女王と魔王と側近
「え――?」
ギャレマスの言葉を聞いたスウィッシュが目を丸くして、目の前に矍鑠と立っている年老いた老婆の顔を見返した。
「こ……このお婆さんが“屍霊女王”……? でも、さっきまでと全然姿が違う……」
「ほっほっほっ」
老婆は、愉快そうに笑いながら、スウィッシュに向けて鷹揚に頷いてみせる。
「氷を操る娘よ。そなたが驚くのも無理はないが、そこな鬼の言うた通りじゃ。今の妾の姿こそが、一切の混じりけの無いウェスクア・エニック・スクンカバールの真なる姿というやつなのじゃ」
「い、『一切の混じりけの無い』……?」
「そうじゃ」
スウィッシュの戸惑い交じりの問いかけに、ウェスクアと名乗る老媼は再び頷き、言葉を継いだ。
「さっきまでお主らと戦っておったのは、あの忌々しい死術士の詐言に唆された妾が禁術に手を出した際に巻き込んでしもうた民たちの魂の集合体じゃ」
「た……魂の集合体……?」
「もっとも……魂の集合体とは言うても、あまりに深く混じり合ってしまったせいで、既に元々の“個”としての意識は喪失しておった。要するに、呪詛によって植え付けられた本能に操られて、ただひたすらに犠牲者を増やす事しか出来ぬ、瘴氣の煮凝りに過ぎなかったのじゃ。……禁術の核魂である妾以外はな」
ウェスクアはそう言うと、これまでの事を思い出したのかのように苦々しげに顔を歪め、大きく息を吐く。
「数え切れぬほどの民草の魂を取り込み、異形と化した自分の身体の中で、ただひとり生前の意識を保っておった妾は、己が意に添わなくなった暴走状態の自分自身の身体が更に多くの命を取り込んでいくのを、ただただ見ている事しか出来なかったのじゃ……」
「そうであったのか……」
痛恨の表情で語られた老媼の言葉に、ギャレマスは深く頷いた。
「つまり……遥か昔から現在まで、多くの人々の命を奪ってきた“屍霊女王”の行いは、ウェスクア殿の本意によるものではなかったという事なのか……」
「そうじゃ。……もっとも、だからと言って、妾の罪が赦されるなどとは思うておらぬがな」
そう言うと、ウェスクアはギャレマスの方に向き合い、深々と首を垂れた。
「……雷を操る鬼よ。このウェスクア・エニック・スクンカバール、謹んで礼を言わせて頂く。――妾の身体を倒し、無辜の民草と妾の魂を忌々しい禁術から解き放って頂いた事、誠に感謝に堪えぬ。……ありがとう」
「あ……いや……礼を言われるほどの事では……」
ウェスクアから謝意を伝えられたギャレマスは、困ったように頭を掻きながら、小刻みに頭を振る。
そんな魔王の様子に苦笑を漏らしたウェスクアだったが、ハッとした表情を浮かべた。
「……そうじゃ。のんびりしている場合では無かったわい」
ウェスクアはそう呟くと、おもむろにスウィッシュに向けて手招きする。
「これ、氷を操る娘よ。ちょっとこちらへ来やれ」
「……へ? あたし……ですか?」
突然の指名に戸惑うスウィッシュ。
ウェスクアは「そうじゃ」と頷くと、更に手招きする。
だが、スウィッシュはすぐに言う通りにはせずに、当惑の表情でギャレマスの顔を見上げた。
「……ど、どうしましょう?」
「う、うむ、そうだな……」
急に判断を振られたギャレマスは、一瞬迷いながらも、コクンと首肯する。
「ま……まあ、今のウェスクア殿から敵意や殺気は感じぬから、言う通りにしても大丈夫なのではないかな……恐らく……」
「そ、そうですね……」
「こりゃ! サッサと来んかい! 妾は『時間が無い』と言うておるじゃろうが!」
「は、ハイッ!」
痺れを切らしたウェスクアに怒鳴られ、スウィッシュは慌てて老媼の許に駆け寄った。
「ほっほっほっ。それでいいんじゃ」
「あ、あの……何でしょうか?」
さっきまでとは一転して、上機嫌で顔を綻ばせるウェスクアにおずおずと訊ねるスウィッシュ。
その問いに対して、ウェスクアはニヤリと笑いかけながら答える。
「まあ、いわゆるひとつのアドバイスというヤツじゃ。迷える小娘へ、女の先輩である妾からの……な」
「ま……迷える小娘って……あたしの事ですか?」
「もちろんじゃ。他に誰が居る?」
「は、はぁ……」
と、キョトンとするスウィッシュに力強く頷いて、早速本題に入ろうとしたウェスクアだったが、突っ立っているギャレマスの存在を思い出すと、彼に向かって邪険に手を振った。
「しっしっ! 今から、乙女同士の大切なお話をするゆえ、お主は離れておれ!」
「え、えぇ……?」
まるで犬を追い払うように扱いを受けたギャレマスは、思わず当惑の声を上げる。
「お……乙女同士って……スウィッシュはともかく、ウェスクア殿は……べぶぅッ!」
「たわけ! 女は何歳になっても乙女なんじゃいっ! でりかしーとか無いんかい、この朴念仁めが!」
「あ……、こ、これは失敬した……」
ウェスクアに一喝されたギャレマスは、彼女がぶん投げた幽氣弾の直撃を食らった顔面を擦りながら、ペコペコと頭を下げた。
ウェスクアは、そんな彼に鋭い一瞥を向けた後、「盗み聞きするでないぞ!」と言い置いてから彼に背を向ける。
そして、スウィッシュにも同じようにするよう促し、顰めた声で彼女に何やら話し始めた。
「……」
ギャレマスもウェスクアの指示に従い、ふたりから背を向ける。
が、
「……いえ! そ、そんな事は……」
「ふぇっ? そ、それは……」
「……そ、それは確かに……」
「そ……そりゃ、あたしだって、そうなったらいいなぁって……って! ち、違いますよ……」
「でっ、出来ません! 陛下に対して、そんな事……」
「え……そ、そういうものなんですか……?」
「そ……そうなんです……か? え、ホントに?」
ウェスクアには「盗み聞きするな」と釘を刺されたものの、時折吹く風に乗って、どうしてもスウィッシュの声の切れ端が彼の耳に入ってきてしまう。
「……」
いかにも興味がなさそうな素振りで、さりげなくその場にかがみ込んで、そこらへんに生えている雑草の花を観察し始めたギャレマスだったが――本当は、ふたりの会話の内容がものすごく気になっていたのだった……。




