女は鼻を啜ると、火が燃え盛る竈の上に乗せられたフライパンの中を覗き込んだ。
薄く油を敷いたフライパンの中には、捏ねて丸めて平べったくした挽肉の塊がいくつか入っていて、ジュージューと音を立てている。
挽き肉が焼ける美味しそうな匂いがツカサの鼻孔をくすぐり、彼女は思わず口元を綻ばせたが、すぐに眉根に皺を寄せた。
「おい、ハゲ!」
「は、ハッ! な、何でありましょうか、姫ッ?」
唐突に上がったツカサの怒声に慌てて応えたのは、彼女の背後に控えていた四天王のひとり、轟炎将イータツだった。
直立不動になった巨体のイータツに背を向けたまま、ツカサはなおも不機嫌を露わにした声で、彼の事を怒鳴りつける。
「『何でありましょうか?』じゃないよ! 火力が弱まってんだろうが!」
「えっ? あ、あっ、申し訳ございませぬ!」
「焼き料理には、火力調整が何よりも重要なんだよ! テメエのせいでパティが生焼けになっちまったら、一体どう落とし前をつけてくれるってんだい、アァ?」
「も、申し訳ござら……」
「謝ってる暇があったら、さっさと火力上げな! 四天王のひとりのクセして、カセットコンロ並みの働きも出来ないのかいっ?」
「は、ハッ! ただ今ぁッ!」
ツカサの叱責に、イータツは弾かれたように竈の前に出ると、確かにツカサが指摘した通り、先ほどよりも僅かに火勢が弱まっている炎に向かって片手を翳す。
「た、極小誘発炎呪術……っ」
小声での彼の詠唱に応えるように、竈の炎がその勢いを少しだけ増した。
それに伴って、フライパンの中で油と脂が爆ぜる音が強まり、上から覗き込んだツカサが満足げに頷く。
「……よし。どきな」
「は、ハッ!」
ツカサの声に、イータツはホッとした表情を浮かべながら、その巨体を丸めるようにして後ろに下がった。
彼と入れ替わるように竈の前に立ったツカサは、フライ返しを手に持って、真剣な表情でフライパンの中の挽き肉の塊を見つめた。
「うふふ……」
そんなツカサの姿を見ながら、その厚化粧を施した顔を綻ばせながら含み笑いを漏らしたのは、花柄があしらわれたピンク色のエプロンを着けた、四天王のひとり・癒撥将マッツコーだった。
彼は、流しに置かれたまな板の上に乗った球菜の葉を一枚一枚千切りながら、ツカサに向かってにこやかに声をかけた。
「陛下ちゃんは可愛いわねぇん」
「うるさい」
頃や良しと、挽き肉の塊をひっくり返しながら、ツカサは不機嫌な声を上げる。
「ウチのどこが可愛いってんだよ。寝惚けた事を言ってるようなら承知しないよ」
「おお、怖い怖い」
ツカサの脅しに、わざとらしく怖がるフリをしながら、マッツコーは大げさに肩を竦めた。
「別に寝惚けてなんか無いわよん。本当に可愛いって思っちゃったんだもん、たかが料理にそんな真剣な顔して取り組んでる陛下ちゃんの事が」
「“たかが料理”じゃないんだよ、この照り焼きバーガーは」
すべての挽き肉の塊をひっくり返し終わったツカサは、ようやく背後を振り返ると、ニヤニヤ笑いを浮かべているマッツコーの顔を睨みつける。
「パティの焼き加減が重要なんだよ。焼き過ぎたら肉汁が抜けちゃってパサパサするし、生焼けだと中身がにちゃにちゃしたり生臭かったりするし、第一お腹を壊しちゃうしね。ちょうどいい焼き加減を見極める事が大切なのさ」
そう言いながら、彼女は過去の記憶を思い返した。
前世の日本のミックジャガルドで食べた照り焼きバーガーのパティの味を……。
「……でも、まだまだミックの味には及ばないなぁ。やっぱり……前世にクックマッマで見つけて覚えた“ミックそっくり照り焼きバーガー”のレシピに載ってた材料以外にも、なんか隠し味があるんだろうねぇ……分からんけど」
