魔王と救援と窮地
「前進せよ! 一刻も早く砦に攻め上り、主上をお助けするのだっ!」
手に持った戦斧を振り上げ、轟炎将イータツが声を張り上げる。
その声に応えるように、走駆竜に乗り、竜鱗鎧に身を包んだ魔族兵たちが雄叫びを上げながら、ヴァンゲリンの丘の急斜面を一気に駆け上っていく。
その先頭で、純白の走駆竜を駆っているのは、氷牙将スウィッシュだった。
「――さっきから、砦の中で戦っているのは、やっぱり陛下なんだよね……?」
彼女はそう呟きながら、整った顔立ちを曇らせた。
丘の頂上に絡み合った雷が落ちた後、ヴァンゲリン砦の内部で何度も激しい風が吹き荒び、法術の発動光と思われる白い光が瞬く様が、麓に陣を布いていたスウィッシュたちの目にもハッキリと見えた。
最初の雷は、雷系呪術“舞烙魔雷術”に間違いなく、その規模と威力から考えて、雷系呪術を最も得意とする魔王ギャレマスが放ったものに間違いないだろう。
――だが、今夜、魔王が直々にヴァンゲリン砦を攻撃するなどと言う話は、側近であり四天王でもあるスウィッシュやイータツらには一切伝えられていなかった。
「……何で陛下は、あたしたちに黙って、ひとりで砦に攻撃を仕掛けたんだろう――?」
そう、訝しげな表情を浮かべて独り言ちるスウィッシュだったが、そんな疑問の答えをあれこれ考えている場合では無い。
急斜面をものともせずに駆け上がる彼女の目の前に、深々と掘られた空堀が現れた。
「……!」
だが、スウィッシュは乗騎の速度を緩めない。
代わりに、右手を真っ直ぐ前に伸ばし、掌を空堀に向かって翳した。
「――硬化氷板創成魔術ッ!」
と、スウィッシュが叫ぶと同時に、彼女の掌から夥しい冷気が空堀に向かって放たれる。
すると、たちまち分厚い氷の板が現れ、まるで橋のように空堀の上に架かった。
「な――っ?」
空堀の内側で、その光景を目の当たりにした砦の守備兵の間から、驚愕の声が上がる。
「みんな、行くよっ! 砦の主郭で戦っている陛下をお助けするの!」
スウィッシュは、後ろを振り向いて、彼女の後を追う魔族兵たちに声をかけると、跨った走駆竜の脇腹を蹴って、自分が架けた氷の橋を一気に渡り切り、砦への一番乗りを果たすのだった。
◆ ◆ ◆ ◆
「ああっ、ダメだ! 外堀を越えられた……っ!」
「あれは……いつぞやの貧乳女!」
主郭の土塁の上から眼下を見下ろしていたファミィとエラルティスが、焦燥に満ちた声を上げた。
氷の橋を渡った魔族軍の兵たちが、続々と砦の中に侵入していく。
守備兵たちが、攻め込んできた魔族兵を迎撃しようとしているようだったが、上から見ていても明らかに劣勢なのが見て取れた。
「こ……これはいけない……」
眼下の戦況を見たファミィは、顔面を蒼白にしながら呟いた。
そして、くるりと振り返ると、シュータに向けて叫んだ。
「シュ、シュータ様! このままでは、攻め寄せてくる魔族軍を抑えられません! ここは、私とエラルティスが出て――」
「わ、わらわもっ? ちょ、ちょっとファミィさん! 勝手にメンツに加えないで頂けます? 逝くのなら、貴女おひとりで――」
「な……! お、お前も“伝説の四勇士”のひとりでしょうが! 何を情けない事を――」
「そ、そんな事言っても、さっきの戦闘でかなり力を使ってしまったのもありますし……」
「まったく……お前はいつもそうよね! 隙あらばこそこそとサボる口実を見つけて楽をしようとして! “聖女”の肩書が聞いて呆れるわよ!」
「あ……貴女こそ! イノシシみたいに突っ込むしか能がありませんの? エルフって、思ってたのと違って、随分と粗野で野蛮な種族なのですわねぇ!」
「何だと、このエセ聖職者――!」
「……あーっ、うっせえなあっ!」
「「……ッ!」」
緊迫した状況をそっちのけで、激しく諍い始めたファミィとエラルティスに向かって声を張り上げたのは、呆れ顔のシュータだった。
彼は、眉間に皺を寄せながら、顔を引き攣らせたふたりの顔を睨みつける。
――と、
「……あ、そっか」
シュータは、突然目を大きく見開くと、ポンと手を打った。
そして、にんまりと薄笑むと、足元に蹲るギャレマスをそのままにして、土塁の方に歩き出した。
「な……」
シュータの浮かべた表情を見たギャレマスは、何とも言えない嫌な予感を覚えて、慌ててその背中を呼び止める。
「しゅ……シュータよ! キサマ……何をする気だ?」
「……いやぁ、今更だけど、気付いちゃったんだよね、俺」
呼び止められたシュータは、ギャレマスの方に振り向くと、両の口角を三日月の形に上げてみせた。
