絶望と歓喜と違和感
「くぅっ――!」
「あぁっ……!」
突然、まるで千の稲妻が一斉に走ったかのような凄まじい光を浴び、ギャレマスとスウィッシュは思わず呻き声を上げながら、手を翳して目を瞑った。
薄暗かった部屋の中が、まるで真昼になったかのように光で溢れる。
「な……何だ……サリア――ッ?」
「サリア様ぁ――ッ!」
光の源である中央の柱に向け、ギャレマスとスウィッシュは絶叫した。だが、柱の周囲は、まるで中天に昇った太陽が輝いているようになっていて、直視する事も叶わない。
……と、その時、
「――――ぁぁぁぁぁああああああああ~ッ!」
という甲高い悲鳴と共に、何かがギャレマス目がけて飛んできた。
「ぐ、ぐぅぇええええええっ?」
眩い光によって、すっかり目が眩んでしまっていたギャレマスは、突然飛んできた物体を避ける事も出来ずに衝突してしまい、カエルの潰れた様な声を上げながら仰向けに倒れた。
「い……痛たたたた……」
倒れた拍子に、後頭部を床に強くぶつけたギャレマスは、痛みで顔を顰めながら、自分の胸の上に乗った重みのある物体をどけようと手を伸ばす。
――むにっ
「……むに?」
ギャレマスは、伸ばした右掌に感じた奇妙な感触に、訝しげに首を傾げた。
といっても、決して不快な感触ではない。……むしろ、その弾力と温もりのある触り心地は――とても快い……。
「……?」
魔王は、目をパチクリさせながら、恐る恐る目線を自分の胸元へと向ける。
そこには――緩やかなウェーブのかかった翠色の髪の毛が……。
「あ……エラル――」
「……きゃ……ぎゃきゃあああああああッ!」」
自分の上に乗っかっているものの正体に気付き、唖然とするギャレマスの顎が、鬼の如き形相になったエラルティスの拳で思い切りカチ上げられる。
「こ……のクソ魔王ォォォォォがッ! け、穢らわしい魔族の手で、神聖にして侵すべからざるわらわのお……おおおおっぱ……胸をッ! 死ね! 今すぐに死んで詫びなさ――」
「……死んで詫びるのは、あなたの方よ」
「――ッ!」
目を剥いてギャレマスを責めようとしたエラルティスだったが、頭上から聞こえてきた、ひどく沈んだ声に顔色を変えた。
恐る恐る振り返ろうとした彼女だったが、その前に襟首を強く掴まれ、無理矢理引っ張り上げられる。
そして、自分を引き上げた者の顔を見るや、わなわなと身体を震わせ始めた。
「あ……あな……こ、氷お――」
「……どうしてくれるのよ?」
舌を縺れさせるエラルティスの青ざめた顔を、表情の消えた目で見据えるスウィッシュ。
彼女は、両頬を伝う涙を拭いもせず、虚ろな顔で聖女を睨みつけながら、掠れた声で言葉を継ぐ。
「どうしてくれるのよ……? サリア様が……サリア様がい……いなくなっちゃったじゃない……アンタのロクでもない術のせいで……」
「あ……い、いえ……その……」
「サリア様はね……」
スウィッシュは、エラルティスの神官服の襟を掴む手に力を込めながら、激しく声を震わせた。
「サリア様は! とっても純真で、心の清らかな、ただの可愛らしい女の子だったのよ! こんな酷いやり方で消されてしまっていい方なんかじゃないのよ、あたしやアンタなんかと違ってね!」
「あ、いえ……その……実は……」
「サリア様は……魔王国にとって――いえ! 陛下にとって……そして――あたしにとって、かけがえの無い方だったのよ!」
「き……消え……た……」
スウィッシュの言葉を耳にして、顎の痛みで呻いていたギャレマスも、カッと目を見開く。
彼はふらつきながら立ち上がり、エラルティスの肩を強く掴んだ。
「ちょ! い、痛いですわよッ! は……離しな…………ひ――ッ!」
肩に魔王の爪が食い込み、痛みに顔を顰めながらも、気丈に声を荒げかけたエラルティスだったが、その声は中途で恐怖に満ちた悲鳴に変わった。
魔王の昏い光を放つ黄金色の瞳の中に、この上なく純度の高い殺気が籠もっていたからだ。
