勇者と狼獣人と変化
「で……いつまで待たせるんだよ、コラ」
魔王城正門前の大広場で、“伝説の四勇士”シュータ・ナカムラは、不機嫌な表情を浮かべながら、不遜そのものな態度で不満たっぷりの声を上げた。
「こっちは、わざわざ遠いところから飛んできてやったんだ。客を待たせるのが魔族のマナーだって言うのかよ、あぁっ?」
周囲を取り囲む魔王国兵たちを恫喝するように睥睨しながら、シュータは吠える。――と言っても、その姿には威厳や雄々しさといったものは欠片も無く、どちらかというと、酒場でぐだを巻く酔客や、往来でわざとぶつかって因縁をつけてくるチンピラに近かった。
そんな彼の姿を目の当たりにして、蟻の這い出る隙間も無いほどにびっしりと立ち並んだ魔王国兵たちは皆、兜の目庇の奥で当惑の表情を浮かべている。
無理もない。
以前に城を守っていた兵たちのほとんどが、かつてシュータたち“伝説の四勇士”が魔王城に攻め込んできた際に命を落としたり、再起不能なレベルの傷を負って引退していた。
現在の魔王城を守っている王国の兵のほとんどは、ここ数ヶ月間で新たに守備兵として配属された者たちであり、実際の“勇者シュータ”を知る者はほとんど居ない。
その為……彼らの頭の中で、わずか一年ほど前に圧倒的な力で前四天王を悉く討ち取り、魔王ギャレマスとも対等に戦った、魔族にとって最強にして最凶の宿敵として雷名が轟いている“勇者シュータ”のイメージと、目の前で狂犬のように吠えて、これでもかと言わんばかりに小物感を醸し出している貧相な若造の姿とがどうしても繋がらなかったのだ。
「……んだよ、その目は? ひょっとして、俺が本物の勇者シュータ様なのかを疑ってんのか?」
シュータは、兵たちの間に漂う微妙な雰囲気を鋭敏に感じ取ると、その眉根に深い皺を寄せた。
そして、やにわに中空に指を走らせ、紅く光る魔法陣を描き出すと、剣呑な光を宿した目で周囲を睨みつける。
「……じゃあ、いっぺん試してみるか? 俺が本物なのかどうかを、さ」
「「「「「――ッ!」」」」」
そう言って挑発するシュータから放たれる殺気に気付いた兵たちが血相を変え、慌てて各々の得物を握り直し、盾を構えた。
やにわに緊張が高まるシュータと守備兵たち――!
……と、その時、
「あー、止めなよ、シュータぁ」
一触即発の空気にそぐわない若い娘の声が、シュータの事を窘める。
声の主は、銀髪で覆われた頭の上にぴょこんと突き出た大きな三角耳が特徴的な半獣人の少女――シュータと同じく“伝説の四勇士”のひとり、ジェレミィア・リ・キシンだった。
彼女は、手に持った骨付き肉にかぶりついて豪快に噛み千切ると、シュータの肩をポンポンと叩きながら気安い口調で言う。
「なかなかサッちゃんが出てきてくれないからって、イライラして周りの人に当たってもしょうがないじゃん。そんなにカリカリしてたら、サッちゃんに嫌われちゃうよぉ?」
「あ、あぁッ? べ、別にイライラもカリカリなんてしてねえよ! つ、つか、サリアの奴に嫌われるとか、どーでもいいわ!」
からかい交じりのジェレミィアの言葉に、やや過剰に声を荒げたシュータ。
だが、彼は大きく息を吐くと、ムスッとした顔をして押し黙った。
そんな彼の様子を見たジェレミィアは、思わずニヤニヤ笑いを浮かべる。
「ふふふ……サッちゃんと出会ってから、何だか前と変わったよねぇ、シュータ」
「は?」
ジェレミィアの言葉を聞いたシュータは、訝しげに首を傾げた。
