狼獣人と廃墟と警備
「……間違いない。ここだよ」
と、アヴァーシ東端の寂れた一角で、闇に身を隠したジェレミィアが、鼻をスンスンと鳴らしながら囁いた。
「! ここに……サリア様が……!」
ジェレミィアの言葉に、崩れかけた門柱の陰に身を潜めたスウィッシュが目を見開く。
彼女の視線の先には、かつては大きな製錬所だったであろう一棟の廃墟が建っていた。
数百年前は、イワサミド鉱山で産出されるミスチール鋼を製錬加工する為、年中無休で稼働していた製錬所だが、鉱山の産出が衰えると共にその役割を終え、今は近寄る者など誰もいない……はずなのだが。
「ひい、ふう……十人……いや、十五人は居るわね。こんな廃墟に……」
スウィッシュは、廃墟の中から漏れる光の中を動き回る人影の数を数えながら、確信する。
「間違いない……こんな町はずれの廃製錬所に、完全武装の人間族の男たちがこんなに集まってる理由なんて、ひとつしかないわ。やっぱり……あなたの言う通り――」
「そういう事」
ジェレミィアは、自慢げに胸を張った。
「スッチー、だから言ったじゃん。アタシの鼻は確かだって」
「ほ……本当に、ここにサリア様が……?」
「うん。あの廃墟の方から、サッちゃんの匂いがプンプンしてるからね。――それに加えて、あの警備の数……あれはエラリィか、エラリィと手を組んでる誰かが、サッちゃんを取り戻す為にやって来た邪魔者を防ぐ為に雇ったに違いないよ」
そう言うと、ジェレミィアはもう一度鼻をヒクヒクと動かし――少しだけ訝しげな表情を浮かべる。
「……でも、何でだろ? 何となく――」
「え?」
ジェレミィアの様子に、不安を覚えて訊き返すスウィッシュ。
だが、ジェレミィアは、
「ううん、何でもない。多分気のせいだよ」
と答えると、掌をスウィッシュに向けた。
「……じゃあ、アタシがアイツらに“伝説の四勇士”の肩書をチラつかせて中に入れてもらうようにするから、スッチーはここで待ってて」
「え――?」
ジェレミィアの指示に、スウィッシュは驚いたように目を見張り、ブンブンと頭を振る。
「イヤよ! あたしも一緒に戦うわ! その為に、あの恥ずかしくて戦いづらそうな“びきにあーまー”から、いつもの服に着替え直したんだから!」
「あのさぁ……誰も戦うなんて言ってないじゃん」
鼻息を荒くしながら声を荒げたスウィッシュを前に、ジェレミィアは困り顔で頭を掻きながら言った。
「大丈夫だって。手荒な真似なんかしなくても、通してもらえるって。これでもアタシは、“伝説の四勇士”のひとりだかんね。ここじゃ、結構顔が利くんだよ」
「そう……なの?」
自信満々に言い放つジェレミィアの事を、半信半疑といった顔で見るスウィッシュ。
だが、ジェレミィアは、向けられた疑いの視線など意にも介さず、堂々とした足取りで廃墟の方へスタスタと歩いていく。
――と、
「――おい! そこの獣人女! 止まれ!」
彼女の姿を見た警備の男が、背中に担いだ大剣の柄を握りながら、険しい声を上げた。
その声を聞きつけて、廃墟の中からゾロゾロと他の警備たちが出て来て、ジェレミィアの周りを囲む。
そして、最初に声をかけた隻眼の男が、ガラの悪い声で怒鳴った。
「てめえ、女一人でこんなとこをうろついて、何が目的だ、アァッ!」
「何さ。偉そうに」
怒鳴りつけられても、まったく気圧された様子を見せず、ジェレミィアは言い返す。
「別に、天下の往来を誰がいつ歩こうが勝手じゃんか」
「分からねえのか? そこの門から中は私有地だ。てめえは、現在進行形で他人の敷地に不法侵入してんだよ! 分かったらさっさと出ていけ、このクソ犬女が!」
「私有地ねえ……」
居丈高な男の言葉を鼻で嗤いながら、ジェレミィアは自分の周りを取り囲む警備たちの顔を見回した。
「……どうも、アタシには、アンタ達がここの所有者だとはとても思えないんだけどね」
「何だと……!」
「まあいいや。アンタ達が所有者だろうが無かろうが」
