魔王と終宴と介抱
作戦会議を経て今後の方策が固まった後、宴席は再開された。
ギャレマスたちとヴァートス、そして半人族たちは、互いに酒を酌み交わし、大いに飲み食いし、共に踊ったり歌ったりした。
黄色く輝く半月が漆黒の夜空の真ん中に鎮座する頃になっても、鬱蒼と茂る森の中にある半人族の村に響く歓声と喧騒は絶えなかった――。
――その喧騒がようやく収まったのは、それから三時間ほど経ってからだった。
「イィー……」
「ムニャァ……」
「グゥ……」
宴会場だった村の中央広場のあちこちには、すっかり酔いつぶれた半人族たちが横たわり、大きく膨れた腹を緩やかに上下させながら、野太い鼾を立てている。
そして、広場の奥に建つ村長の家の中でも――。
「……ヴァートス殿? おい、御老体?」
「むにゃむにゃ……」
ギャレマスの問いかけに、ヴァートスは激しく前後に船を漕ぎ始めながら、不明瞭な寝言で応えた。
「ヴァートス殿、もう横になった方が良かろう。寝床まで連れて行くぞ」
「むにゃ……大丈夫じゃい。まだまだ飲み足りんわ……。終電まで、まだもうちょい時間が……」
「……シュウデン? いや……もう半分寝ておるだろう。もう良い齢なのだから、無理をするでない」
「いんにゃ……あと一杯……締めのラーメンが……」
「らあめん? ……ダメだ。もう夢の中に居られるらしい」
ギャレマスは呆れ顔で首を横に振ると、大きな鼾をかき始めたヴァートスの背に回り、老エルフの脇の間に腕を入れて抱え上げる。
「アルトゥー、頼む。脚の方を持ってくれ」
「…………了解」
主の頼みに、真っ赤な顔でぐったりと俯いていたアルトゥーが、緩慢な動きで頷きながら立ち上がると、覚束ない足取りでヴァートスの脚を抱えて持ち上げた。
「よっ……こいしょっと……」
「ふん……ぬっ!」
ふたりは、掛け声を合わせて小柄なヴァートスを持ち上げ、よたつきながら奥の部屋まで運ぶ。
そして、寝乱れたままの簡素なベッドの上に老エルフの体を横たえ、そっと掛け布団をかけてやった。
「ぐごごごぉ~……むにゃむにゃ……」
「……ふぅ」
ベッドの中で身じろぎしながら枕を抱え、安らか……とはあまり言えないような大鼾をかき始めたヴァートスを見下ろしていたギャレマスは、おもむろに手を口で覆うと、大きなあくびをした。
「さて……もう、だいぶ夜も更けた。そろそろお開きにして、我らも寝るとするか」
「……了解した」
彼の傍らで、アルトゥーが半開きの目を擦りながら頷く。
ふたりは、眠気と酔いで覚束ない足取りでヴァートスの寝室を出た。
先ほどまで宴が催されていた部屋の中には、夥しい数の酒瓶と空になった皿、そして酔いつぶれて爆睡している半人族たちが混ぜこぜになって床に転がっている。
その中には、すっかり前後不覚になった蒼髪の魔族の娘と金髪のハーフエルフの女の姿もあった。
「やれやれ……」
アルトゥーが呆れ声を漏らすと同時に、微かな苦笑を浮かべる。
そして、床に転がる酒瓶や半人族の身体を注意深く避けながら、木のコップを手に持ったまま寝入っているファミィの元に近付いた。
そして、彼女の肩を優しく揺すりながら声をかける。
「……おい、ファミィ。宴は終わりだ。もう寝ろ。立てるか?」
「…………ん」
微かに呻きながら、ファミィはゆっくりと顔を上げた。
そして、寝ぼけて半分閉じたままの眼で、声をかけたアルトゥーの顔をぼんやりと見上げる。
「あ……アル……トゥー……だぁ」
「起きたか? 歩けそうか? 無理だったら、己が肩を貸してや――」
「いーやーだー!」
突然、ファミィはいつもの彼女らしくない嬌声を上げると、アルトゥーの身体に勢いよく抱きついた。