防衛本能が働き、咄嗟にギャレマスとスウィッシュに攻撃を仕掛けようとしたエラルティスだったが、先ほど吹き飛んだ際に、彼女の法力を増幅する聖杖を手放してしまった事に気付くと、たちまちその顔は絶望の色に染まる。
彼女は、自分が今、まさに“生死の分水嶺”に立っている事を自覚するや、真っ青を通り越して真っ白な色になった顔を、千切れんばかりに左右に振った。
「ちっ……ちちちち違いますわよっ! わ、わらわは――」
「何が違うのよッ!」
どもりつつ、必死で弁解しようとするエラルティスの声を、スウィッシュの金切り声が遮った。
彼女は、ゆらりと伸ばした右手に氷の突撃槍を創り出し、エラルティスの喉元に突きつけながら、鋭い目で睨みつける。
「あなたが……サリア様を……絶対に赦さない……」
「ひっ……だ、だから……違いま――」
「……やめよ、スウィッシュ」
エラルティスの言葉には耳を貸さず、今にも凶行に及ぼうとするスウィッシュを低い声で制したのは、ギャレマスだった。
その言葉に、顔を輝かせかけた聖女だったが、自分の事を静かに睨みつける魔王の眼光を見た瞬間、それがタダのぬか喜びに過ぎない事を悟り、更に身を激しく震わせる。
そんな彼女を感情の失せた顔で見下しながら、ギャレマスは暗い声で言った。
「このような浅ましき女の血で、お主の手を汚させる訳にはいかぬ」
「で……ですが……ッ! あたし……この女の事、絶対に赦せま――」
「赦せぬのは、余とて同じだ。……だから」
そう言うと、ギャレマスは左手をゆらりと上げ、「……雷あれ」と呟きながら指を鳴らし、そのままグッと強く握り込む。
すると、たちまちのうちに無数の電光が発生し、バチバチと音を鳴らしながら、彼の拳の周りを取り巻いた。
周囲の白光に劣らず眩く光る稲妻が、魔王の悲愴な表情を煌々と照らし出し、その頬を伝う涙を見たエラルティスは思わず息を呑む。
そんな彼女に向け、ゆっくりと雷光を帯びた拳を振り上げながら、ギャレマスは言った。
「だから……余が直々に手を下す――いや、余にやらせてくれ。これだけは譲れぬし、絶対に譲らぬ。だから、頼む……」
「陛下……」
「ひっ――!」
“雷王”の黄金の目に宿った本気の殺意に中てられたエラルティスは、恐怖に顔を歪ませながら、必死で首を左右に振る。
そして、声を激しく震わせながら叫んだ。
「や……やめて! やめて下さいまし……! ちょ、ちょっと落ち着いて……」
「……今更命乞いか? さっきまでの威勢はどうしたのだ?」
「わ、わらわはまだ――と、とにかく、冷静になって下さいまし……!」
「これが冷静でいられると思うのか? たったひとりの……最愛の娘を、目の前で失って――!」
「で――ですからぁっ!」
魔王の殺気に恐れ戦きながら、エラルティスは半泣きで絶叫する。
「わ……わらわの……わらわの“浄滅”は、失敗したんですぅっ! だ、だから――あ、あなたの娘は……消えてませんッ!」
「…………なに?」
今にも拳を振り下ろそうとしていたギャレマスは、エラルティスの絶叫に、その動きをピタリと止めた。
その時、彼の傍らで呆然としていたスウィッシュが、微かな物音を耳にし、涙が溢れる目を音のした方に向ける。
そして、
「……あ」
先ほどまでの強烈な白光が弱まり、元の薄暗闇へ戻りつつある部屋の中央に、忽然と立つ人影を見止め、思わず掠れた声を上げた。
「あ……あなたは……」
はだけた襟元から覗く、上質の陶磁器を思わせる肌理の細かい白い肌。
大穴の開いた天井へと吹き上がる風に乗ってゆらゆらと揺れる、燃え盛る炎のような真紅の髪。
暗闇の中でも煌々と光る、大きな紅玉のような瞳――。
「サ……!」
その姿を見たスウィッシュの紫瞳が大きく見開かれ、涙に濡れた顔は歓喜で綻び――
「サリアさ……ま…………?」
……かけたところで、おもむろに胸の中で広がった正体不明の違和感によって、まるで時が止まったかのように凍りついたのだった――。




