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魔王と夢と再会

 『……さま……うさま……おとうさま!』

『……ん?』


 深く眠っていたギャレマスは、自分の事を呼ぶ懐かしい幼声によって目を覚まし、閉じていた目をゆっくりと開いた。

 そして、寝ぼけ眼で周囲を見回し、そこが見慣れた己の王宮の自室である事に気付く。


(……はて? 余は確か――インフォ殿の白い部屋の中で青い光に包まれて……)

『おとうさま!』

『……ッ!』


 混乱する中、状況を整理しようとするギャレマスの思惟を遮ったのは、先ほど自分の眠りから覚ました幼い声だった。

 ハッと目を見開くギャレマスは、足元に何かがぶつかった感触に驚き、視線を下に向ける。

 すると、彼の膝上くらいの位置に、燃えるような紅い髪に紅い瞳をした幼い娘が、満面の笑みを浮かべながら自分の事を見上げていた。


『つかまえました! おとうさまっ!』

『さ……サリア……?』


 ギャレマスの脚に抱きつき、無邪気な声を上げているのは、紛れもなく彼の娘・サリアだった。

 その愛おしい笑顔に、ギャレマスは、己の胸が様々な感情で張り裂けんばかりに乱れるのを感じたが、すぐに悟った。


(……ああ、これは、夢か)


 まだ幼い――ようやくよちよち歩きが出来るようになった頃のサリアが目の前にいる事からも、それは明らかだった。

 もう既に、サリアは成人の儀を経て嫁入りに相応しい年齢になっているし、それ以前に、彼女は、もう――。


『……』


 僅かに表情を強張らせたギャレマスは、何かに耐えるようにグッと奥歯を噛みしめると、無言で幼いサリアの身体を抱き上げ、固く抱きしめた。


『お、おとうさま? どうしたのですか?』

『サリア……我が最愛の娘よ……! 会いたかった……会いたかったぞ……!』


 ギャレマスは、いきなり抱きしめられた事にビックリして目を丸くしているサリアの真紅の髪を愛おしげに撫でる。

 抱きしめたサリアの身体は柔らかく、仄かな温もりも感じ取れた。手のひらに伝わるクセの付いた髪の毛の感触も、現実でのそれと変わらない。


(……もしかして、今までの事の方が、長い長い夢の中の出来事で、こちらの方が現実なのではないか?)


 彼は、期待すら込めてそう思いかけるが、頭の片隅の冷静な部分では、それがタダの現実逃避に過ぎない事をしっかりと知覚していた。

 ……と、その時、彼はある事に気付く。


(……よもや。サリアがこの年齢(とし)であるのなら――)


 彼はハッとして、再び周囲を見回した。


(あやつも……あやつも居るのではないか?)


 彼は、サリアの事を抱きしめたまま、首を左右に巡らせながら、最愛の女性の姿を探し求める。


『どこだ……? 居るのだろう? 頼む! 出て来てくれ!』

『……お久しぶりです、あなた』

『――ッ!』


 背後から聞こえてきた静かで清楚な響きを持つ声に、ギャレマスは胸を一段と高まらせながら、急いで振り返った。

 そこには、赤い髪の魔族の女性が、その美しい顔に微笑みを湛えながら立っている。

 その優しい面立ちを見た途端、ギャレマスの目から大粒の涙が零れ落ちた。

 彼は、サリアを抱きかかえたまま女性の許に駆け寄り、娘ごと彼女の身体を固く抱きすくめる。

 そして、激しく声を震わせながら、彼女の名を呼んだ。


『ルコーナ……! 会いたかった……会いたかったぞ!』

『あなた……私も、会いたかった……』


 ギャレマスの呼びかけに、二十年以上前にこの世を去った彼の妻――ルコーナ・ギャレマスは、その紅玉のような瞳を潤ませながら応え、夫の背中に腕を回し、その大きな胸に顔を埋めた。