「前と変わった? 俺は別に、変わったつもりなんて無いけどよ。――どこが変わったって言うんだよ?」
「そうだねぇ……」
シュータの問いかけに、ジェレミィアは顎に指を当てて考える素振りを見せ、それから上目遣いに彼の顔を覗き込みながら答える。
「なんか、前よりも随分と可愛くなった感じ?」
「は――?」
ジェレミィアの答えを聞いたシュータは、口をあんぐりと開けた後、これ以上なく渋い顔をして声を荒げた。
「か、可愛いぃ? 俺が? 可愛い? ――おい、ジェレミィア! お前、俺の事をからかってんのかよ、あぁっ?」
「からかってなんか無いよ~。ホントにそう思ったんだもん」
そう答えたジェレミィアは、三角耳を愉しげにピョコピョコと動かす。
そして、顔を真っ赤にしながら怒鳴るシュータに微笑みながら言った。
「ていうか、アタシは今のシュータの方が好きだよ」
「す! すすす……好き……ッ?」
「あ、勘違いしないでよ。今言った“好き”は、恋愛的な意味での“好き”じゃないからね」
ジェレミィアは、“好き”というワードに過剰な反応を示したシュータに素早く釘を刺す。
「今の“好き”は、この骨付き肉と同じ意味の“好き”だからね」
「……わ、分かってるわい、そのくらい!」
シュータは、ジェレミィアの言葉に目を白黒させながら上ずった声で叫ぶと、彼女の手に握られた骨付き肉をジト目で睨んだ。
「……つか、俺とその骨付き肉が同等なのかよ。どうせ喩えるなら、せめて生きてるもので喩えろよ……」
「ああ、ごめんごめん」
シュータの抗議に、ジェレミィアは苦笑いを浮かべながら気安い調子で謝る。
「ちょうど目に入ったのが骨付き肉だったから、つい」
「ついじゃねえよ……」
「でも、アタシの中じゃ、随分なランクアップなんだよ。だって、前のシュータは、この骨付き肉から骨と肉を抜いた分くらいの好感度だったんだから」
「……いや、それはもはや無じゃねえかよ」
ジェレミィアの言葉に、顔を引き攣らせつつツッコむシュータ。
そんな彼に、ジェレミィアは意味ありげな含み笑いを向けた。
「ていうかさ。もう、シュータにはどうでもいい事なんじゃないの? アタシが君の事をどう思ってるかなんて」
「……は? どういう意味だよ?」
「だから――」
ジェレミィアは、ムキになるシュータが面白くて仕方がない様子で口角を上げると、巨大な正門の向こうに見えるもっと巨大な魔王城を指さし、言葉を継ぐ。
「今のシュータにとって大切なのは、あそこの――」
「――ご歓談中に失礼するわよぉん」
唐突に、粘っこい男の声がジェレミィアの言葉を遮った。
「え――ッ?」
ジェレミィアが驚愕の表情を浮かべながら、腰に提げた剣の柄に手をかけ、シュータは目だけを動かして声の主を一瞥すると、低い声で誰何する。
「……誰だ、テメエは?」
「うっふっふっ……」
立ち並んだ守備兵の間から一歩前に進み出た声の主は、警戒と敵意を露わにしたシュータの声にも怖じる事なく、人を食ったような笑い声を漏らした。
スラリとした長身にピッチリとした黒い革製のボンテージスーツを纏っている声の主は、シュータとジェレミィアにゆっくりと近づき、ふたりから五歩ほど離れたところで立ち止まると、左手を胸に当てて深々と頭を下げた。
「――ごきげんよう、“伝説の四勇士”のおふたりさん♪ ワタシはマッツコーって言うのぉん」
そう名乗ると、彼……もとい、彼女は、真っ赤な口紅を引いた唇を三日月の形に吊り上げる。
「――これでも、真誓魔王国の四天王よぉん。宜しくねぇん♪」




