魔王と老エルフと再会
「……」
ギャレマスに向かって炎の矢を放ったヴァートスは、仏頂面のまま、無言でギャレマスの方へと歩み寄る。
魔王もまた、穏やかな笑みを浮かべながら、近づいてくるエルフ族の老人の元へと歩を進めた。
「久しいな、ヴァートス殿。かれこれ半年ぶりくらいらしいな。……と言っても、余の体感時間では、最後に貴殿と会ってから、まだ二週間ほどしか経っておらぬのだが」
「……」
「突然押しかけて済まなかった。だが、どうしても貴殿に伺いたい事があってな」
「……」
ギャレマスがにこやかに話しかけても、ヴァートスは険しい表情を浮かべたまま、沈黙を貫いている。
互いに歩を進めたヴァートスとギャレマスは、ついに手の届く位置まで近づき、足を止めた。
相変わらずの不機嫌面で自分の事を睨んでくる、小柄なエルフの老人を苦笑交じりに見下ろしながら、ギャレマスは言葉を続ける。
「……まあ、御老体に尋ねても解らぬやもしれぬが、あいにくと『異世界転生』の知識を持っていそうな知り合いはお主だけで――」
「……フンッ!」
突然、裂帛の気合が乗ったヴァートスの一声が、ギャレマスの声を遮るように上がった。
それと同時に、“パァン!”という甲高い破裂音が森の空気を震わせる。
「――痛ったあああああああっ!」
破裂音からワンテンポ遅れて森に響き渡ったのは、ギャレマスの口から上がった悶絶の悲鳴だった。
彼は、ヴァートスが強かに蹴り上げた右ふくらはぎを腕で抱えながら、その場でピョンピョンと飛び跳ねる。
そんな彼の反応を鋭い目で観察していたヴァートスは、顎髭をしごきながらコクコクと頷いた。
「ふむ……脚は幻ではなく、ちゃんと付いとるようじゃのう」
そう呟いた老エルフは、じんじんと痛むふくらはぎをさすっているギャレマスの顔をしげしげと眺める。
「……それに、その大層な痛がりよう……生者の反応じゃな。どうやら、幽霊や屍鬼の類じゃあないらしいの、ギャレの字」
「あ……当たり前であろうが!」
ギャレマスは、目に大粒の涙を浮かべながら、ヴァートスに向かって抗議の声を上げた。
「み、見れば一目瞭然であろう! 余はこの通り、ピンピンしておるわ!」
「いや……ワシャ、お前さんたちは死んだと聞いとったし」
そう言うと、ヴァートスは少し離れたところに立っていたファミィの方に声をかける。
「のう、そうじゃろう? ファミィさんや」
「あ……ああ。確かに……あの時はそう言ったけど……」
急に尋ねかけられてビックリしながら、ファミィはおずおずと頷いた。
そして、バツ悪げにギャレマスとスウィッシュの顔をチラリと見てから、言葉を継ぐ。
「本当のところは、死んだのではなく、別の世界に飛ばされていたらしいんだ……。ほら、シュータ様がこの世界へやって来たのと同じように……」
「なんと……!」
ファミィの言葉を聞いたヴァートスは、思わず目を大きく見開いた。
そして、驚きの表情を隠せぬ様子で、ギャレマスとスウィッシュに尋ねる。
「それはつまり……お前さんらは“異世界転移”しとったっちゅう事かえ?」
「……はい」
ヴァートスの問いかけに、スウィッシュはコクンと頷いた。
「あの時、サリア様――いえ、サリア様の体を乗っ取った前世の人格の攻撃を受ける直前、青い光に包まれたあたしと陛下は、ここじゃない別の世界の女神へ――」
「ま、待て! 待つんじゃ、お姐ちゃん! 情報量が多すぎる!」
ヴァートスは、慌てた様子でスウィッシュを制止する。
そして、深い皺を刻んだ額に指を当てながら、聞かされた内容を咀嚼しようとし始めた。
「か、“体を乗っ取った””? あのお嬢ちゃんの……“前世”? “人格”? 青い光……“別の世界”……?」
「……ヴァートス殿」
