魔王と老エルフと獣道
「まったく……このクソヘタレ魔王めが……」
「……」
鬱蒼と茂る木々を縫うように続く細い獣道を先頭に立って辿る魔王ギャレマスは、背中から浴びせかけられる不満たらたらなぼやき声が耳に入り、無言のまま顔を顰めた。
彼が渋面を浮かべているのを知ってか知らずか、少し離れて後ろをついていくエルフ族の老人は、更に声のトーンを上げる。
「はーやれやれ……前世も含めれば三百と三十年あまりも生きてきたが、初めて聞いたわい。仮にも“魔王”と称される男が、ただひとりの娘っ子の前から、まるでコソ泥のように尻尾を巻いて逃げ出すなどとはのう……」
「……」
「ちゅーか、女子が勇気を振り絞って伝えた想いに対して、まともに応えずにトンズラこくとか……魔王だ何だという以前に、普通に男としてあり得んわい。お前さんの股座にぶら下がっとるのは、ただの飾りか、それとも冬虫夏草的な寄生キノコかなんかかえ?」
「そ……そのくらいにしてくれ、ヴァートス殿……」
背後から絶え間なく浴びせかけられる嫌味と罵声と嘲弄に耐え兼ね、ギャレマスは辟易とした顔で懇願した。
「もう……貴殿に責められずとも、充分に分かっておる。余が……スウィッシュの想いに対して、最低極まる事をしておる事はな」
「じゃったら、今から戻って、あのお姐ちゃんにキチンと伝えてこい。お前さんの、お姐ちゃんに対する気持ちをな」
「……それが出来たら、今こうしてはおらぬ」
ヴァートスの正論に、ギャレマスは渋い顔で頭を抱える。
早朝に、爆睡していたところをギャレマスに叩き起こされて、いたく不機嫌だった老エルフに出発を促す為、止む無く昨晩のスウィッシュとの顛末を打ち明けた事を後悔するが、もう遅い。
ギャレマスは、顔を顰めたまま、萎んだ声で言葉を継いだ。
「まだ、良く分からぬのだ……。自分が……彼女が向けてくれた好意に対して、どう答えるべきなのか……どう応えたいのか……。昨晩からずっと考えておるが、一向に結論が出ぬ……今もな」
「……だから、もっと考える時間が欲しい。その為の時間を稼ぎたくて、お姐ちゃんを置き去りにして、急いで出発した……という訳か」
ギャレマスの言葉を聞いたヴァートスは、大きく溜息を吐いて、呆れ顔で肩を竦める。
「……何じゃ、その青臭い言い訳。ラノベの童貞主人公かオノレは。……いや、ラノベの自称中二病陰キャ坊主の方が、なんぼかアグレッシブじゃぞい」
「ら……らのべ? チュウニビョウインキャ……?」
「あーあー、意味は解らんでも良い。でも、ニュアンスは何となく解るじゃろ?」
「……まあ、余が罵倒されておるだろうというのは、何となく察した」
「それだけ解りゃ充分じゃ」
ヴァートスは、憮然とした顔のギャレマスにしたり顔で嘲笑いかけた。
そして、探るような目を向けながら、魔王に尋ねる。
「で、どうする? ワシにボロクソに言われて、やっぱり気が変わったか? 王道純愛ラブコメじゃったら、ここは颯爽と踵を返して、お姐ちゃんにビシッと想いを伝えに行くのが定番じゃぞ」
「い……いや、それは……」
「はぁ~……そうじゃったな。この作品は、純愛ラブコメじゃなくて、主人公ヘタレ系ドタバタハイファンタジーコメディじゃったわい……」
ヴァートスは、逡巡するギャレマスにジト目を向けながら、大げさに溜息を吐いた。
「やれやれ……どこまでヘタレなんじゃ、この魔王は。ここまで発破をかけてやっても火が点かんとは……半端に齢を食って枯れとるクセに、すっかり湿気とる」
「う……」
「まあ良いわい。戻るのが嫌なら、先に進むしかないのう」
気まずげに項垂れるギャレマスに、呆れ交じりに言ったヴァートスは、顎をしゃくって獣道の先を指し示す。
