姫と夢ともうひとり
『……い。……りしろ』
『う……ぅん』
『……おい! 聞こえてんのかいッ! 聞こえてたら、さっさと返事しなっ!』
『むにゃ……もうちょっと……あと五分だけ……』
『コラ! 夢の中で寝ぼけてんじゃないよ! いいから早く返事しやがれってんだ!』
『……ふぇっ?』
『ふう……やっと気付いたかい。オハヨ……ってのはおかしいか……』
『えっと……あ、あなたは?』
『ウチ? ふふ……ウチは、お前だよ』
『え……? あ、あなたが……サリア?』
『そゆ事』
『ええと……それって、どういう意味? 良く分からないんだけど……』
『まあ……突然、こんな事を言われても面食らうわなぁ。ウチも、チキンレースでしくって崖から落っこちたと思ったら、目の前に角と羽が生えた“魔人”だか“魔神”だかいう妙なクソガキが現れて、いきなり転生がどうのとか言い始めた時には、お前とおんなじ反応しちまったよ』
『が、崖から……? って……もしかして――』
『お! ちょっとは思い出してた感じか?』
『お……思い出したっていうか……何か、変な夢を見たんだ。……ものすごく速く走る機械の馬みたいなものに乗って、そのまま崖から落ちちゃうって夢……。そこでは、サリアは別の人になってて……確か、か……カド――』
『門矢司。ウチの名前さ』
『じゃ、じゃあ……やっぱりあなたが、あの時の夢の人……!』
『そ。……そして、お前自身だよ』
『だから……それが良く分からないんだけれど。……でも』
『……でも?』
『でも……』
『うん』
『……不思議なんだけど、あなたの言う事が間違っていないって事は信じられるの。――何でかな?』
『ああ……それは、お前が“覚醒”しかけてるって事だ』
『か……“覚醒”って……何?』
『それはね…………っと』
『え?』
『……どうやら、今はここまでみたい。邪魔が入った』
『え? じゃ、邪魔……って?』
『じゃ、また今度……いや、それとも、お前が“完全覚醒”する方が早いかもな?』
『だから……覚醒って何な――』
『ほら、さっさとあっちに行きな。うっかり死ぬんじゃないよ。――もうひとりのウチ』
『え――っ? ちょ、ちょっと待って! ちゃんと説明――』
◆ ◆ ◆ ◆
「――説明して! あなたとサリアの……!」
意識を取り戻したサリアが、パチリと目を開いて声を荒げた次の瞬間――、彼女が監禁されている部屋の石天井が、凄まじい音と共に崩壊した。
「うわあああああ~ッ?」
「に、逃げろぉ! 下敷きになるぞ!」
「ひえええええ~ッ!」
次々に降ってくる大小様々の瓦礫から、必死に逃げ惑う人間族の男たちの上げる悲鳴と怒号で、部屋は喧騒と塵埃に包まれる。
「え? え? ええ~っ?」
目覚めた途端に、凄まじい光景を目の当たりにする事になったサリアは、状況が掴めぬまま、キョロキョロと周囲を見回した。
石柱に縛りつけられたサリアは、降ってくる瓦礫を避ける事も、両手を掲げて頭を守る事も出来ない。
だが、幸運にも、サリアの周りに瓦礫が落ちてくる事は無く、かすり傷ひとつ負ってはいなかった。
……だが、舞い上がる埃が濛々と辺りを覆い尽くし、それを吸い込んでしまったサリアは激しく咳き込む。
「けふっ! かはっ……くちゅん!」
目にも容赦なく埃が入り込むが、柱に縛りつけられた彼女は涙が溢れる目をこする事も出来ずに、固く瞑って凌ぐしかなかった。
舞い上がった埃煙が収まるまでは、少し時間がかかった。
「う……うぅ……目が痛いよぉ……」
ポロポロと大粒の涙を流しながら、サリアは恐る恐る目を開く。
そして、霞む視界で、おずおずと周囲を見回した。
「うわぁ……何これ……」
サリアは、呆然と呟く。
元々荒れ果てていた廃寺院の一室は、今しがた起こった天井の崩落により、更に廃墟っぷりに拍車がかかっていた。
大小様々の瓦礫が降り積もった床には、運悪く直撃を受けた人間族の男たちが倒れ、苦しそうな呻き声を上げている。
サリアが上を見上げると、石天井の真ん中あたりにぽっかりと大きな穴が開き、満天の夜空が見えていた。
この惨状が、遥か上空から堕ちてきた何かが天井を突き破った事によるものであるのは明らかだった。
「一体……何が……?」
「う……うう、頭がガンガンする……」
「――ッ!」
訝しげな表情を浮かべるサリアの耳に、低い男の声が飛び込んできて、驚いた彼女はびくりと身体を震わせる。
その声には、聞き覚えがあった。
(え……まさか――いや、今の声は……!)
サリアの心臓が、早鐘のように激しく速く鼓動を打ち始める。
そして、部屋の中央で縛りつけられた自分から少し離れたところでモゾモゾと蠢く黒い影の正体を見極めようと、更に目を凝らした。
「う、うう……き、気持ち悪い……は……吐きそう……だ……オエエエ」
サリアから背を向けた格好の黒い影は、四つん這いになり、口元を押さえながらブツブツと呟いている。
そして、周りを見回すように首を巡らし、サリアの方に顔を向けた。
「――ッ! お……」
その顔を見たサリアの目が大きく見開かれる。
その、側頭部に二本の大きな角が生えた黒い長髪の髭面は、見間違えようもない!
「お――お父様ぁ!」
サリアは、足元もおぼつかない様子でフラフラと身体を揺らしてる父親に向かって、必死に呼びかける。
……だが、ギャレマスの耳には届いていないようだ。
それでも、サリアは更に声を張り上げる。
「お父様! ここです! お父様ッ! お父様ぁっ!」
「……んん?」
ようやく、ギャレマスがサリアの声に気が付いたようだ。
彼は怪訝な表情を浮かべながら、キョロキョロと首を巡らせている。
「な……何だ、今のは? だ……誰かおる――のか?」
「サリアです! お父様! お父様ぁッ!」
「――そ、その声はッ?」
遂に、ギャレマスが声の主に気付いた。
彼は真っ直ぐサリアの方に顔を向けると、必死で目を凝らす。
そして、彼女の姿と顔を視認するや驚愕の表情を浮かべ、あらん限りの大音声で絶叫した。
「――サリアアアアアァッ!」




