魔王と慢心と油断
ギャレマスは、黒翼を羽搏かせながらゆっくりと地上に着地し、抱きかかえていたスウィッシュを離した。
「……というか」
少し名残惜しげな様子で、ギャレマスの胸から離れたスウィッシュが、ギラギラと赤く輝かせた“眼”でふたりを睨めつけている“屍霊女王”ウェスクアの顔を見上げながら尋ねる。
「どうやって戦いましょう? 元の世界でも、屍鬼や邪霊といったアンデッドと戦った事はありますが……」
「……基本的な戦い方は、同じで良かろう」
スウィッシュの問いかけに、滑空で乱れたローブの裾を直しながら、ギャレマスは答えた。
「どうやら……異世界といえど、こちらの死霊も、体の構成は向こうのそれとさほど変わりが無いようだ。即ち、負に転化した生命力――妖気だな。もっとも、こちらの世界では別の呼び方なのかもしれぬが」
ギャレマスは、小山のように膨張したウェスクアの身体から立ち上る、漆黒の霧のようなオーラを指さす。
「では……戦術は、以前に屍鬼王と屍鬼の群れを殲滅した時と同様に――」
「ああ」
彼の言葉を聞いたスウィッシュは、表情を引き締めながら確認し、ギャレマスは、スウィッシュに小さく頷いた。
そして、対峙するウェスクアの姿を観察するようにその目を眇めながら言葉を継ぐ。
「……と言っても、彼女の纏う“妖気”は、あの時の屍鬼どもとはケタ違いだがな」
「この世界の民から“屍霊女王”と諡されるだけはある……って事ですね」
ギャレマスの言葉にゴクリと唾を呑んだスウィッシュだったが、すぐにニコリと笑みかけた。
「ですが、こちらだって“雷王”と“氷牙将”ですから! 決して彼女に引けはとりません!」
「……だからといって、慢心はするなよ。油断大敵と言うからな」
スウィッシュに苦笑を向けながら、ギャレマスはやんわりと窘める。
そして、漆黒の瞳を巡らせ、小山のように巨大な屍霊女王に鋭い視線を向けると、雄々しい声で叫んだ。
「いくぞ! 妄執に囚われた“屍霊女王”殿の魂を解放してこの世界を救い、その後に我らの世界でサリアを救うのだ!」
「はいっ! お供いたしますっ!」
ギャレマスの声に、凛とした声で応えたスウィッシュは、ウェスクアに向けて大きく跳躍する。
そして、両腕を前に伸ばすと同時に、高らかに魔術を唱えた。
「氷華大乱舞魔術――ッ!」
彼女の掌から噴き出した細氷片が、キラキラと輝きながらウェスクアに次々と纏わりつき、その身体を凍りつかせる。
といっても、ウェスクアの巨体全体を覆い尽くす事は出来ず、無数の氷片は、彼女が防御するように前へ掲げた触手数本を凍結させるにとどまった。
――だが、それはスウィッシュの計算通りだった。
彼女は、開いた手のひらをグッと握り込み、新たな氷魔術を発動させる。
「凍氷爆砕魔術――ッ!」
彼女の声と呼応するように、ウェスクアの触手の表面を覆い尽くしていた細氷片が次々と爆発し、妖気ごとウェスクアの触手を吹き飛ばした。
「グギャアアアアアア――ッ!」
触手を吹き飛ばされたウェスクアが、驚愕と嚇怒と狼狽が入り混じったような絶叫を上げる。
――だが、攻撃はそれだけでは終わらなかった。
「雷あれ!」
スウィッシュがウェスクアの注意を引きつけている間に、再び空中高く翔び上がったギャレマスは、屍霊女王の遥か頭上で掌を強く打ち合わせる。
魔王は、掌の間を徐々に離しながら、瞬く無数の小さな稲妻の青白い光に照らし出された顔に、なぜか憐憫の滲む表情を浮かべた。
だが、すぐに厳しい表情に戻ったギャレマスは、向かい合わせた両掌を頭上に高々と掲げ、眼下に狙いを定める。
そして、
「舞烙魔雷術ッ!」
という絶叫と共に、両手を地上に向けて勢いよく振り下ろした。
魔王の掌の力場から解き放たれた幾条もの稲妻が、互いに撚り合いながら一条の大雷と化し、眼下の屍霊女王を襲う。
「――ッ!」
頭上を振り仰いだウェスクアは、咄嗟に防御しようとするが、触手の数本をスウィッシュの凍氷爆砕魔術で喪ったせいで、ギャレマスの舞烙魔雷術を充分に防ぐ事が出来なかった。
眩い光を放つ青白い束雷は、ウェスクアが頭上に掲げた触手の残りを全て灼き払い、そのまま彼女の本体に炸裂する。
「ギギゲグゥゥゥゥゥ――ッ!」
脳天から稲妻に打ち据えられたウェスクアは、耳障りな悲鳴を上げながら、青白く発光する身体を苦しげに蠢かせる。
