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魔王と氷牙将と抱っこ

 「ふわぁあああ……」


 ファミィを抱えたアルトゥーが、ヴァートスの小屋を出て行くのを見届けたギャレマスは、おもむろに顔を顰めると、大きな欠伸をひとつした。


「さて……と」


 そう呟いた彼は、眠気で霞む目を擦りながら、座ったままの姿勢で顔を俯かせ、微かな寝息を立てているスウィッシュの元に歩み寄る。

 そして、彼女の肩を優しく揺さぶった。


「おい……スウィッシュ、起きよ。こんなところで寝ていては、悪い風邪をひいてしまうぞ。ちゃんと寝床で寝るのだ」

「……むにゃ……むにゃ……」


 ギャレマスの声かけにも、スウィッシュは目を覚まさない。幸せな夢でも見てるのか、だらしない微笑みを浮かべながら、不明瞭な寝言を口にするだけだ。

 彼女が目を覚まさない事に当惑しながら、ギャレマスは更に強めに声をかける。


「ほら、いいから起きるんだ。おい、スウィッシュ!」

「えへへ……ほんろうれすかぁ? じ……じつはあらしもぉ……」

「……ダメだ。全然目を覚まさぬ」


 両肩に手を置いて激しく揺さぶっても全く起きる様子が無いスウィッシュに、ギャレマスは嘆息した。


「しかたない……」


 彼は諦め顔で呟くと、先ほどのアルトゥーと同じように、スウィッシュの身体を持ち上げようと手を伸ばす。

 ……が、その手は途中で止まった。


「え、ええと……どうやって持ち上げるべきか……」


 困惑の表情で呟いたギャレマスは、ウロウロと両手を彷徨わせる。


「こう……むう、これだと、足を引きずってしまうな……。じゃあ、こう……い、いや、余のような中年親父がこんな風に抱きかかえたら、セクハラと取られかねぬ。ならば……」


 そんな試行錯誤を続けた末、ギャレマスはスウィッシュの前に回ると、彼女に背を向けて屈み込んだ。


「ほれ、スウィッシュ。余の背中に乗っかれ。おんぶして運んでやるから」

「……」


 ギャレマスの声にも、スウィッシュが反応した気配は無い。

 彼が振り返ると、スウィッシュは先ほどまでの姿勢から微動だにしていなかった。


「……仕方ないな」


 ギャレマスは溜息を吐くと、彼女の腕を取り、自分の肩に乗せる。


「ほら……あとは、余の背中に体を預けるだけで良い。さあ……」

「う、うぅ~ん……」


 ギャレマスに急かされたスウィッシュは、半分眠ったままで、軽く唸りながらノロノロと腰を上げた。

 そして、ギャレマスの首に両腕を絡ませ、ギャレマスの背中に自分の身体を預ける。


「む……お、おも……あ、いや、それで良い」


 ギャレマスは、思わず「重い」と口にしかけてから慌てて言い直し、小さく頷いた。

 そして、スウィッシュの尻に触れないよう注意しながら、彼女の太股を抱える。


「よっ……こいしょ――」


 彼は、掛け声をかけて立ち上がろうとした――が、


「お……お、おっとっとぉ?」


 急に立ち上がったのと、酔いが足に回っていたせいで、ギャレマスはバランスを崩す。


「う、うわあああっ!」


 彼は、情けない悲鳴を上げながら横ざまに倒れた。


「痛たたたた……だ、大丈夫か、スウィッシュ?」


 彼は、床にぶつけた頭を押さえながら、慌てて背負っていたスウィッシュに声をかける。

 だが、彼女からの返事は無かった。


「お、おい! どうした? スウィッシュ?」


 ギャレマスは、スウィッシュが返事をしない事に焦りながら、慌てて起き上がろうとする。

 ――と、その時、


「――へっ?」


 不意に、強い力で体を床に押し付けられたギャレマスは、驚きの声を上げた。

 驚愕で見開いた彼の目に、彼に覆いかぶさったスウィッシュの顔が映る。

 彼女の顔は、何かを思いつめたように強張っていて、その頬は真っ赤に染まっていた。


「ど、どうしたのだ? そんな怖い顔をして……」

「……」


 戸惑いながらギャレマスが問いかけても、スウィッシュは答えない。

 ただただ、熱に浮かされたような瞳で、彼の顔をじっと見つめている。


「お、おい、スウィッシュ? もしかして、倒れた時に頭でも打ったのか? 大丈夫か?」

「……」


 心配するギャレマスの声に、スウィッシュは無言で首を横に振った。

 だが、彼女は依然としてギャレマスの上に覆いかぶさったまま、微動だにしない。


「す、スウィッシュ? すまぬが、身体をどけてくれぬか? これでは、立ち上がれぬ……」

「……ヤです」

「へ? 今なんと……?」

「……嫌です」

「はいぃ?」


 思わぬスウィッシュの返事に、ギャレマスは思わず当惑する。


「い、『嫌です』って……どうしたのだ?」

「……」

「さては……酔っておるのだな? なら、さっさと寝るのだ。寝床まで運んでやるから――」

「……」


 ギャレマスの言葉に答える代わりに、スウィッシュは顔を彼の胸に埋めた。

 彼女の予想だにしない反応に、ギャレマスはますます狼狽する。


「す、スウィッシュ……さん? 本当に一体どうし――」

「……きです」

「……へ?」


 スウィッシュの声は、くぐもってよく聞こえなかった。

 ギャレマスは、左胸の奥が跳ねるのを感じながら、恐る恐る訊き返す。


「な……何と申した? すまぬが、良く聞こえ――」

「――『好きです』って言ったんです!」


 ギャレマスの問いかけを遮るように、スウィッシュが勢いよく顔を上げながら絶叫した。

 それを聞いた魔王は、呆然としながら目をパチクリさせる。


「す……“好き”? な、何が好きだというのだ?」

「そ、そりゃ……決まってるじゃないですか……」


 尋ねるギャレマスの顔を見下ろしながら、スウィッシュは囁くように答えた。

 その顔はリンゴよりも紅く、その瞳は雨に濡れた紫水晶のようにキラキラと輝いていたが、それは酔いによるものではない。

 そんな彼女に見つめられたギャレマスの左胸が、今度は早鐘のような音を立て始める。

 だが、彼は努めて平静を装った声で言った(トボけた)


「そ、そうか! 酒の事だな? 酒が好きなのは結構だが、あまり飲み過ぎると――」

「違います。あたしが……」


 スウィッシュは、そう言ってギャレマスの言葉に小さくかぶりを振ると、彼の顔を真っ直ぐ見返しながら、ハッキリと答える。


「あたしが好きなのは――陛下です」

「お…………おう、そうか!」


 スウィッシュの紡いだ言葉に、また一段階鼓動が早まったのを誤魔化すように、ギャレマスは大げさに頷いてみせた。


「も……もちろん、余もお主の事を好きだぞ! 余には勿体ない程の優秀な人材だと思って――」

「違います! 今言った『好き』は、そういう……臣下としての『好き』じゃなくて――!」


 ギャレマスの言葉を聞くや、彼女は首を激しく左右に振り、それから熱情の籠もった瞳で彼の顔を見つめる。

 それから、大きく息を吸って、


「あたしは! 陛下の事を! ()()()()愛しているって事ですッ!」


 と、長年溜め込んだ思いの丈をぶつけたスウィッシュは、何か言おうとしたギャレマスの唇を自らの唇で塞いだのだった。

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