ジェレミィアは、怒声を上げかけた隻眼の男の事を制して、廃墟の入口を指さした。
「アタシは、この建物の中にいる娘に用があるんだ。だから、そこをどいて」
「……ッ!」
ジェレミィアの言葉を聞いた瞬間、警備たちの顔色が明らかに変わり、互いの顔を見合わせるが、すぐに小さく頷き合う。
そして、隻眼の男が仲間たちを代表するように一歩前に出ると、口の端に薄笑いを浮かべながら答えた。
「……フン、知らねえな。この建物の中に、娘なんかいないぜ」
「……別にアンタ達に訊いちゃいないよ。勝手に調べるから、そこをどいてって言ってんの」
「あぁっ? テメエ、何様だと思って、んな勝手な真似をするって――」
「何様?」
ジェレミィアは、威嚇するように凄む隻眼の男に向かってニヤリと笑いかけると、自分の顔を指さしながら言った。
「そりゃあ、もちろん――“伝説の四勇士”様だよ!」
「――ッ?」
ドヤ顔で自分の身分を明かしたジェレミィアを前に、警備たちの目が大きく見開かれる。
驚く警備たちの顔を見て気を良くした様子のジェレミィアは、大きな耳と尻尾をぴょこぴょこ振りながら言葉を継いだ。
「何を隠そう、“伝説の四勇士”のひとり、“神速の魔法騎士・ジェレミィア”とはアタシの事だよ。そのアタシが建物の中に入りたいって言ってるんだから、四の五の言わずに通した方が身の為だよ!」
「……」
ジェレミィアの名乗りを聞いた警備たちは、再び顔を見合わせると――無言で一斉に抜剣した。
無数の鞘走りの音が、静まり返った夜闇の中に響き渡る。
「……あら?」
「くっくっくっ……!」
警備たちの意外な反応に首を傾げたジェレミィアに、抜き放った大剣を肩に担ぐように構えた隻眼の男が、下卑た笑い声を上げた。
「……正直、半信半疑だったが、あの赤毛の娘の為に、“伝説の四勇士”サマがマジでノコノコやって来るとは思わなかったぜ」
「やっぱり――ここに居るんだね、サッちゃんは……」
「……オレ達には訊かねえんじゃなかったんかい、“伝説の四勇士”サマよぉ? くっくっくっ」
「……そうだったね」
不敵に嗤う隻眼の男と、その仲間たちの顔をジロリと睨みつけたジェレミィアは、しっしと犬でも追い払うように手を振ってみせる。
「じゃあ、そういう事だから、さっさとどっかに行って。――さもないと」
「さもないと――何だって?」
「この街のお医者さんが、とっても忙しくなっちゃうね」
「ハハッ! 忙しくなるのは、葬儀屋一軒だけだよ! テメエの葬式を出す、な!」
と、ジェレミィアの言葉を嗤い飛ばした隻眼の男は、仲間たちに向かって高らかに叫んだ。
「テメエら、稼ぎ時だ! この狼女を倒して、特別ボーナスと“伝説の四勇士”殺しの称号ゲットだぜ!」
「「「「「「おおおおおおおっ!」」」」」」
隻眼の男の鼓舞に、一斉に意気が揚がる警備たち。
そんな男たちに囲まれながら、ジェレミィアは大きな息を吐いた。
「はぁ……十五人がかりで、“伝説の四勇士”を倒そうだなんてねぇ……呆れる」
「くっくっくっ! まあ、そう言うなよ」
嘆きの声を上げるジェレミアを嘲るように、隻眼の男が言う。
「なんせ、オレ達はか弱い一般市民だ。“伝説の四勇士”サマと戦うには、このくらいの数的ハンデが無いと勝ち目ねえからな。いわゆるひとつの、『戦いは数だよ』ってヤツだ。今更卑怯だ何だって泣き言をほざいても遅え!」
「……卑怯?」
ジェレミィアは、男の声を鸚鵡返しに呟き――微笑を浮かべながら頭を振った。
「違う違う。卑怯だなんて全然思ってないよ。むしろ逆」
「……逆?」
「そ」
ジェレミィアは、訝しげに訊き返した男に、ニィッと笑いかけた。
持ち上がった口角の間から、狼獣人特有の白い牙が覗き、キラリと光る。
そして、彼女は自分の周囲を取り囲む男たちの顔をゆっくりと見回しながら言葉を継いだ。
「アタシが『呆れる』って言ったのは――アンタ達が、“伝説の四勇士”を相手にするのにたった十五人で済むって考えてる事に対してだよ」




