暴走族とヘッドとチキンレース
◆ ◆ ◆ ◆
「ワビ入れるんなら、今の内だぞゴラァ!」
そう喚きながら、ソバージュ髪の厚化粧の女が、豚か猪みたいに不細工なツラを更に歪めながら、ウチにメンチを切ってくる。
ウチは、がなる女――女傑血威無・亜麻咀音主総長・宝生麗夢のデカい口から放たれる唾と臭い息に、思わず顔を背けたくなるが、グッとこらえて、その醜悪なツラを睨み返した。
「うるせえぞコラ! ワビ入れんのは、テメエらの方だろうがボケェっ!」
眉間に力を入れて深い皺を作りながら、ウチは斜め45度に顔を傾げ、下から宝生麗夢の顔を見上げるようにガンを付ける。
「先にウチらのシマを荒らしたのはアンタ達の方だろうが! コッチは、シマの中でうろつくゴキブリをスリッパで軽く叩いただけだ、文句あっか、オォ!」
「ご、ゴキブリだぁッ? アタシたちの事をゴキブリと言ったのか、このスベタがッ!」
「おや、ゴキブリじゃあ不満だったかい? じゃあ、蚊トンボにしてやるよ!」
「この……!」
ウチの挑発に、麗夢は顔を引き攣らせた。ブッ細工なツラが、サルのケツみたいに真っ赤になる。
「――クソザコナメクジチームの頭如きがイキッてんじゃねえぞゴラ!」
「クソザコナメクジじゃねえよ!」
目を血走らせた麗夢が上げた怒声に負けじと、ウチも声を張り上げた。
そして、ウチの仲間が誇らしげに掲げる隊旗を指さす。
「ウチらは、全国最強のレディースになる予定の“刃瑠騎梨偉”! ウチはその頭・門矢司だよ! 冥土の土産に覚えておいきっ!」
「……フンッ!」
堂々としたウチの名乗りに、麗夢は一瞬気圧された様な表情を浮かべたが、すぐに元の猪のツラに戻った。
そして、口元を吊り上げ、不敵な笑みを浮かべる。
「カドヤツカサね、覚えたよ。香典の宛名にバッチリ書いといてやるよ!」
そう怒鳴ると、麗夢は真っ暗な闇へと伸びた一本道を指さした。
「じゃあ、もう一度ルールの説明だ。アタシとアンタは、これから自分の単車で一斉にこの道を走る。この先は崖になってるから、より崖に近付いた方の勝ちだ」
「ああ、分かってるよ!」
「言っとくけど、崖のガードレールはこの前の事故で吹き飛んでるから、少しでもブレーキを踏むのが遅かったら、そのまま三十メートル下の海へドボンだからね! ……び、ビビッて止めるんだったら、今の内だよ!」
「さっきも聞いたわよ! ビビってんのは、アンタの方なんじゃないの? ひひッ!」
心なしか顔を引き攣らせている麗夢に、ウチはせせら笑いを浴びせる。
それを見た麗夢は、飛び出さんばかりに目を剥いたが、そのまま何も言わずにウチから背を向け、大股で自分の単車の方に向かった。
「……けっ!」
挑発が空振りした事が面白くなくて、ウチは道のアスファルトに唾を吐き、くるりと振り返って、自分の単車に跨る。
――と、
「……姐さん!」
不意に声をかけられ、同時に特攻服の袖を引っ張られた。
横を見ると、特攻隊長のカオリが、目に涙を浮かべながら不安そうな表情を浮かべている。
「姐さん、もう止めましょう! 危ないですって!」
「大丈夫だって」
ウチは、腕に縋りつくカオリの癖っ毛を撫でながら、安心させようと微笑んでみせた。
「ウチの二つ名は知ってんだろ?」
「きょ……“強運のツカサ”……」
「そ。だから、大丈夫だって」
「で、でも……だからって、こんな所でチキンレースなんて……」
「……ウチは、アンタを置いては死なないよ。約束する」
なおも震える声で言うカオリの頬をそっと撫でながら、ウチは優しい声で囁き、腕に絡みつく彼女の手をそっと引き剥がした。
そして、泣きそうな顔をしているカオリに微笑みかけてから、軽くアクセルを噴かし、そのままスタート地点まで単車を転がす。
「遅いよ! ビビッてお家に帰るのかと思ったよ!」
「アンタがね」
先にスタート地点でスタンバってた麗夢の憎まれ口を軽くいなし、ウチもスタート地点につく。
単車のヘッドライトに照らし出されたアスファルトの道は、まっすぐ伸びていたが、ヘッドライトの光の先は真っ暗で何も見えず、崖までどのくらいの距離があるのか、ここからでは分からなかった。
「じゃあ、位置についてー!」
スタート地点の横に立った亜麻咀音主のメンバーが、真っ直ぐ上に手を上げながら叫んだ。
ウチと麗夢は、ハンドルのグリップを握り、その時を待つ。
「――ゴーッ!」
メンバーが号令と共に手を振り下ろした瞬間、ウチと麗夢は同時にアクセルを回した。
二台の単車が、闇に向かって勢いよく走り出す。
どのくらい走っただろう。何十秒かくらいだったかもしれないし、たった数秒だったかもしれない。
ウチは、横を走っていた麗夢の単車のヘッドライトの光が視界から消えた事に気付いた。
「……!」
横を見ると、麗夢の単車が急激に速度を落としている事が分かった。
どうやら、アイツの方が先にブレーキを踏んだらしい。
(――ウチの勝ちだ!)
そう思った次の瞬間、ウチは違和感を覚えた。
――あれだけ聞こえていた、タイヤがアスファルトを踏む音が……聞こえない。
そして、まるで下りのエレベーターに乗っているかのような、身体がふわっと浮き上がる感覚。
(あ……やべ……しくった)
ウチはすぐに悟った。
(落ちる――)
真っ暗な海が視界に入る。そして、波がぶつかって白く弾けている岩礁が、やけにゆっくりと目の前に迫ってくる――!
ウチは、背中にゾゾゾと寒気が走るのを感じながら、思わず目を瞑った。
不意に、さっき見たカオリの半泣き顔が瞼の裏に浮かぶ。
(ゴメン……。約束、破っちまった……)
ウチはカオリの幻影に詫びながら、ぼんやりと考える。
……そういえば、こういう時は何て言うんだっけ?
そう……確か――、
(“不運”と“踊”っちまった……だ)
――そこで、ウチの意識は、途切れた……。
◆ ◆ ◆ ◆
「……ッ!」
サリアは、ハッと息を呑みながら目を開けた。
「……なに、今の……? 夢……?」
くらくらする頭で、今まで見ていた映像を思い返す。
「何だろう……? あの、すごい速さで走る変な馬みたいな乗り物……? それに……か、カドヤ……ツカサ……って、誰?」
何故か、全然知らない光景と名前のはずなのに、サリアはそれを良く知っているような気がして仕方なかった。
――と、その時、彼女は更なる違和感に気付いた。
「え……? な、何これ……?」
サリアは、自分の身体に巻きつけられた荒縄を呆然と見る。
身を捩って縄を緩めようとするが、きつく縛られた縄は全く緩まなかった。
「ど……どうなってるの? 確か……サリアは、スーちゃんといっしょに――」
「あらぁ、お目覚めかしら。魔族のお姫様?」
「……ッ!」
不意にかけられた声に、サリアは驚いて顔を上げる。
彼女の前には、白い神官服を身に纏った、深緑髪の若い女が立っていた。
その見覚えのある顔を見たサリアは、目を大きく見開き、啞然とした声を上げる。
「え……エッちゃん……」