 肩を激しく震わせながら、固く抱き合う夫婦。

 まだ幼く、状況を飲み込めないながらも、サリアは両親の仲睦まじい様子を見て喜び、その小さな腕を父母の背に置き、ニコニコと朗らかに笑っていた。

 暫くの間、そのままでいたギャレマスは、おずおずと腕の力を緩め、改めて妻の顔を見つめる。

 ――間違いない。

 彼女は、もう二度と触れる事が出来ない世界へ離れてしまった、彼の最愛の妻その人だった。

 夢の世界での再会ではあったが、幻などでは断じて無い。彼は、そう確信した。

 ギャレマスは、万感の思いを込めて、妻に言葉をかける。


『久しいな、ルコーナ……。相変わらず、そなたは綺麗だな』

『あなたも……お変わりなく』

『はは……そんな事は無いだろう』


 妻の言葉に、ギャレマスはどこか寂しげな笑い声を上げた。


『余は、お主が知っておる頃から、随分と齢を重ねてしまった。もう良い年をした冴えない中年男だ』

『……いいえ』


 ルコーナは、夫の言葉に対し、静かに(かぶり)を振った。

 そして、ギャレマスの頬にそっと手を当てながら、優しい声で言う。


『そんな事はありませんわ。あなたは、私がお側にいた頃と変わらず凛々しくて、お優しい御方です……』

『……ルコーナ』


 ギャレマスは、ルコーナの言葉に感極まり、再び彼女の身体を抱きしめた。


『……何故、余を残していなくなってしまったのだ! お前を失って、余が……俺が、どれだけ寂しい思いをしていたか……!』


 ルコーナが、己の意思で自分の前からいなくなった訳ではない……それは重々に承知しているギャレマスだったが、込み上がる思いを抑える事が出来なかった。

 そんな彼に対し、ルコーナは悲しげな表情を浮かべながら項垂れる。


『……ごめんなさい』

『……す、すまぬ! お前を責めておる訳では無いのだ! ……酷い事を言った、すまぬ』


 ルコーナの憂い顔を見たギャレマスはハッとして、慌てて詫びた。

 そして、もうひとつ彼女に謝らなければならない事がある事に気が付き、彼女に向かって深々と頭を下げる。


『ルコーナ! 謝らねばならぬのは、俺の方だ! 俺は……サリアの事を護れなかった……』

『……』

『サリアは……サリアの魂は、もう無くなってしまった……。あの()は、前世の人格であるツカサとか言う女に乗っ取られて、消えてしまったのだ……! お前の忘れ形見であるサリアは……もう……』

『……大丈夫です、あなた』


 ルコーナは、ギャレマスに向かって優しく言った。

 そして、夫の顔を見つめながら、穏やかな声で言葉を継ぐ。


『まだ諦めるのは早いですよ。あの娘は、まだ消えてなんかいません』

『え……?』


 ルコーナが口にした言葉に、当惑の表情を浮かべるギャレマス。それと同時に、彼が抱きかかえていたはずの幼いサリアの姿が忽然と消えている事に気が付いた。


『あれ……? さ、サリア? どこだ? どこに行った……?』

『心配しないで大丈夫です。あの娘は、()()()()()()()()()()()()()()

