陰密将とハーフエルフとジェラシー
それから数日後の夕暮れ時。
人間族の国都・アサハカンへと向かう街道から少し外れた森の中で、焚き火の赤い炎がパチパチと音を立てながら揺らめいていた。
焚き火の前では、薪代わりの枯れ枝を手にした一人の黒髪の若い男が倒木に腰を下ろし、早くも落ち始めた夜の帳の中でゆらゆらと躍る炎を、その漆黒の瞳で静かに見つめている。
と、何かが下草を踏む音がした。
「……」
その音に気付いた彼は、焚き火に向けていた目を上げると、茂った木々の間から姿を現した人影に向けて静かに声をかける。
「……ファミィか」
「うん。ただいま、アルトゥー」
彼――アルトゥーの声に応えたのは、左手に小さな編み籠を携えたファミィだった。
マントのフードを目深に被った彼女の姿を見た彼は、僅かに表情を綻ばせる。
「……どうだった? たくさん採れたか?」
「うん」
アルトゥーの問いかけにこくんと頷いた彼女は、被っていたフードを脱ぎながらアルトゥーに微笑み返すと、編み籠の中に入っていたものを取り出した。
「あっちの方に、モチアワタケとクロツメソウがたくさん生えてた。いっしょに鍋で煮詰めると美味しいんだ」
「そうか」
「あと、アカハナイチゴも生ってたから、いっぱい摘んできた。夕ご飯の後のデザートにいいかなって思って」
「そうだな」
はにかみ笑いを浮かべるファミィに、アルトゥーも優しい表情で頷いた。
「半人族の村からもらってきた食糧が、そろそろ心許なくなってきたから助かる。……イチゴは少し残して、後で煮詰めてジャムにしてもいいかもな」
「そうだな。それがいいかもね」
アルトゥーの提案に賛同したファミィは、キョロキョロと周囲を見回してから、アルトゥーに尋ねる。
「……スウィッシュは、どこに行ったの?」
「氷牙将は、湖の方に魚を捕りに行った」
「そっか……」
アルトゥーの答えを聞いて、ファミィは納得顔で小さく頷いた。
「ここ最近、ずっと干し肉ばっかりだったからね。確かに、そろそろ魚料理が恋しくなるわね」
「そうだな……」
そんな会話を交わした後、少しの間、ふたりは照れた表情で見つめ合う。
……と、ファミィは、アルトゥーの隣をおずおずと指さした。
「あの……隣に座っても、いいか……な?」
「あ……ああ」
僅かに頬を染めたファミィからの問いかけに、アルトゥーの顔も真っ赤に染まる。
そして、激しく目を泳がせながら、ぎこちなく頷いた。
「も、もちろん。……どうぞ」
「は……はい」
アルトゥーの答えを聞いたファミィは、パッと顔を輝かせると、飛び込むような勢いで彼のすぐ隣に腰を下ろす。
そして、そのまま首を傾げて、アルトゥーの肩に頭を乗せた。
「……お、おい。ちょっと……!」
「ちょっとだけ……あの娘が戻ってくるまで、甘えてもいい……かな?」
驚いて声を上ずらせるアルトゥーの耳元で、ファミィが甘え声で囁きかける。
「それとも……ダメ?」
「……ダメな訳無いだろ」
不安げに訊き直したファミィにそう答えたアルトゥーは、おもむろにもたれかかった彼女の肩に手を回し、そのまま強く抱き寄せた。
ファミィは、アルトゥーの身体の温もりを感じながら、幸せそうに笑みを浮かべる。
そんな彼女の横顔を見たアルトゥーは、再び薪の火に目を移しながら、意を決した様子で切り出した。
「……ファミィ。言っておきたい事がある」
「うん?」
自分の肩に頭を乗せたまま、訝しげに訊き返したファミィに顔を向けたアルトゥーは、深呼吸をして気持ちと鼓動を落ち着けようとする。
……だが、これから彼女に告げようとしている言葉の事を考えて昂り切った心臓は、全く落ち着いてくれはしなかった。
軽く首を左右に振ったアルトゥーは、早鐘のようにリズムを刻む心臓を宥めすかす事を諦めると、カラカラに乾いた喉を生唾を飲み込む事で湿らせ、キョトンとした顔で自分を見上げるファミィに向けてゆっくりと口を開いた。
「ファミィ……も、もし……」
「……もし?」