「お、おい? ど、どうした、ファミィ?」
「やーだー! 歩けなーい! だからアルトゥー、抱っこして~!」
驚くアルトゥーの首に腕を絡ませながら、ファミィは甘え声で言う。
そんな彼女の懇願に、アルトゥーは狼狽しながら首を横に振った。
「い、いやちょっと……! よ、酔ってるのか、お前?」
「酔ってまーす! 酔っちゃってるから、たくさん介抱してー! きゃはは!」
「ま、まったく……相変わらずだな」
「相変わらずでーす! だって、酔っぱらうと、寝床の中でアルトゥーがいっぱい甘えさせてくれるんだもーん!」
「お、おいいいいっ! お、おまっ……こ、こんなところで……!」
ファミィの放言に、慌てて彼女の口を手で塞いだアルトゥーは、呆然とした様子で突っ立っているギャレマスの方に恐る恐る目を向け、彼の首元にしがみついたファミィの耳元に小声で囁きかける。
「お……おい、他人が……王が見ているのに、そんな事を――」
「……うみゃ……んんにゃ……」
だが、ファミィはアルトゥーに抱きついたまま、静かな寝息を立て始めていた。
「……」
「……」
ファミィを抱えたアルトゥーと、立ち尽くすギャレマスの間に、重苦しい沈黙が垂れ込める。
先に口を開いたのは、アルトゥーだった。
彼は、今の騒ぎにも気付かぬ様子で寝息を立てているスウィッシュの方をチラリと見て、
「……頼む。今のは他言無用で……。特に、氷牙将には……」
と、縋るような目で主に懇願した。
その必死の形相に、ギャレマスもぎこちなく頷く。
「う、うむ……相分かった」
「で、出来れば、彼女にも……」
ギャレマスの返事に安堵の表情を浮かべたアルトゥーは、抱きついているファミィの身体を抱え上げながら、言葉を継いだ。
「いっしょに旅をして分かったんだが……彼女は酔うと、いつもこんな感じで、色々と正直になるというか……。多分、明日目が覚めたらきれいに忘れてるだろうから、王も知らぬふりをしてくれると助かる。多分、素面の彼女が今の事を思い出したりしたら……」
「お、おう、もちろん」
ギャレマスは、アルトゥーの言葉の先を察し、安心させるように頷く。
「安心せよ。魔王の称号に賭けて、今の事は決して口外せぬ」
「……すまん」
アルトゥーは、安堵の表情を浮かべると、抱き上げたファミィの金色の髪を優しく撫でた。
「……じゃあ、王よ。お先に失礼する」
「あ、ああ。おやすみ」
ギャレマスは、背を向けたアルトゥーに声をかける。
と、アルトゥーがおもむろに振り返った。
そして、少し躊躇いながら、おずおずと口を開く。
「……王よ。その……ひとつ訊きたいのだが」
「? なんだ?」
訝しげに訊き返したギャレマスに、アルトゥーは真剣な表情を浮かべて言った。
「ま……魔族の男が、他の種族の女とつがいになる事は……赦されるのだろうか? 例えば……エルフ族の者とか……」
「……!」
躊躇いがちに紡がれたアルトゥーの問いかけに、ギャレマスは一瞬驚いて目を見開く。
が――すぐに穏やかな微笑みを浮かべて、大きく頷いた。
「ふ……赦されぬはずなど無かろう。余は……我が国は、互いに愛し合っている男女の仲を裂くほど、無粋でも狭量でもないぞ」
「……そうか」
ギャレマスの答えを聞いたアルトゥーは、安堵で口の端を僅かに綻ばせる。
そして、優しげな微笑を浮かべているギャレマスに向かって深々と頭を下げた。
「ありがとう。王の部下で良かったと、初めて思った」
「あ、初めてなんだ……」
アルトゥーの言葉を聞いたギャレマスは、微笑みを湛えた頬を引き攣らせるのだった。




