魔王と宴会と宇宙
日が沈み、とっぷりと夜の帳が下りた中、いつもならひっそりと静まり返っているはずの半人族の村は、村人たちの歓声と喧騒で大いに賑わっていた。
その日の夕方に村を訪れた彼らの友人・魔王ギャレマス一行を歓待する宴が開かれているからである。
半人族たちは、日頃蓄えていた作物や干し肉、秘蔵の蜂蜜酒を惜しげもなく倉から出し、ギャレマスたちに振る舞いながら、自分たちも大いに飲み食いした。
ギャレマスたちは、そんな半人族たちの熱烈な歓迎ぶりに驚きながらも、その心の籠もったもてなしに喜びを覚えるのだった。
◆ ◆ ◆ ◆
「ほう……そんな事になっておったんかい、お主ら……」
盛大な宴の会場となった自分の丸太小屋の中で、木製のコップ片手にギャレマスの言葉に耳を傾けていたヴァートスは、魔王の話が終わると小さく息を吐いた。
そして、コップの中に残ったワインを飲み干すと、白い顎髭をしごきながら、難しい顔をして低く唸る。
「ふむ……あのお嬢ちゃんが、日本からの異世界転生者じゃったとはな……」
ヴァートスはそう呟くと、小さく頷いた。
「そうじゃないかとは思っとったが――」
「……え?」
ヴァートスが漏らした呟きが耳に入ったスウィッシュは、驚きで目を大きく見開く。
ギャレマスも驚きを隠せない様子で、老エルフに訊ねた。
「ヴァ……ヴァートス殿っ? そ、『そうじゃないかとは思っていた』とは、どういう意味だ?」
「まさか……前から気付いていらっしゃったんですか? サリア様が異世界転生者だって事に……?」
「まあ……薄々はのう」
彼の答えに、ギャレマスとスウィッシュは当惑しながら顔を見合わせる。
そんなふたりを尻目に、ヴァートスは涼しい顔で床に置かれた木皿の上から干し豆を一つ摘まむと、口の中に放り込んだ。
ギャレマスは、干し豆をバリボリと嚙み砕いているヴァートスにおずおずと訊ねる。
「のう……いつから気付いておったというのだ?」
「ん? ああ、あの時じゃよ」
ギャレマスに向かって無造作にコップを差し出し、目で『注げ』と促しながら、ヴァートスは答えた。
「ほれ……あの、アヴァーシの温泉施設……何と言ったかのう……」
「あ、『良き湯だな』の事か?」
「そうそう、そこじゃ」
ヴァートスは上機嫌な声を上げながら頷き、ギャレマスが注いだボナクシュ産貴腐ワインを美味そうに啜る。
そして、唇に付いたワインの雫をぺろりと舐め取ると、言葉を続けた。
「――あそこで、みんなで昼飯を食ったじゃろう? その時、あの嬢ちゃんが口にした言葉でピンと来たんじゃ。『オレの胃袋は宇宙だ』という一言でな」
「あ、そういえば、そんな事を言っていたな」
老エルフの言葉に、蜂蜜酒が入ったコップから唇を離したアルトゥーが、軽く首を傾げる。
「でも……良く解らなかった。何なんだ、“ウチュウ”とは?」
「確かに……」
「私も……初めて聞く言葉だ」
アルトゥーの言葉に、スウィッシュとファミィも訝しげな表情を浮かべた。
――そんな三人の反応を見たヴァートスが、得意げな表情を浮かべながら、満足げに大きく首肯した。
「――そう、それよ」
「“それ”? それって……どれ?」
「そういう事か……」
ヴァートスの言葉にますます困惑の表情を浮かべる三人とは対照的に、ギャレマスは静かに呟くと、彼の顔を真っ直ぐに見据える。
「その“ウチュウ”というものを知っているという事が……サリアが異世界転生者である証なのだな?」
「左様。さすが、腐っても魔王じゃな。察しが良い」
ギャレマスの言葉に、ヴァートスはニヤリと微笑った。
そして、もう一口ワインを啜ると、上機嫌な声で言葉を継ぐ。
「“宇宙”っちゅうのは、この世界の空の更に上を指す言葉じゃ。空気も重力も無い、光の速さでも何万年もかかるほどにだだっ広い空間が、この空の向こう側に広がっておってな……」
「く、空気も重力も無い……?」
「光の速さで何万年も……?」
ヴァートスが口にした、あまりのスケールの大きい話に、スウィッシュとファミィは口をあんぐりと開け、
「し、信じられないな……。この空の上に、そんな訳の分からない空間が存在しているなど……」
アルトゥーは、引き攣り笑いを浮かべながら首を左右に振った。
それを聞いたヴァートスは、思わず苦笑を浮かべる。
「ああ、それが、未だ天文学の発達していないこの世界の者たちの正常な反応じゃろうな。……じゃが、ワシのように、地球という惑星から転生したり転移してきた者たちにとっては、その“宇宙”という概念の方が常識なんじゃ」
そう言ったヴァートスは、ふうと一息吐いてから、「それにのう……」と言葉を継いだ。
「その上、あの嬢ちゃんが口にした『オレの胃袋は宇宙だ』という言葉は、日本で流行ったマンガだかドラマだかの決め台詞なんじゃ」
「ま……まんが? どらま?」
「まあ……この世界の者にも解るように言えば、さしずめ“絵草紙”と“演劇”といったところかのう。……ともあれ、その決め台詞を知っておるという事は、あの嬢ちゃんは、早くても1990年代の日本から転生してきたという事に他ならぬと、ワシは考えとった」
「……貴殿の、その予測の通りだった」
ギャレマスは、ヴァートスの言葉に頷くと、手に持った木製のコップに溜まった血の色をしたワインを一気に飲み干す。
そして、老エルフの事を、まるで責めるような目で見据えた。
「なら……そこまで解っておったのなら、どうして余に教えてくれなかったのだ? もしも、サリアが異世界転生者だと分かっていれば、あやつを危険な目に遭わせる事を可能な限り避け、前世の記憶を思い出させないようにする事も出来たというのに……!」
「……まあ、あの時点では、そこまで確証があった訳でもなかったからのう」
ギャレマスの声の中に、微かな苛立ちと怒りの色が混ざっている事に勘付いたヴァートスは、少し表情を曇らせながら答える。
そして、険しい目で彼の事を見据えながら、「――それに」と言葉を継いだ。
「正直に言うと……ワシは、あの嬢ちゃんが異世界転生者である事を知ったお主が、あの娘への接し方を変えてしまわぬかと心配したのじゃ。このまま“覚醒”せずに済むのなら、知らないままの方が良かろうと思ってのう……」
「ヴァートス殿……」
「まあ……お嬢ちゃんが“覚醒”してしまった今となっては、虚しい気配りじゃったがな……」
そう呟いたヴァートスは、苦々しげにワインを飲み干すのだった。