『……え?』


 ルコーナの言葉に、唖然とするギャレマス。

 そんな彼にニコリと笑いかけ、ルコーナは更に言葉を継ぐ。


『……だから、あなたは救ってあげて下さい。あの娘の……私たちの大切なサリアの事を……お願いします』

『ルコーナ……』


 妻の言葉を聞いたギャレマスは、一瞬戸惑ったが、すぐに表情を引き締め、大きく頷いた。


『……分かった。任せてくれ』

『ありがとう、あなた』


 ルコーナは、夫の決然とした表情を見て小さく頷くと、おもむろに顔を寄せ、彼の唇に己の唇を重ねる。

 そして、そっと唇を離し、ギャレマスの身体を抱きしめ、『また会えて……嬉しかった』と、彼の耳元でそっと囁くや、その胸をどんと押した。


『え……?』


 突然ルコーナに押し飛ばされたギャレマスは、呆然とした顔をしたまま、冗談のように吹き飛んだ。


『ルコーナ! 待て……待ってくれ! もう少し……もう少しだけいっしょに――!』


 彼は、寂しげな笑みを浮かべて立っているルコーナに向けて手を伸ばすが、彼の身体は何かに引っ張られているかのように、どんどん加速をつけて彼女から遠ざかっていく――。


『ルコーナァァァァ――ッ!』


 ◆ ◆ ◆ ◆


 「ルコーナァァァァ――ッ!」


 ギャレマスは、己が上げた絶叫で夢から目覚めた。

 そして、同時に奇妙な浮遊感と強風を身体に感じて、慌てて目を見開く。

 最初に目に入ったのは、真っ青に晴れ渡った空と、白い雲。

 そして、背中の方に目を巡らせると、一面の緑と茶色の色彩が見えた。


「こ、これは……落下している……だとッ?」


 一瞬で自分の置かれた状況を理解したギャレマスは、即座に身を翻し、背中の黒翼を展開しようとした。

 ――が、その時、ギャレマスの視界の片隅に何か蒼いものが映り、彼はそれが何なのかを即座に理解する。


「――スウィッシュ!」


 彼と同じように地面に向かって落下しているのは、スウィッシュだった。

 彼女は、ギャレマスと違って、まだ意識を取り戻していないようだ。固く目を瞑ったまま、頭を下にして、真っ逆さまに落ちていく。

 このままでは、彼女は頭から地面に叩きつけられ、ひとたまりも無いだろう。


「スウィッシュ――ッ!」


 ギャレマスは、彼女の名を叫びながら、落下しながら空中を泳ぐように進んで彼女の元まで辿り着くと、その頭を両腕で抱えた。

 そして、即座に黒翼を展開しようとする――が、

 黒翼を展開するよりも、地上に激突する方が早かった。


 バッシャアアアアン! ――ゴンッ!


「ぐええぇぇッ!」


 凄まじい水飛沫を上げながら、地上を流れる川に背中から墜落したギャレマスは、すぐに川床に背中を激しくぶつけ、苦痛に満ちた絶叫を上げる。

 ぶつけた背中に走った激痛と川の水圧によって一瞬気が遠くなるが、懸命に意識を繋ぎ止めながら、スウィッシュを抱えたまま水面から顔を出した。


「ぷ、ぷはあぁっ!」


 ギャレマスは、口を大きく開けて空気を吸い込むと、ヨロヨロと立ち上がる。

 川の水深はそこまで深くなかったようで、立ち上がると腰の高さくらいまでしか無かった。


「い、痛たたた……。余でなければ、今ので死んでおったな……」


 ギャレマスは、背中の痛みに顔を顰めながらそう呟くと、腕に抱えたスウィッシュの顔を気づかわしげに覗き込む。


「……む、むぅにゃ……」

「……無事か……良かった」


 ずぶ濡れになりながらも、なお目を覚まさないスウィッシュの無事そうな様子に、ギャレマスはホッと安堵の息を吐いた。

 と、その時、


「……お、お前……ま、まさか……」

「……ん?」


 少し離れたところから上がった、どこか聞き覚えのある若い女の声に気付き、ギャレマスは訝しげに眉を寄せる。


「……その声は――まさか」


 そう呟きながら振り返ったギャレマスの目に入ったのは――、


「ま……魔王……か?」

「なんと……お主は――」


 濡れそぼった、金糸のような美しい髪。

 驚愕で見開いた蒼い目。

 ピンと横に伸びた、エルフ族特有の尖った耳。

 新雪のようにキメの細かい肌。


「まさか、ファ……」


 そして、

 張りのある大きなふたつの(おお)きな胸――。

 そう、彼の目に映ったのは、


「ファミィ・ネアルウェーン・カレナリエール……! って、あ……」


 ――の、()()()()()()()だった。

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