その酷薄な笑みを見たギャレマスは、先ほどの嫌な予感が気のせいではない事を察する。
魔王は、背中を冷たいものが伝うのを感じながら、おずおずと尋ねた。
「き、気付いたとは……?」
「そりゃ、『俺の目的を満たす為に必要な魔族は、大魔王ギャレマスひとりだけでいい』って事にさ」
「あ――!」
「要するに――」
愕然とするギャレマスに背を向け、パキポキと指を鳴らしながらシュータは言葉を継ぐ。
「テメエさえ生かしておけば、あのクソウザい魔族どもは皆殺しにしちゃっても問題ないって訳だ」
「ま――待てッ!」
シュータの言葉に目をカッと見開いたギャレマスは、憤然と立ち上がると、その黒翼を羽ばたかせ、大きく跳躍した。
そして、背を向けたシュータに向かって、呪力を込めた拳を振り上げる。
「そ……それだけはさせぬぞ、シュータ――!」
「邪魔」
「ぐ、わああああああっ!」
一瞬でシュータに肉薄したギャレマスだったが、その拳が届く直前で急速に失速し、その身体は地面に叩きつけられた。
その身体は、何故か地面に深々とめり込む。
「な……何だ……?」
ギャレマスはすぐに起き上がろうと藻掻くが、不思議な事に身体は更に深く地面へ沈んでいく。
地面に半ば埋もれたギャレマスは、巨人の手で地面に圧しつけられるような感覚に驚きながら、呻き声を上げる。
「か……身体が、重……い?」
「……あぁ、お前の身体に超重力をかけといた。さすがの魔王でも、身じろぎひとつ出来ねえだろ?」
ニタニタと嫌らしい笑いを浮かべ、地面にめり込んだギャレマスの額をペチペチと叩きながら、シュータは言った。
「ま、すぐ片付けてくるから、そこで大人しく待ってろ」
「や……止め……」
「下の魔族の掃除が終わったら、“台本”通りの迷芝居を――」
「た……頼むッ!」
シュータの言葉を遮り、ギャレマスは声を張り上げた。
そして、超重力の効果で動かす事もままならぬ頭を懸命に持ち上げてシュータの顔を見上げながら、魔王は決死の覚悟で叫ぶ。
「頼む……後生だから、余の部下には手を出さないでくれ! 余の身体など、どうなっても構わぬから!」
「……」
涙すら流して懇願するギャレマスの事を無言で見下ろしていたシュータだったが――おもむろに満面の笑みを浮かべ、
「――やだ」
と、愉快そうに言い放つと、ベーッと舌を出してみせた。
それを見たギャレマスの表情が、みるみる絶望の色で染め上げられる。
「な――キサマ……?」
「なーんで、魔王のお願いを勇者様が聞き届けてあげなきゃいけねえんだよ! んな事する訳ねえだろが! つか、そんなにテメエが嫌がるんだったら、むしろ率先して殺ってやんよ! ヒャハハハハッ!」
「な……ッ!」
シュータの答えを聞いたギャレマスの顔が、今度は憤怒の赤に染まる。
「キサマ……このド外道が……ッ!」
「ふ……ふん、そんな怖い顔すんなよ」
ギャレマスの憤怒の形相に、やや気圧された様子を見せたシュータだったが、再び嘲笑を浮かべてみせると、更に言葉を続けた。
「安心しろよ。全魔族を滅ぼしても、お前だけは俺の全力を尽くして生かしといてやるからよ――」
「ええい! 要らぬ! 殺せ! 余を殺せぇっ!」
「だから、やだって言ってんじゃん。痴呆かよ」
地面に這いつくばったまま必死に叫ぶギャレマスをせせら笑うと、シュータは再び土塁の外側へと向き直り、伸ばした指で中空に魔法陣を描き始める。
彼の指の動きに応じて、血のような赤色をした不気味な光で縁取られた数個の魔法陣が姿を現した。
「さて……と」
攻撃の準備を調えたシュータは、敵味方入り交じって激しく戦い合う魔族と人間族を眼下に見下ろしながら、ほくそ笑んだ。
「ほんじゃま、いく――」
「……舞烙魔雷術ッ!」
「――なッ!」
その時、正に攻撃を発しようとしたシュータ目がけて、互いに絡まり合った数条の雷が降り注いだ。
間一髪のところで大きく飛び退くシュータ。
寸前まで彼が立っていた土塁が、雷の直撃を受けて粉々に吹き飛んだ。
「な……何だとっ?」
予想だにしなかった攻撃に、驚愕の声を上げるシュータ。
咄嗟にギャレマスの方に目を遣るが、魔王自身も仰天した顔で空を見上げていた。
「え……? テメエじゃ、ねえのか? じゃあ、誰が――」
「――勇者シュータ!」
「――ッ!」
頭上から降り注いできた、凛と響く声を耳にしたシュータは、慌てて顔を空に向ける。
彼とギャレマスの目線の先には――、
黒い翼を大きく広げ、炎のような紅い髪を吹き上げる風に靡かせたひとりの少女が空中に浮かんでいた。
「……サ」
驚きで目を真ん丸にしたギャレマスが、唖然とした声で、その名を呼ぶ。
「サ、サリア……!」