「もし……もし、君が良かったら……」
「う……うん……」
アルトゥーの口調と声の調子から、彼が何を言おうとしているのかを察したファミィは、その頬を燃え盛る焚き火の炎よりも真っ赤に火照らせながら、ぎこちなく頷く。
そんな彼女の顔を真剣な眼差しで見つめながら、アルトゥーは更に言葉を継いだ。
「ぶ……無事に姫を元の姫へと戻せたら、その後に……お、己とけ、け……けっ……結こ――!」
――だが、彼が口にしようとした一世一代の求婚の言葉は、突如空から降ってきた巨大な氷の塊が上げたけたたましい轟音によって、不躾に遮られた。
「な――っ?」
「えっ……?」
「たぁ――だぁ――いぃ――まあ――ッ!」
ふたりが漏らした驚愕の声に被さるように上がった、わざとらしいアクセントをつけた憤怒と憤懣に満ちた声を聞いた瞬間、ふたりは顔を青ざめさせ、慌ててくっつけていた身体を離した。
……だが、その反応は既に遅かったようだ。
「……あらぁ?」
そう、大げさに声を上げながら森の中から姿を現したのは、スウィッシュだった。
彼女は、微妙に距離を開けたアルトゥーとファミィに冷たい目を向けると、わざとらしく首を傾げた。
「ごめんなさい? ひょっとして、お邪魔しちゃったかしらぁ、あたし?」
「な……何の事だ?」
嫌味たらしく尋ねてきたスウィッシュに、懸命に平静を装ったアルトゥーは、焚き火に枯れ木をくべながら素知らぬ顔でとぼける。
「お、おお……おかえり、スウィッシュ。は、早かったな」
その横で採ってきたキノコや山菜を広げながら、ファミィがぎこちない笑みを浮かべてスウィッシュに声をかけた。
スウィッシュは、そんな彼女を一瞥してから「……ただいま」と応え、それから冷ややかな声で言葉を継ぐ。
「ごめんね、ファミィ。もっとたっぷり時間をかけてから、ゆっくり戻ってくればよかったよね、あたし」
「い……いや、別に、そんな事は……」
「ううん、誤魔化さなくてもいいわよ」
気まずげに言い淀むファミィに、スウィッシュは弱々しく首を左右に振った。
そして、苦笑を浮かべながらふたりの顔を見回しながら言葉を継ぐ。
「今のあなたたちがどういう関係なのかは、もうバレッバレだから。今更隠さなくてもいいわよ」
「ば……バレバレ……そんなに?」
「うん、『逆にわざと見せつけてんのかコノヤロー!』って凍らせて、そのまま川流しにしてやりたくなるくらい」
「「……」」
冗談めかして言うスウィッシュだったが、その口調とは裏腹に声色から本気度を感じ取ったふたりは、思わず顔を引き攣らせる。
そんなふたりの反応を見たスウィッシュは、慌てて手を横に振りながら言葉を付け加えた。
「あ! でも、祝福するわよ! 幼馴染として、アルに彼女が出来るのかなってずっと心配してたから、ふたりが恋人になって本当に良かったって思ってるの!」
「お前にそんな事を心配されていたのか、己は……」
「あ……ありがとう、スウィッシュ」
と、スウィッシュの心からの祝福の言葉に、戸惑いつつもホッとしかけたふたりだったが、
「…………でもね」
「「……ッ!」」
続けてスウィッシュが紡いだ声を聞いた瞬間、その声色にただならぬ怒気を感じて、ビクリと身体を震わせる。
そんなふたりに、尚もにこやかな笑顔を向けるスウィッシュだったが……その瞳は笑ってはいなかった。
彼女は、凄惨な笑顔を浮かべたまま、更に言葉を続ける。
「……相思相愛になれて嬉しいのは良~く分かるんだけどさ……。出来れば、あたしが見ている前では控えてほしいなぁ~……って」
「……」
「ごめんね。自分勝手なお願いだとは思うんだけど……今のあたしには、あなたたちがイチャイチャしてるのを平常心で見ていられるほど、心の余裕が無いの。……何せ」
そう言った彼女は、おもむろに眉を吊り上げると、
「あのヘタレバカ魔王が、あたしの告白に対する返事もしないまま逃げたからッ!」
この場に居ないギャレマスに対する激しい憤りを露わにするのだった。




