聖女と意地と姫
エラルティスが聖句を紡ぐと同時に、彼女とサリアに巻きついた聖鎖が一際眩しい光を放った。
「う……ううぅ……ああああああ……っ!」
その凄まじい白光に照らし出された顔を苦痛で歪ませ、サリアは身を捩らせながら苦しげな呻き声を上げる。
「サリアアアアアッ!」
それを目の当たりにしたギャレマスは、目を飛び出さんばかりに見開きながら、絶叫した。
「エラルティス――ッ!」
その傍らに立っていたスウィッシュが憤怒の形相を浮かべ、右腕を大きく横に伸ばしながら、聖女目がけて跳躍する。
「穿刺鋭氷槍魔術ッ!」
彼女の一声と共に、伸ばした腕の先から氷柱が伸び、一瞬で先端の鋭い氷の突撃槍の形を成す。
そして、苦しむサリアの様子を、嗜虐的な薄笑みを浮かべて見ているエラルティス目がけて、鋭い刺突を繰り出そうとした。
だが、
「――くぅっ!」
氷の突撃槍の先端は、聖女の身体に届く前に軌道を逸らし、次の瞬間、スウィッシュの身体が、まるで見えない壁にぶつかったかのように弾き飛ばされた。
「――スウィッシュ!」
それを見たギャレマスが慌てて身を翻し、床に叩きつけられる直前で彼女の身体をキャッチする。
「オーッホッホッホッ! 無駄無駄無駄ですわぁっ!」
受け止めた衝撃で体勢を崩し、床に転がるギャレマスとスウィッシュの姿を見て、エラルティスが上機嫌に高笑いした。
「こんな事もあろうかと、あらかじめこの柱の周囲に“聖光絶対結界”を仕掛けておきましたの! 穢れた存在である魔族のあなた方には、なまなかな事では絶対に破れない清らかなる壁ですわ!」
「くっ……!」
嘲笑交じりのエラルティスの言葉に、スウィッシュは唇をきつく噛む。
と、ギャレマスがゆらりと立ち上がり、据わった目で勝ち誇る聖女の顔を睨みつけた。
「ならば……余の全力を以て、その結界とやらを打ち破ってやる……!」
「おお、怖い怖い」
魔剣の刃の輝きを思わせる“雷王”の鋭い眼光を前にしても、エラルティスはたじろぐ様子を見せない。
彼女はおどけた様子で肩を竦め、口元に皮肉げな薄笑みを浮かべた。
「でも……確かに、あなたに力攻めされたら、聖女の法力で築いた“聖光絶対結界”といえど、数分で破られてしまうでしょうねぇ。……でも、残念ながら、数分あれば充分ですの」
そう言うと、エラルティスは傍らで悶え苦しんでいるサリアに向けて顎をしゃくり、嫌味たらしく言葉を継ぐ。
「……あなたの可愛い一人娘を浄滅し切るには、ね」
「く……っ!」
聖女の言葉に、ギャレマスはギリギリと歯を食いしばり、悔しさで砕けんばかりに拳を握りしめた。
と、スウィッシュが上ずった声で叫ぶ。
「そ……そんな強力な術、サリア様と一緒に受けているアンタの身体も無事では済まないんじゃないのッ?」
「くく……あなた、おバカさんですの?」
エラルティスは、微かな希望に縋ろうとするスウィッシュを見下すように、白光で照らし出される顔を嘲笑で歪ませた。
「この聖光は、わらわの法力そのものですわよ? わらわに害を為す訳が無いでしょう。自分の毒で死ぬ間抜けな毒蛇なんていると思って?」
「……っ!」
無常な答えに希望を砕かれたスウィッシュは、がくりと膝を落とし、力無く項垂れる。
「そんな……やめてよ……サリア様を……助けてよ……お願い……だから」
埃まみれの石床にぽたぽたと涙が滴り落ちる。
「なぜだ……! なぜなのだエラルティス!」
ギャレマスもまた、絶望に顔を歪ませながらエラルティスに叫んだ。
「なぜ、サリアを手にかけるのだ! 余の命を奪って構わぬと申したであろうが!」
「ふふ……なぜですって? そんなの言うまでもないじゃあないですか」
エラルティスは、絶望するギャレマスを見るのが嬉しくてしょうがないというような顔をしながら答える。
「あなた、さっき自分でおっしゃったでしょう? この娘の命が、自分のものよりも大切だって」
「あ……ああ、言った! だから――」
「だからこそ、ですわ」
「な――!」
聖女は、思わず絶句する魔王をせせら笑いながら、殊更に嫌味たらしく言葉を継いだ。
「認めますわ。魔王の娘を売り渡して大金を稼ごうという、わらわの計画は失敗に終わりました」
「……!」
「この状況では、どう足掻こうとわらわは生きてはおれないでしょう。なら……人間族の希望にして、神の代行者たる聖女たるわらわの意地にかけて、魔王が一番嫌な事をして一矢を報いてやろう――そういう事ですわ!」
「意地……だと?」
その美しい顔を醜悪に歪ませながら打ち嗤うエラルティスに、ギャレマスは激情を隠し切れない血走った目を向ける。
そして、崩れかけた部屋の中、万雷が堕ちたかのような“雷王”の怒声が響き渡った。
「貴様の! 聖女の“意地”とは、余への当てつけの為に無辜の娘を殺すほどに矮小なものだというのかッ? エラルティス――ッ!」
◆ ◆ ◆ ◆
『お父様……』
眩い白光に包まれながら、哀しみと怒りに溢れた父の怒号を聞きながら、サリアは一粒の涙を零した。
聖鎖が光を増した瞬間に感じた、全身を苛むような激しい痛みは、不思議と先ほどよりも軽くなっているような気がする。……だが、それは多分、彼女の感覚と意識が“浄滅”の為に弱まりつつあるからだろう。
『ごめんなさい、お父様……。悲しませちゃって……』
そう、サリアはギャレマスに叫んだつもりだったが、もはや声も出なかった。
「……ぁッ!」
微かに聞こえたのは、スウィッシュの絶叫か。どうやら、聴覚も、その機能を喪いつつあるらしい。
自分の存在が消えつつある事をまざまざと悟ったサリアは、恐怖と絶望に打ち震える。
彼女は、声にならない声を上げて、親友に最期の声をかけた。
『スーちゃん……大好きだよ。お父様の事……お願いね……』
また一粒、その目尻から涙の滴が伝い落ちるが、その感触すら分からない。
――そして、彼女は何も感じなくなった。
『……怖い』
音も光も無くしたサリアは、唯一残った意識で、恐怖に打ち震えながら、必死で助けを乞う。
『助けて……! 誰か……助けて! サリア……まだ消えたくないよ! 助けて……っ!』
……だが、当然のように、その声に応える者は居なか――
『……よお』
『――ッ!』
返ってくるはずのない返事が返ってきた事に驚き、サリアは盲いたはずの目を見張る。
――すると、自分の前に、ぼんやりとした人影が立っているのが見えた。
人影は、みるみる形をハッキリとさせ、やがてまだ幼さが残る顔立ちの人間族らしき少女の姿になる。
それを見た彼女は、唐突に人影が誰なのかを悟った。
『あ……あなた……もしかして!』
『……ああ』
サリアの問いかけに、ショートカットの黒髪を掻き上げながら、少女はニヤリと微笑って頷く。
『また会ったな。――もうひとりのウチ』