難しい顔をして、何とか情報を整理しようと脳味噌をフル回転させている老エルフに、ギャレマスがおずおずと声をかける。
「御老体のおっしゃる通り、この話はかなり入り組んでおって、理解するのに時間がかかる。なれば、こんな所で立ち話をするより、ゆっくりと腰を落ち着けられる、貴殿の家あたりで順々に話をする方が、理解が捗ると思うが……?」
「……確かにのう」
ヴァートスは、ギャレマスの言葉に小さく頷いた。
それを見た魔王も深く頷き、村の中へと歩き出す。
「……なれば、早速行こうではないか、村の中へ――」
「待てぇいッ!」
「痛ったああああああっ!」
ギャレマスは、ヴァートスが荒げた声と共に繰り出したローキックをふくらはぎに食らって前のめりに倒れ、鼻柱を地面に激しく打ち付けた。
「だ、大丈夫ですか、陛下ッ?」
「ヴぁ、ヴァートス殿……?」
慌てて駆け寄ったスウィッシュに助け起こされながら、ギャレマスは涙が滲む目をヴァートスに向けた。
そんな彼の視線を真っ向から受けたヴァートスは、憤然としながら怒声を上げる。
「なぁ~に、しれっと村長の赦しなく村の中に入ろうとしとるんじゃい!」
「い、いや……さっき、貴殿も同意したであろうが……」
「それとこれとは話が別じゃ!」
ヴァートスは地団駄を踏みながら、更に声を荒げた。
「ギャレの字! 普通、他人の敷地に上がり込もうというなら、手土産の一つも持って来るのがスジじゃろうが! 手ぶらでワシの村に入れると思うな――」
「……なんだ、そういう事か」
ギャレマスは、鬼のような剣幕で捲し立てるヴァートスを冷ややかに見ながらそう呟くと、おもむろに手を上げる。
「アルトゥー! ヴァートス殿に例のものを」
「……了解した」
声をかけられたアルトゥーは小さく頷くと、背負っていた背嚢の中から、絹布に包まれたものを取り出した。
そして、ゆっくりとヴァートスの前まで進み、彼にその包みを差し出す。
「……ご老人。お望みの土産だ。受け取れ」
「あ、お主もおったんかい。全然気づかんかったわ、ネクラの兄ちゃん」
「……」
憮然としながら、アルトゥーは半ば押し付けるようにして、ヴァートスに包みを渡した。
その感触と重みを知覚した瞬間、老エルフの表情が変わる。
「む……! ま、まさか……ッ!」
彼はギラリと目を輝かせると、引きちぎるように絹布を取り払った。
絹布の下から現れたのは――ずんぐりとした形をした酒瓶だった。
その表面に貼られたラベルを読んだヴァートスは、飛び出さんばかりに目を見開く。
「こ、これは……っ! 『幻のワイン』と名高いボナクシュ産貴腐ワイン! ……しかも、その中でも『三百年に一度の出来栄え』と絶賛される2319年物……ッ!」
「お気に召して頂けたかな?」
興奮で声を上ずらせるヴァートスに、心なしかドヤ顔のギャレマスが言った。
「酒好きな御老体が一番喜ぶだろうと思って、持ってきた。人里離れた半人族の村では、さぞかし美味い酒に飢えておられるだろうと思ってな」
「話せる!」
ギャレマスの言葉に、ヴァートスが満面に喜色を浮かべる。
そして、ギャレマスの肩をバンバンと激しく叩きながら、上機嫌な声で言った。
「いや~、年長者に対する礼儀をキチンと弁えとる! ワシャ、前からお主が出来る魔王じゃと思っておったんじゃ! 将来出世間違いなしじゃぞ、ギャレの字よ!」
「い……いや、出世っていうか……余は既に最高位なんだが……」
ギャレマスは、テンションMAXのヴァートスに辟易とする。
そんな彼のローブの袖を強く引っ張りながら、半人族の村の長である老エルフは、声を弾ませるのだった。
「ほれほれ! 何をモタモタしておる、ギャレの字! さっさと村の中に入らんかい! ワシら半人族の村の民は、お主らの事を心の底から歓迎するぞいっ!」
 




