魔王と聖鎖と浄滅
ギャレマスは、サリアの後ろでせせら笑っているエラルティスの顔をギラギラと輝く黄金の瞳で睨みつけると、掌に理力を集めながら、ふたりの方に向けて一歩踏み出す。
が、
「――止まりなさい!」
すかさず金切り声を張り上げたエラルティスが、サリアの喉元に食い込んだ首輪に指を添え、己の法力を注ぎ込んだ。
「う……ううううあああああ――っ!」
魔族にとっては猛毒に等しい聖女の法力を、高純度ミスチール鋼製の首輪から身体に流し込まれたサリアは、苦しそうに顔を歪めながら悲鳴を上げる。
「さ、サリアッ!」
娘が苦しむ様子を見たギャレマスは、堪らずエラルティスに向かって叫んだ。
「や、やめよッ! やめてくれ!」
「やめてほしいのならば、その場に立ち止まって、両手を上に挙げなさいッ。早くッ!」
「わ……分かった!」
エラルティスの恫喝に、ギャレマスはコクコクと頷き、その場で立ち止まった。
そして、溜めた理力を解除した両手を頭上に挙げてみせる。
「……これで良いか?」
「……ふ、ふふ。結構ですわ」
従順に指示に従った魔王の姿を見て、少し冷静さを取り戻したエラルティスは、今度は右手に持った聖杖で魔王の足元を指し示した。
「さあ。次は、その体勢のままで膝をつきなさい。妙な真似をしたら――」
「……分かった。お主の言う通りにするから、サリアには手を出すな」
エラルティスによる重ねての指示にも素直に従い、ギャレマスは両手を挙げたまま、ゆっくりと膝を折ろうとした――その時、
「だ……ダメです、お父様!」
全身に法力を流し込まれてぐったりとしていたサリアが、息を激しく乱しながら、ギャレマスへ向けて必死に叫んだ。
「お、お父様……! も、もう、サリアの事はいいですから……お父様だけでも逃げて下さい!」
「……何を言うのだ、サリアよ」
苦痛に喘ぎながらも、健気に父親の身を案じる娘に、ギャレマスは優しく微笑みかけながら言う。
「余が……娘を置いて、逃げられる訳が無かろう」
「で……でも……!」
「……ふふ、そう案ずるでない。余は、真誓魔王国国王イラ・ギャレマスであるぞ。人間族如きに、むざむざと斃されはせぬ」
彼はサリアに向かって力強くそう言ったが、口の中でコッソリと「……シュータ以外なら、な」と付け加える。
そんな父娘の会話を黙って聞いていたエラルティスだったが、ギャレマスの言葉を聞いた瞬間、形のいい眉がピクリと跳ね上がった。
彼女は、嫌悪を露わにした翡翠色の目でギャレマスの事を睨みつけると、忌々しげに言う。
「……大した自信ですわね、魔王。些か人間族を……いえ、聖女の事を舐め過ぎじゃありませんこと?」
「“自信”ではないぞ」
ギャレマスは、石床に膝をついた体勢のまま、真っ直ぐエラルティスの顔を見据え、言葉を継いだ。
「少なくとも、お主程度の力の人間族に余は斃せぬ――これは、れっきとした“事実”だ」
「――減らず口を!」
ハッキリと言い切ったギャレマスに不機嫌な表情を露わにしたエラルティスだったが、すぐに不敵な笑みを浮かべると、おもむろに聖杖を掲げ上げ、そのまま縦に振り下ろす。
「聖鎖法術!」
エラルティスが高らかに上げた声に応じるように、彼女の前に黄金色の眩い光が溢れ出た。
光はみるみるうちに凝集し、やがて金色に輝く鎖の束へと姿を成す。
「――“縛”ッ!」
更に上げた聖女の声に応え、分銅が付いた鎖の先端が、まるで鎌首を持ち上げた蛇のように動き、ギャレマスの身体に固く巻きついた。
自分の身体を締め上げる黄金色の鎖を見下ろしたギャレマスは、その光景に見覚えがある事に気が付く。
「む……! この技は……」
「うふふ……記憶力の無いあなたでも、さすがに思い出しましたか?」
ギャレマスが僅かに顔色を変えた事に目ざとく気付いたエラルティスは、ニヤリと薄笑みを浮かべながら言葉を継いだ。
「ヴァンゲリンの砦で戦った時に、あと一歩であなたの命を奪うところだった対魔完滅法術『聖鎖法術』ですわッ!」
「ほう……」
エラルティスが勝ち誇った声を聞いたギャレマスは、僅かに感嘆の混ざった声を上げる。
「怠慢幻滅法術とは……なかなか面白い枕詞が付いた法術だな……」
「何がサボってガッカリする法術ですってッ? “対魔完滅法術”ですわよッ! タ・イ・マ・カ・ン・メ・ツ・ホ・ウ・ジュ・ツッ!」
ギャレマスの言葉を聞いたエラルティスは目を剥き、強い口調で一音ずつ区切りながら、魔王の言い間違えを訂正した。
「まったく……! せっかくの土壇場に、そういうアホみたいなボケを入れるのやめて下さいませんかッ?」
「あ……いや、別にボケたつもりではなかったのだが……。まあ、その……すまぬ」
エラルティスから怒鳴りつけられたギャレマスは、バツ悪げに頭を下げた。
それを見た聖女のこめかみに、青筋がビキビキと音を立てて浮き上がる。
「まったく……どこまでも余裕ぶりやがりなさって! ……でも」
そう言うと、エラルティスは口元を上弦の月の形に歪めた。
「――その余裕も、これからすぐに消えますわ。あなたの存在ごと、ね!」
「え……? エ、エッちゃん? お父様の存在が消えるって……どういう事ッ?」
聖女の口走った言葉を耳にしたサリアが、顔色を青ざめさせながら、おずおずと訊ねる。
そんな彼女の怯えた表情を見て、満足そうに薄笑んだエラルティスは、その耳元に口を近付け、そっと囁きかけた。
「……どういう事も何も、言葉通りですわ。消えるんですの。神に祝福されしわらわの聖なる法力によって、神に疎まれた汚らわしい魔族の王である、あなたのお父様のすべてがね……」
「……ッ! や、やめて!」
「うふふ。謹んでお断り申し上げますわ!」
彼女は、懇願するサリアを嘲笑いながら叫ぶと、ギャレマスに向けた聖杖を握る手に力を込めた。
そして、軽く目を閉じて精神を集中させながら、厳かに聖句を言祝ぐ。
『――天におわす全能の神よ かの愚かなる邪悪の権化を 慈悲と断罪の光もて浄滅し給え!』
彼女が聖句を唱えると同時に、ギャレマスの身体に巻きついていた光の鎖が、その光をさらに強めた。
その真っ白い光に照らし出され、崩れかけた部屋全体が、まるで真昼のように明るくなる。
そして――、
「お……」
柱に縛りつけられたサリアは、光の中心にいたギャレマスの姿が、溢れる光の奔流によって、描き消されるように見えなくなった事に狼狽し、激しく取り乱しながら絶叫した――。
「お父様あぁぁぁぁぁぁ――ッ!」
 




