魔王と当たりと外れ
「いやああああ――ッ! お父様あああああっ!」
サリアの絶叫が響く中、廃墟の部屋を煌々と照らし出していた聖鎖の白光が徐々に弱まっていった。
そして、篝火と松明の赤い炎による仄明るさだけが残る。
「そ……そんな……」
柱に縛りつけられたサリアは呆然としながら、先ほどの白光の明るさで眩んだ目を凝らす。聖鎖に絡めとられ、聖女の法力を浴びせられた父親が無事である事を祈りながら……。
「お……お父様……! ご無事ですか……? 返事を……お声を聞かせて下さ――」
「さ……サリア……あ、案ずるでない……」
「ッ! お父様!」
聞き慣れた声を耳にしたサリアの表情が、絶望から歓喜へと劇的に移り変わった。
彼女は、喜びの涙を流しながら、石床に蹲っている黒い影に向けて、上ずった声で呼びかける。
「ご、ご無事でしたか、お父様あっ!」
「う……うむ。何とか、な」
サリアの声に応えながら、ギャレマスはムクリと身を起こした。そして、僅かに顔を顰めながら言う。
「さすがに、大層な枕詞が付くだけあって、些か身にこたえたが……。逆に良い刺激になったようで、首のコリがいい感じに解れたようだ。さすが、“災難関節法術”……」
「……“対魔完滅法術”だと、何度申し上げれば宜しいのかしら、この鳥頭魔王!」
聖鎖に身体を縛られたまま、首をゴキゴキと鳴らしている魔王に向かって声を荒げたのは、エラルティスだった。
彼女は、苛立ちを露わにしながら、涼しい顔をしているギャレマスの顔を睨みつける。
「……とはいえ、さすが魔王ですわね。わらわの聖鎖法術を受けても、消え去るどころかピンピンしているとは……!」
「いや、なかなかいいセンまでいっておったぞ」
ギャレマスは、悔しげに毒づくエラルティスを慰めるように言った。
「……確かに、今の法術なら、大概の魔族はひとたまりもなかったであろうな。しかし……余を消滅させるには、これでも足りぬ。今回は相手が悪かったと観念するの――」
「ふ……フン! 勝ったつもりになるのは、まだ早いですわよ!」
エラルティスは、荒げた声でギャレマスの言葉を遮ると、再び聖鎖に法力を込め始める。
それを感じたギャレマスは、ウンザリした表情を浮かべた。
「……まだやるのか? 何度やっても無駄だと、何故理解せぬ――」
「無駄なんかじゃありませんわよ!」
呆れ交じりのギャレマスの言葉は、エラルティスの勝ち誇った声で遮られた。
そして、せせら笑いを浮かべながら言葉を継ぐ。
「お忘れになったのかしら? このわらわの“天啓”の事を!」
「“天啓”……」
エラルティスの言葉を聞いて、ギャレマスは思い出した。数ヶ月前、ヴァンゲリン砦で戦った際に、勇者シュータがこっそりと口にした言葉を――。
――『テメエ、いくら何でも、『聖女』の“天啓”を甘く見過ぎだ!』
――『エラルティスも、神から『聖女』の天啓を与えられてる。そして、その天啓を最大限に発揮できる法術が、今お前が食らいかけた聖鎖法術なんだよ!』
――『聖鎖法術の効果は、「魔族であれば、どんなに力の差があっても、三割の確率で拘束した相手の存在を消滅させる事が出来る」というものだ。要するに、聖鎖法術を食らったら、たとえお前でも三割の確率で即死するって事なんだよ!』
「……あ」
「その顔……ようやく解ったようですわね」
ハッと表情を変えたギャレマスの顔を見て、鼻で嗤ったエラルティスは、再び聖杖を頭上に掲げながら言った。
「わらわの持つ“聖女”の天啓さえあれば、どんなにあなたが法力に対する耐性を持っていようと関係無いのですわ! 三割の確率が当たりさえすれば、問答無用であなたを浄滅させられる訳ですからね!」
「ぐ……!」
エラルティスの言葉に、思わず言葉を詰まらせるギャレマス。
彼の動揺を見てとった聖女は、その整った貌を愉悦で歪ませながら、言葉を継ぐ。
「今の聖鎖法術で一回、その前の聖光千矢で一回、既にあなたはわらわの攻撃を受けていますわ。どうやら、その悪運の強さで“外れ”を引く事が出来たようですけど、果たして三回目以降は……どうでしょうかねえ?」
「……だが、常に三割の確率という事は、数度攻撃を受けても、当たりを引かずに済むという可能性もある――!」
「ふふ、確かに……そうですわね」
ややたじろぎながらも、敢然と論駁するギャレマスだったが、それでもエラルティスが浮かべる余裕の表情は崩れなかった。
彼女は、ギャレマスの顔を冷たい目で見下しながら、「ですが――」と言葉を継ぐ。
「ならば……当たりを引くまで、何度でも何十度でも何百度でも攻撃を繰り返せばいいだけの話ですわ」
「……っ!」
「それに、聖女のわらわには、神の御加護もあるのです。せいぜい数度の攻撃で、見事当たりを引く事でしょう。第一、神に疎まれた魔族の悪運なぞ、たかが知れておるでしょうし……」
エラルティスは、クワッと口の端を上げ、殺気の籠もった視線でギャレマスの顔を見据えながら叫ぶ。
「特に、魔王のはね!」
「う……っ!」
自分の運の悪さを薄々自覚していたギャレマスは、思い当たる節があり過ぎて、エラルティスの鋭い言葉に思わず顔を顰めた。
エラルティスは、そんな彼に向かって、高く掲げた聖杖を振り下ろしながら、再び“対魔完滅”の聖句を唱える。
『天におわす全能の神よ かの愚かなる邪悪の権化を 慈悲と断罪の光もて浄滅し給えッ!』
その声に応じるように、再び聖鎖の放つ白い光が眩く光り始めた。
「やめてっ! エッちゃん! もうやめてぇ――ッ!」
先ほどのように明るくなり始めた部屋に、サリアの悲鳴交じりの絶叫が響き渡る。
だが、エラルティスは、魔族の王女が上げた懇願の声を聴きながら、愉しそうにせせら笑った。
「いいえ、やめませんわ! やめられる訳がないでしょう? こんな愉し――」
「――氷筍造成魔術ッ!」
エラルティスの嘲弄に満ちた声は、凛とした少女の声によって掻き消される。
それと同時に、石床の表面が青白く光り、その下から勢いよく突き出してきた氷筍の鋭い先端が、ギャレマスを拘束していた聖鎖を切り裂いた。
氷筍によって千々に引き千切られた聖鎖は、淡い光を放ちながら、溶けるように消え去る。
「なっ――!」
「……ようやく見つけたと思ったら、陛下に対して何て狼藉を働いているのよ! 絶対に赦さないわ、このバカ乳聖女ッ!」
目の前で起こった光景に、愕然とするエラルティスに向かって、少女の怒声が浴びせられた。
その聞き覚えのある声に、エラルティスは激しい怒りを露わにしながら眦を上げる。
そして、声の上がった部屋の入口に敢然と立つ蒼髪の少女の顔を、殺気の籠もった翡翠色の瞳で睨みつけながら、憎々しげに呟いた。
「この……無乳氷女が……ッ!」




