虜姫と聖女と取引
サリアは、薄ら笑いを浮かべながら自分の事を見下ろしているエラルティスをキョトンとした顔で見上げ、にへらあと笑った。
「あ……おはよう、エッちゃん」
「……相変わらず、トボけた娘ですわね」
エラルティスは、いつもと同じような気安い調子で声をかけてきたサリアに拍子抜けした様子で、僅かに顔を顰める。
そんな彼女にサリアは首を傾げながら訊ねた。
「ねえ、エッちゃん? ここってどこなのかな? 確か……サリアはスーちゃんとオーディション会場の控室に居て、そこにエッちゃんが来て――」
そう言いながら、彼女は周囲を見回す。
そこは明らかに、目を覚ます前にいた控室とは違っていた。
控室よりも広くガランとした空間で、周囲は崩れかけた石壁で囲われている。
天井も石造りで、それを支える太い石柱の一本に、いつの間にか粗末な灰色のローブを着せられていたサリアが、太縄で縛りつけられているようだ。
そして、この部屋に居るのは、サリアとエラルティスだけではなかった。
部屋のあちこちには、甲冑を身に纏った完全武装の人間族の男たちが立っており、サリアの事を警戒と興味が綯い交ぜになった目つきでジロジロと見ている。
そして――さっきまで一緒にいたはずのスウィッシュの姿は、どこにも無かった。
サリアは、男たちの視線に居心地の悪さと不気味さを感じ、無意識に身を縮こまらせながら、エラルティスに訊ねる。
「……ねえ、エッちゃん。ここって、一体どこなの? スーちゃんはどこ?」
「そんな事、魔族のあなたが知る必要も権利も無いですわよ」
エラルティスは、冷たい声でそう答えると、サリアに向けて嘲笑を浮かべ、言葉を継いだ。
「まあ……愚かで鈍い魔族のあなたでも大方の察しが付くでしょうけど――あなたは、わらわに攫われたんですのよ、うふふ……」
「さ……攫われた……? サリアが……エッちゃんに?」
エラルティスの言葉を聞いたサリアは、驚きで目を丸くし、不思議そうに首を傾げる。
「……どうして? どうして、エッちゃんがサリアの事を……?」
「ふふ……それはもちろん、お金の為ですわ」
そう言いながら、エラルティスは親指と人差し指をくっつけて円を作ってみせた。
「お……お金?」
「ふふふ……あなたは、もう少し自分の存在の希少性を認識しておくべきでしたわね」
戸惑いの表情を浮かべるサリアに、エラルティスは憐憫と嘲弄が入り混じったような表情で言う。
「あなたは、ただでさえ国内では珍しい魔族――その上、その首魁である魔王の血を引き継いだ実の娘ですもの。そんなあなたを手に入れる為なら、倫理観などかなぐり捨てて、お金に糸目を付けないような連中がごまんと居りますのよ。貴族や収集家や学者や錬金術師……それに、聖職者。そいつらが何の為にあなたを欲するのか……それは、それぞれでしょうけどね」
「……」
「わらわは、事前にそのうちのひとりと接触して、取引する事にしましたの。いい加減、お馬鹿な勇者殿と愚かな魔王の演じる三文芝居に何度も何度も付き合うのが、いい加減に面倒くさくなってきましたからね」
「な……何度もって?」
サリアは、エラルティスの言葉に違和感を覚え、思わず訊き返した。
だが、聖女はそれには答えず、ただ曖昧な薄ら笑いを漏らしただけで、先ほどの話の続きを口にする。
「……まあ、安心なさいな。今宵わらわが取引を持ちかけたのは、そんな汚物みたいな連中の中でも、一番マシな類ですわよ。なにせ――」
そこまで言ったところで、彼女はハッとして口を手で覆った。
「……さすがに、これ以上クライアントの情報を漏らすのはマズいですわね。――まあ、兎にも角にも、すぐに命を取られる事だけは無いので、安心なさいな」
