魔王と老エルフと質問
「……」
ヴァートスの苦い呟きを聞いたギャレマスたちも、暗い表情を浮かべて黙り込んだ。
彼らの沈んだ表情を見て、言葉が分からずとも穏やかならぬ話をしているであろう事を察した半人族たちも、心配げな顔をして静まり返り、小屋の中には重苦しい空気が立ち込める。
――その沈黙を破ったのは、ギャレマスだった。
彼は、手にしていたコップを静かに床へ置くと、真剣な眼差しをヴァートスに向け、静かに口を開く。
「――ヴァートス殿」
「……何じゃ、ギャレの字?」
ギャレマスに倣うようにコップを置きながら、ヴァートスは探るような目を向けた。
そんな彼の目を真っ直ぐに見返したギャレマスは、張り詰めた弓の弦を思わせる声で言葉を継ぐ。
「異世界転生者である貴殿は、ご存知ないか?」
「……何をじゃ?」
「サリアを……我が娘を元に戻す方法――」
そう言ったギャレマスの金色の瞳が、ギラリと光った。
彼は、無意識に膝の上に置いた拳を強く握りしめながら、表向きは淡々とした口調で言葉を続ける。
「……あの“ツカサ”とかいう女から、サリアの体と心を取り返す為の……何か手立ては無いのか?」
「……」
縋るような声で紡がれたギャレマスの問いかけに対し、ヴァートスは無表情のままで黙っていた。
ギャレマスは、そんな彼の様子に激しい苛立ちを覚えたが、懸命に心を落ち着けて、更に問いを繰り返す。
「何か……何でもいい。あの娘を取り戻す方法があれば、どうか教えてくれ。――頼む」
「……」
「それとも……無いのか? もう……娘は帰ってこないのか……永遠に――?」
「……」
「……ヴァートス殿!」
なおも沈黙を貫くヴァートスに、ギャレマスは思わず声を荒げた。
「ええい! 黙ったままでは分からぬ! 何とか言ったら――」
「ふう、今宵も蒸し暑いのう」
おもむろに、ギャレマスの怒声とは対照的なのんびりとした声を上げたヴァートスは、横に置いてあった団扇を手に取って優雅に煽ぎながら、もう一方の手で禿げ頭に浮かんだ汗を拭う。
そして、不安そうな顔でギャレマスの横に座っていたスウィッシュの方に顔を向けると、柔和な笑顔を浮かべ、自分の前に置かれた木椀を指さした。
「蒼髪の姐ちゃんや。おかわりを頼む」
「えぇ……? ま、またですか?」
ヴァートスの催促に、スウィッシュは当惑の表情を浮かべる。
彼女は傍らのギャレマスの横顔をチラリと伺い見てから、おずおずと老エルフに言った。
「というか……今は、陛下との真剣なお話の最中ですよ。おかわりとかは、お話が終わってから――」
「ええい! こう蒸し暑うてはロクに頭も回らず、ギャレの字の言う事がちいとも頭に入って来んからと、ワシはアレのおかわりを所望しておるというのに、そんな事も察せられんのかい! まったく……最近の若いモンは気が利かんのう!」
「そ……そこまで言う事も無いじゃないですか!」
ヴァートスの叱責に、スウィッシュも思わずカッとなって言い返す。
だが、そんな彼女の剣幕を前にしても、老エルフは少しも怯む事無く、それどころか。わざとらしく嘆息してみせた。
「はぁ~、自分の至らなさを棚に上げて逆ギレするとは、さても嘆かわしい事じゃのう。お主が甘やかし過ぎておるせいじゃないのか、ギャレの字よ」
「ちょ! あたしの至らなさ云々に、陛下は関係無いでしょうが!」
「いーや、大いに関係あるわい!」
ヴァートスは大げさな素振りで頭を振ると、目を吊り上げているスウィッシュとオロオロしているギャレマスの事を交互に指さす。
「ギャレの字とお前さんは、理無い仲じゃろうが!」
「わ、わり……ッ?」
「相方の至らぬ所は、もう片方の責任じゃぞ!」
「ちょ、ちょっと待たれよ、ヴァートス殿ッ!」
口角泡を飛ばしながら捲し立てるヴァートスの声を、ギャレマスが慌てて遮った。
彼は、首と両手を大きく左右に振りながら、必死で否定する。
「き、貴殿はとんでもない誤解をしておるぞ! よ……余とスウィッシュは、あくまで主従の間柄でしか無い! わ、理無いとかそういう……」
「何じゃ、ギャレの字。お前さん、まだ食っとらんかったんか?」
「く…食うって……」
「ワシャてっきり、もう行き着くところまで行っとるんかと思うとったがなぁ。ふたりで仲良く異世界に行ってきたんじゃろ? 普通のラノベじゃったら、そこで吊り橋効果発動でサービスシーンに移行するところじゃぞ」
「さ、サービスシーンって……」
「……マジで何もしとらんのか? 呆れた。お主の股の間に付いてるモンは、小便を垂れ流すだけのホースか?」
「ヴァ、ヴァートス殿……繰り返すが、余とスウィッシュはあくまで――痛あぁぁぁっ!」
必死に抗弁するギャレマスの声は、途中で苦痛に満ちた絶叫に変わった。
「ヴァートス様、おかわりですねッ! ただ今ご用意いたします~♪」
ギャレマスの二の腕を思い切り抓り上げながら、さっきまでの不満顔が嘘のような輝かしい笑みを満面に浮かべたスウィッシュが弾んだ声を上げた。
「おうおう! 頼むぞい、お姐ちゃん」
「喜んで~♪」
涙目で腕をさするギャレマスを尻目に、ヴァートスから木椀を受け取ったスウィッシュは、
「本当は、こういう使い方するもんじゃないんですけどね、あたしの氷魔術は……。今回は特別ですよ」
と言いながら木椀を床に置き、その上に手を翳す。
「氷華大乱舞魔術――ちょっとだけ」
そう、彼女が潜めた声で詠唱すると、その掌から細氷片がパラパラと雪のように舞い落ち、やがて、溜まった細氷片は木椀の中でこんもりと山盛りになった。
「はい、お待たせしました! どうぞ召し上がれ~♪」
「ヒョッヒョッヒョッ! 待ってました!」
スウィッシュから、細氷片が積み上がってきれいな三角形を形作った木椀を受け取ったヴァートスは、上機嫌な笑い声を上げると、今度はファミィに向かって手を伸ばす。
「ファミィさんや、そこの蜂蜜を取ってくれんかの?」
「……はいはい」
呆れと諦めが入り混じった顔のファミィから蜂蜜瓶を受け取ったヴァートスは、鼻歌交じりで栓を開けると、中の蜂蜜を氷の山に振りかけた。
「ヒョッヒョッヒョッ! 正直、もう死ぬまで食べれないと諦めておったんじゃ、かき氷!」
ヴァートスはそう言いながら、蜂蜜の絡んだ細氷片を匙で一掬いすると、そのまま口に運ぶ。
次の瞬間、彼は顔を顰め、こめかみのあたりを押さえながらも、嬉しそうな声を上げた。
「くぅ~っ! キーンとするぅっ……コレじゃよコレ! 夏と言えばかき氷じゃわい!」
そう叫びながら、もう一口氷を頬張り、愉悦に満ちた顔をするヴァートスを、ギャレマスは冷ややかな目で見るのだった……。