「……み、みっく? くっくまっま……? そ、それは一体何でしょうか、姫……?」
「な、何でもないよ!」
何気なく呟いた独り言をイータツに聞き取られ、ツカサは慌てて声を荒げた。
彼女は、自分が日本からの異世界転生者だという事をイータツやマッツコーたちには明かしていない。自分が彼らの良く知る“サリア・ギャレマス”ではない事を知られたら、反発されたり反乱されてしまうかもしれないと危惧した為だ。
――七か月ほど前のギャレマスやスウィッシュと同じように……。
「……ちっ!」
ずきりと胸の奥が痛んだのを誤魔化すように舌打ちをしたツカサは、フライパンの中の挽き肉の塊に串を刺す。
そして、串で刺した穴から透明な肉汁が溢れ出してきたのを見ると、手早くフライ返しで取り上げた。
「タレ!」
「あ、は、ハッ!」
手短に命令され、慌てて別の窯で煮立っていた鍋を差し出すイータツ。
鍋の中にはとろみが付いた真っ黒な液体が入っており、ツカサはフライパンから取り出したパティを、迷わずその液体の中に投入した。
「……よし」
少しして、黒い液体がたっぷりと絡んだパティを取り上げたツカサは、満足げに小さく頷くと、今度はマッツコーに向かって声を上げる。
「バンズ!」
「はいな~」
イータツと違って、余裕たっぷりの声でツカサに応えたマッツコーは、オーブンから取り出して横に切った十個ほどの丸パンを手際よく並べた。
そして、ツカサが丸パンの上にタレをたっぷりと付けたパティを載せていく。
「レタス!」
「はい喜んで~」
更なるツカサの命令を受け、マッツコーが先ほど千切ったばかりの球菜の葉を、慣れた手つきで次々と載せた。
全てのパティの上にレタスの葉が載せられたのを見たツカサは、次にイータツに向かって手を伸ばす。
「ハゲ! マヨネーズ!」
「あっ、ハッ! で、ですが……」
ツカサの命を受けたイータツだったが、彼は躊躇いがちに頭を振った。
「で、ですが、姫……。アレはまた……」
「いいから寄越しな!」
「は、ハッ! た、ただ今!」
主から強い口調で命令を重ねられたイータツは、慌てて踵を返して厨房の隅に向かうと、戸棚にしまっていた小瓶を手にして戻ってきた。
「お、お待たせいたしました。“まよねえず”に御座います」
「ん」
ツカサは小さく頷くと、イータツが捧げ持った小瓶をひったくるように受け取る。
彼女は木製の栓を開けると、無造作に小指を突っ込んで、瓶の中に入っていたどろりとした白い液体を掬い上げた。
そして、小指の先に付いた“まよねえず”をペロリと舐めるが……、
「……うわ、酸っぱぁ!」
と悲鳴混じりの声を上げて顔を顰める。
「こりゃダメだね。何度作っても、酸味が強すぎて食べれたもんじゃない。これじゃ、マヨネーズじゃなくて、タダの“白くてドロドロしたお酢”だよ……」
「こ……今回もダメでしたか?」
「……うん」
恐る恐る尋ねかけたイータツに力無く頷いたツカサは、心なしか肩を落とした。
そして、眉を顰めながら首を傾げる。
「おかしいなぁ、お酢と塩と玉子の分量は合ってるはずなんだけど……。やっぱり、玉子が地球の鶏のものじゃないから、微妙に違うのかなぁ?」
そうぼやくように呟いたツカサは、完成直前で“画竜点睛”ならぬ“仕上げのマヨネーズ”を欠いた照り焼きバーガーを見つめた。
そして、ある男の顔を思い出して、小さく溜息を吐く。
「はぁ……マヨネーズが無かったら、いつまで経ってもアイツに“本物の”照り焼きバーガーを食わせてやる事が出来ないじゃないか……」