そう、まったく安心できない事を言いながら、エラルティスはサリアに近寄り、彼女の首元で光る高純度ミスチール鋼製の首輪を愛おしげに撫でる。
「そして、あなたが健在である限りは、わらわの収入も保証され続けるという訳ですわ。この首輪であなたの力を抑え続ける為に、定期的にわらわが“祝福”を施して法力を補充する必要がありますからね。……もちろん、有料で。うふふふ」
そう言うと、彼女は口元に手の甲を当てながら、愉しげに笑った。
そんなエラルティスを呆然とした顔で見上げていたサリアだったが、ハッと顔を青ざめさせると、必死に身を捩り、何とかして縛りつけられた太縄から抜け出そうと足掻き始める。
……だが、何故か体に力が入らず、固く締めつけられた縄の結び目は少しも緩まなかった。
そんな彼女の様子を見ていたエラルティスは、勝ち誇った表情で甲高い嘲笑を上げる。
「うふふふふ! 藻掻いても無駄ですわ。そんな簡単に解けるようには結んでませんし、今のあなたは、その首輪のせいで、ほとんど力を発揮できない状態ですからね」
「……そんなの、試してみないと分からないもん!」
「あらあら。そんなに暴れちゃ危ないですよぉ」
無駄だと言われても、なおも足掻こうとするサリアに、エラルティスがクスクス笑いながら声をかけ、彼女の胸元を指さした。
「それ以上動くと、せっかく着せてあげたローブがズレて、あなたの大切な部分が居合わせた兵士の皆さんの前で丸見えになっちゃいますよ?」
「えっ……?」
エラルティスの意味深な言葉が気にかかり、怪訝な表情を浮かべながら自らの身体を見下ろしたサリアは、
「……キャッ!」
ようやく、自分が灰色のローブの下に何も着ていない事に気が付き、顔を真っ赤にして悲鳴を上げる。
エラルティスはニヤニヤ笑いを浮かべ、サリアの乱れたローブの袷を直しながら言葉を継ぐ。
「そうそう……。そうやっておとなしくしておけば、いずれ解いてあげますわよ。――クライアントに引き渡す時にね」
「……どうして?」
サリアは、赤面したままおずおずと尋ねた。
「どうして……サリアの事を裸にしたの……?」
「ただの読者サービスですわ……っていうのは冗談で」
と、おどけながら言ったエラルティスは、クスクス笑いながら言葉を続ける。
「まあ……一言で言えば、『必要だったから』ですわ」
「ひ……必要? 必要って……何に?」
「答える必要も義務もありませんわね」
問いを重ねるサリアに冷たく言い放ったエラルティスは、くるりと背を向け、ヒールの音を鳴らしながら離れていく。
そんな聖女の後ろ姿に、サリアは震える声で叫んだ。
「だ……大丈夫だもん! すぐに、お父様やスーちゃんが助けに来てくれるもん! そうしたら――」
「ふふふ……残念ながら無理でしょうねぇ」
エラルティスは、背を向けたまま首を巡らし、横目でサリアの事を睨みながら言った。
「賭けてもいいですわ。あの魔王や無乳娘はもちろん、シュータ殿や狼女にも、この場所は見つけられませんわよ。だから……さっさと諦めて、おとなしく自分の運命を受け入れるのが賢明ですわよ」
そう言い残し、再び前を向いたエラルティスは、そのまま振り返りもせずに、石造りの部屋を出ていく。
「……」
柱に括りつけられたまま、部屋に残されたサリアは、エラルティスの姿が扉の向こうへ消えてから、がくりと顔を伏せた。
……その紅玉のような瞳から溢れた大粒の涙が、ポタポタと音を立てて床へと落ちる。
「……助けて、スーちゃん。助けて……アル君……。助けて……助けて、お父様……」
残酷な現実を目の当たりにした少女の口から漏れた、懸命に助けを求める掠れ声は、しかし誰の耳にも届かなかった……。




