魔王と目的と達成
真っ白な部屋を真っ青に染め上げた転移術式の光が収まると、それまで誰もいなかった部屋の真ん中にふたつの人影が現れた。
それまで部屋の隅のソファに寝転がって微睡んでいた幼女は、忽然と現れたふたりの人物の顔を見ると、その瞳を僅かに大きく見開く。
そして、ムクリと起き上がると、ふたりに呆れと驚きの入り混じった声をかけた。
「……何じゃ、もう戻ってきおったのか」
「貴女に依頼された任務を果たして戻ってきた我らに対する第一声が『もう戻ってきたのか』とは、あんまりではないか、インフォ殿?」
どことなく不満げな感情を、幼女――“女神”インフォレミアルスの口調から感じた“雷王”ギャレマスは、彼女に対して咎めるような口調で言ったが、その表情には苦笑いが浮かんでいる。
そんな魔王の表情を一瞥したインフォレミアルスも、彼と同じようにニヤリと薄笑むと、ぴょんとソファから飛び降りた。
「その口ぶり……まるで、もっとあたしたちが目的の達成に手こずってた方が良かったみたいに聞こえますけど?」
自分たちの方にやって来るインフォレミアルスに、スウィッシュは嫌味交じりに尋ねる。
それを聞いたインフォレミアルスは、困り笑いを浮かべて、フルフルと首を横に振った。
「いや……そういう訳ではないんじゃがな。まだ、そなたらを送り込んでから、下界の時間で三日と経っておらぬじゃろう? 正直、少し虚を衝かれてしもうてな」
「何せ、急いでおるからな」
インフォレミアルスの言葉に、ギャレマスは浮かぬ顔で答える。
「……余とスウィッシュは、一刻も早く元の世界に戻って、娘のサリアを救いに行かねばならぬのだ。異世界で無駄に時間を費やす事など出来ぬ。だから、最速で目的を達成させて頂いた」
「やれやれ……。一直線に最終目的に挑んで、本当にウェスクアを撃破したという訳か……」
そう言ったインフォレミアルスは、思わず溜息を吐いた。
「まったく……無茶苦茶で無謀な奴じゃな。いきなりラスボス戦など、普通なら実力不足で瞬殺されておるところじゃぞ」
「ふふ……これでも、元の世界では、余自身が異世界転移者に命を狙われる“ラスボス”らしいからな」
呆れ顔のインフォレミアルスに苦笑を返すギャレマス。
そんな彼を前に、女神は不満そうに頬を膨らませ、憮然としながら呟く。
「はぁ……まったく、異世界転移の抽選にそなたが当たってしまった事で、色々と予定が狂ってしもうたわ」
「……どうしてですか? 世界を滅ぼしかねない脅威を最速で倒してしまった事が、そんなに悪い事なんですか?」
「いや、それは別にいいんじゃがな……」
そう、訝しげに訊ねたスウィッシュに答えた女神は、「実はの……」と続けた。
「そもそも……他の世界で生きている者を“異世界転移”で呼び寄せるのは、その者に神の権限の許で“チート能力”を与えて現世界に下ろし、下界の者どもには対応しきれない程に力を強めたものを代わりに倒してもらう他にも、重要な目的があってのう……」
「重要な目的……?」
「左様」
インフォレミアルスは、胡乱げに訊き返したスウィッシュの声に首肯し、それからニヤリと笑って言葉を継ぐ。
「それはの……異世界転移者に下界で大いに励んでもらう事で、そやつが持っておる、わっちの世界には存在しない未知の遺伝子を下界に撒き散らしてもらい、人間の新たな進化を促そう……というものでな」
「い……イデンシ?」
「ブレイク……スルー?」
聞き慣れぬ言葉を耳にして、首を傾げるギャレマスとスウィッシュ。
そんなふたりを見て、愉快そうにクスクスと笑いながら、インフォレミアルスは「つまりの……」と続けた。
「要するに――お主らには、下界の民と大いにまぐわってもろうて、異世界人の血が混じった子どもをたくさん拵えてほしかった――という事じゃ!」
「ファッ――?」
「ま、まぐわ……ッ?」
幼女神の口から飛び出した、彼女の外見とは全くそぐわないような直接的な言葉を聞いたふたりは、思わず愕然として言葉を失う。
だが、すぐに我に返ったスウィッシュが、その顔をみるみる真っ赤に染めながら、インフォレミアルスに向かって叫んだ。
「こ、こら! ま、まだ年端もいかないお子ちゃまのクセに、ま……まぐ、まぐわ……そ、そんなはしたない言葉を使っちゃいけませんっ!」
「じゃから、この前も『神を見てくれで判断するでない』と言うたであろうが! わっちは、そなたらよりも遥かに古来から存在しておるんじゃ! そんなわっちをつかまえて、何が『まだオムツも取れないようなクソガキ』じゃ、この小娘めが!」
「い、いや……そこまでは言ってないんですけど……」
目を吊り上げた幼女神に捲し立てられ、タジタジとなるスウィッシュ。
そんな彼女に鋭い一瞥を向けたインフォレミアルスだったが、その横に立っているギャレマスの方に目を向けると、大きな溜息を吐いた。
「……とはいえ、たとえ時間があったとしても変わらなかっただろうな。斯様に薹の立った、色々と涸れかけておるような冴えない中年男では、下界の年頃の娘どもは誰も見向きせぬであろうしのう……」
「いや……さすがに少しくらいは……」
「そ、そんな事ありませんよっ!」
インフォレミアルスの容赦のない言葉に対し、自信無さげに言い返そうとするギャレマスの言葉を遮って声を荒げたのはスウィッシュだった。
彼女は、憤然とした表情を浮かべながら、一気に捲し立てる。
「陛下は、下々の者に対しても決して慈愛を忘れない、とても魅力的な御方です! 陛下のお人柄に触れれば、この世界の女たちなんてイチコロですよ、絶対に!」
「す……スウィッシュ……!」
「そりゃ……確かに、魔王のクセに自己評価が妙に低いし、サリア様の事が大切過ぎて、ご自身を含めたそれ以外が全然目に入らなくなって暴走する事もあるし、身なりに気を利かせなさ過ぎて、時々寝ぐせが立ってたり、お召し物がヨレヨレだったりする事もあるし、ビックリするくらい人が向けた好意に対して鈍感で、ぶっちゃけムカつく時もありますけど……それでも、素晴らしい方なんです、陛下はッ!」
「お……おお、そうか……」
一気に捲し立てるスウィッシュの剣幕に気圧されたインフォレミアルスが、ぎこちなく頷いた。
そして、チラリとスウィッシュの横を一瞥すると、おずおずと言う。
「わ、分かったから、もうその辺にしておいてやれ。……そなたの主の精神値は、もうゼロじゃぞ……」
「……え?」
インフォレミアルスの声に、ハッと我に返ったスウィッシュは、恐る恐る横を見た。
「す……すまぬ……すまぬ……至らぬ主……不甲斐ない男で……本当にすまぬ……」
「へ……陛下ァ――ッ!」
涙目で真っ白に燃え尽きているギャレマスの姿を目にしたスウィッシュが上げた絶叫は、真っ白な部屋に虚しくこだまするのだった――。