その様子を上空から見下ろしていたギャレマスは、ほぅと息を吐いた。
そして、何気なく呟く。
「やったか――って、あ……」
無意識に安堵混じりの声を上げかけたギャレマスだったが、その時、ある記憶が脳裏を過ぎる。
『――さっき、てめえは「やったか?」って叫んでたよな。……教えてやるよ、クソ魔王。それは、“フラグ”って言うんだぜ』
「……あっ!」
ついこの間、アヴァーシの温泉浴場で憎き宿敵からかけられた嘲弄の声を思い出したギャレマスは、ハッとして背後を振り返った。
彼の目に、瞬時に再生し、遥か上空にいるギャレマスに届く程に伸びたウェスクアの触手が、その先端を槍の穂先に変えて迫ってきているのが映る。
「む……っ!」
ギャレマスは、咄嗟に身を捩った。
だが、触手はその動きを読んでいたかのように、まるで鎌首を上げる蛇の如き俊敏な動きで穂先の角度を変える。
「……ちぃっ!」
魔王は舌打ちすると、覚悟を決めてウェスクアの触手と正対した。一撃を食らうのは覚悟の上で、自分の身体で触手を捉えようとしたのだ。
――と、その時、
「――阿鼻叫喚氷晶魔術ッ!」
という声と共に飛来した無数の氷雪弾が、今にもギャレマスの身体に突き立たんとした触手に突き刺さり、そのまま貫通する。
「ギャアアアアアアア――ッ!」
耳を劈くウェスクアの叫喚が辺りに響き、氷雪弾によって蜂の巣のように無数の風穴を開けられた触手が、黒い霧を吹き出しながら、融けるように消えていった。
「ご無事ですか、陛下っ!」
「お、おお……」
自分の傍らからかけられた聞き慣れた声を聞いて、ギャレマスは驚きの表情を浮かべる。
「す、スウィッシュ? お、お主、なぜ飛んでおるのだ? は……羽も生えておらぬのに――」
「それなんですけど……」
上ずったギャレマスの問いかけに、スウィッシュもまた、驚愕を隠せない様子でおずおずと背中を見せた。
その背中には、透明な氷で出来た大きな翼が生えていて、力強く羽搏いている。
「なんか……陛下が危ないと思って、何とかお助けしたいと心に念じてたら急に生えてきて……飛べるかなーって思って、試しに陛下の真似をしてみたら――飛べちゃいました……」
「な……何だと……?」
スウィッシュの言葉に愕然とするギャレマス。
「そ、そんな事があるのか……? 過去、数多の氷術使いが居たが、そのような術を発現させた者など聞いた事が無いぞ……!」
「そ、そうなんですか……」
ギャレマスの言葉を聞いて、思わず目を丸くするスウィッシュ。
そんな彼女の表情に、魔王は相好を崩し、代わって優しい笑みを浮かべた。
「すごいな。今まで誰も思いつかなかった新たな術を編み出すとは……。さすが、余の右腕たる“氷牙将”スウィッシュだ」
「え、えへへ……」
ギャレマスの賛辞を受け、スウィッシュはその顔をだらしなく緩め、照れくさげに頭を掻く。
……だが、突然ハッと目を見張ると、それまでの表情が嘘のような厳しい顔でギャレマスの事を睨みつけた。
「――って、陛下!」
「ヘッ? は、はいっ?」
いきなり咎めるような強い口調で呼ばれたギャレマスは、不意を食らって狼狽しながら返事した。
そんな彼を、スウィッシュは怖い顔で叱責する。
「さっき、自分でおっしゃってたじゃないですか! 『慢心はするな。油断大敵だぞ』って! なのに、何ですか、今の体たらくはっ!」
「あっ……す、すま――」
「まったく! 確かに陛下はお強いですが、それでも生物に変わりは無いんですから、当たり処が悪かったら死んでしまうんですよ! もし、万が一そんな事になってしまったら……その後、あたしやサリア様や魔王国の民たちはどうすればいいんですかッ?」
「ぐ……ぐむぅ……」
目を三角にして捲し立てるスウィッシュの正論過ぎる正論を前にして、返す言葉もないギャレマスは幼子のように小さく身を竦めた。
だが、スウィッシュの小言はまだ終わらない。
「陛下! あなたこそ、慢心しないで下さい! 『油断大敵』とは、今の貴方にこそかけられる警句です!」
「だ、だが……余は……」
「口答えしないっ!」
「アッハイッ! あ、相分かりましたぁっ!」
スウィッシュの落とすカミナリに抗する術もなく、コクコクとオウムのように頷く“雷王”。
――今この場にあっては、『地上最強の生物』という二つ名の持ち主は、紛れもなくスウィッシュのものだった……。
 