「この獣道を辿れば、丸一日ほどでウンダロース山脈の麓に着くが……年老いた体には些か堪えるのう」
「……もう疲れたのか、ヴァートス殿? すまぬが……休憩は、もう少し進んでからに――」
「分かっとる分かっとる! 一刻も早く離れたいんじゃろう? 蒼髪のお姐ちゃんが居るワシの村から、な」
「……」
嫌味混じりのヴァートスの言葉に、ギャレマスは返す言葉も無く眉を顰めるだけだった。
そんな魔王の顔を見たヴァートスは、ニヤリと笑うと、膝を曲げてぴょんと身軽に跳んだ。
そして、そのまま魔王が背中に背負った背嚢にしがみついた。
「うおっ? ヴァ、ヴァートス殿ッ? ど、どうなされたっ?」
老エルフの奇妙な行動に、ギャレマスは驚きの声を上げる。
一方、ヴァートスは、セミのような格好で背嚢に張り付いたまま、陽気な声で言った。
「ええい、ワシャ疲れた! じゃから、こっから先は、お主がワシをおぶっていけぃ!」
「え、えええっ? ここからって……ずっとか?」
「当たり前じゃい!」
狼狽した声で訊き返したギャレマスに、弾んだ声で答えるヴァートス。
「お前さんは、“地上最強の生物”と呼ばれる男じゃろうが! じゃったら、干からびたジジイの一人や二人背負って歩くくらい、造作も無い事じゃろう!」
「い……いや、そうは言っても、今の余は、背中に荷物が詰まった背嚢を背負っておるのだ。その上、貴殿にしがみつかれては、さすがに……!」
「何じゃ何じゃ! そんなヘタレた事を言いおって! そんな事では、世界に轟く“雷王”の名が泣くぞい!」
ヴァートスの叱咤にムッとした表情を浮かべたギャレマスは、歯を食いしばって前に足を踏み出すが……、
「……い、いや、やっぱりキツい! ひ、膝が軋む……っ!」
そう呻くように言いながら、荷物+ヴァートスの荷重に耐えかねて悲鳴を上げた膝を押さえる。
「や……やっぱり下りてくれ! こ、これでも、色々と身体にガタが来ておるのだ……! 何せ、もう齢百五十の中年なのだぞ、余は……」
「フン! ワシの半分しか生きておらんクセに、情けない泣き言を吐くでないわ!」
蹲るギャレマスの背中から彼を叱咤したヴァートスは、ふと「……そうじゃ」と声を上げると、おもむろに魔王の背中に畳まれている黒翼を引っ張った。
「痛っ! きゅ、急に何をするのだ、ヴァートス殿っ?」
「これよ! 膝が痛いのなら、コレを使えば良いじゃろうが!」
「こ、コレって……と、飛べというのか?」
「他に何がある」
驚愕するギャレマスに、ヴァートスは涼しい顔で言い放つ。
「膝が痛いんじゃろ? じゃったら、歩くよりも飛んだ方が楽だし、速かろう」
「い、いや……確かにそうかもしれぬが、荷物と貴殿を乗せた状態でまともに飛べるかは……」
「ええい! ワシャ知っとるんじゃぞ!」
逡巡するギャレマスを、ヴァートスは一喝した。
「お主、前にファミィさんを抱えて空を飛んだ事があるそうじゃないか! あの“だいなまいとぼでぃ”のファミィさんを抱えて飛べたのに、こんな華奢なジジイを乗せて飛べぬ理屈は無かろうて!」
「い……いや、確かにそうだが、あの時は荷物を背負ってはなかったし……」
「ええい、いちいちイジイジと五月蝿い奴め!」
ヴァートスは、業を煮やした様子で声を荒げると、ギャレマスのローブの下から無理やり黒翼を引っ張り出して展張させた。
「あ! ちょ、ちょっと! 余はまだやるとは……」
「喧しいわ! いいからさっさと飛ばんかい! ハイヨーっ!」
「痛い痛いっ! ちょ、ちょっ! 余は馬ではないぞ!」
拍車をかけるように脇腹を強かに蹴りつけられたギャレマスは、悲鳴混じりの抗議の声を上げるのだった。




