ハーフエルフと窮地と逆転
巨漢の兵の太い指が、ファミィの着ている上衣を剥ぎ取ろうとおぞましく動く。
「ムーッ! ンーっ! んぐぅーッ!」
(や、止めて! 触るなッ……お願いだから!)
ファミィは、涙をいっぱいに溜めた目でそれを凝視しながら、何とか巨漢の兵の拘束から逃れようと必死に藻掻く。
だが、いかに“伝説の四勇士”といえど、口に押し込まれたスカーフによって精霊術を封じられてしまった彼女は、ただの非力な女でしかなく、どんなに力を込めて足掻いても、巨漢の兵の身体はビクともしなかった。
「へっへっへっ……そんなに嫌がるなよ。すぐに気持ちよくしてやっからよ……」
ファミィの必死の抵抗を、むしろ愉しむように口元を歪めた巨漢の兵は、彼女の着ている綿入りの上衣のボタンを引き千切る。
彼女の豊満な乳房を覆う絹製の白い下着と、それよりも白く肌理の細かい肌が、露わになった。
「おぉ……」
巨漢の兵は、その神々しいまでの美しさと色気に思わず嘆声を漏らし、目を大きく見開いて、彼女の姿を凝視する。
その一方、組み敷かれたファミィは羞恥と絶望で表情を歪ませると、顔を横に背けた。
固く瞑った目の端から、ポロリと涙の粒が零れる。
(もう……ダメ。こんな……こんな汚らわしくて野蛮な人間族なんかに、私の初めてが……)
その時、彼女の脳裏にひとりの魔族の男の姿が浮かんだ。
――長い黒髪の間から白い角を生やし、口髭の下から穏やかな笑みを浮かべ、優しげな金色の瞳で自分の事を見つめる、少し頼りなさそうな顔つきをした男の顔が――。
(なんで、こんな時にあいつの顔を思い出すんだ、私は……)
そう、ファミィはぼんやりと考えながら……その幻影に向かって、懇願するように心の中で叫んだ。
(……助けて! 助けて、お願い……魔王――助けて!)
――だが、瞼の裏の魔王は、所詮は幻。
ポロポロと涙を流しながら目を開けた瞬間、ギャレマスの姿は消え、その代わりに視界に入ったのは、彼女を組み敷く人間族の薄笑みを浮かべたおぞましい顔だった。
「……ッ!」
「ひひひっ! 遂に観念したか? いいねえ、その引き攣った顔。それでこそ姦りがいがあるってもんだ!」
巨漢の男は、絶望に満ちた表情を浮かべたファミィの顔を見て、ますますいきり立ちながら、遂に彼女の下着に手をかけようとした――その時、
不意に、ファミィに覆い被さっていた男の身体が、まるで襟首を掴まれて後ろに引っ張られたかのように、大きく仰け反った。
「う……うおっ?」
驚愕の声を上げながら、大きくバランスを崩して仰向けにひっくり返る巨漢の兵。それが彼自身の意志によるものではない事は、何が起こったか解らないとばかりに呆然としている、その表情からも明らかだった。
「……ッ?」
唐突に巨漢の兵の拘束から解放され、急いで身を起こしたファミィも、キョトンとした顔で周囲を見回す。
……と、その口に詰め込まれていたスカーフが、するりと引っ張り出された。
「……っ?」
ぽとりと湿った音を立てて、自分の口から地面に落ちたスカーフを見て、ファミィは目をパチクリさせる。
――だが、
「うぅ……痛てて……な、何に引っ張られたんだ……?」
「――キサマッ!」
仰向けに倒れた拍子にしこたま打ちつけた後頭部を擦りながら、ヨロヨロと起き上がった巨漢の兵の姿を見た瞬間、彼女は自分の元に逆転の好機が到来した事を悟り、即座に行動を起こした。
「て、テメェッ! 待てコラァッ!」
と叫びながら、巨漢の兵が伸ばしてきた丸太のような腕を紙一重で躱したファミィは、地面を蹴って後方へ跳びながら、声高らかに霊句を唱える。
『――猛るべし! 風司る精霊王! 山崩す風! 嵐と成さぁんッ!』
「う――うわっ! わああああああああ~っ!」
ファミィが渾身の力を込めて謡うと同時に、兵の周囲の空気が渦を巻き始め、すぐに巨大な竜巻となって巨漢の身体を落ち葉のように吹き上げた。
哀れ巨漢の兵は、情けない悲鳴を残して、ぐるぐると回転しながら空高く舞い上がると、見事な放物線を描いて地面へと落下する。
「ぐぎゃっぷぅッ!」
幸い、彼が落ちたのは柔らかい草の生えた空き地だった為、命を失う事こそ無かったものの、竜巻によって空中でさんざん攪拌されたせいで、すっかり目を回して気絶してしまっていた。
白目を剥いて草地に大の字で倒れた巨漢の兵は、しばらく目を覚ます事は無いだろう。
そして、
「ふぅ……ふぅ」
吹き荒んでいた竜巻が弱まり消えた後で、ファミィは荒い息を吐きながら立ち上がる。
彼女は、乱れた上衣を調える時間をも惜しむように、ふらつく足取りで巨漢の兵の元まで歩み寄ると、今度こそ完全に意識を失っている彼の懐をまさぐって、銀色に光る金属製の鍵を取り出した。
そして、それを持って“託児所”の鉄扉の前まで行くと、その鍵穴に鍵を挿し込んで回す。
“ガチリ”という金属音と共に錠が外れ、鉄扉が軋んだ音を立てながら内側へゆっくりと開いた。
「……お待たせ。みんなよく我慢してたね。偉い子たちだ」
扉の中へ一歩足を踏み入れたファミィは、慈母のような笑みを浮かべながら、真っ暗な室内へ向かって優しく声をかける。
「……っ!」
真っ暗な闇の奥から、息を呑む複数の音が聞こえてきた。
ファミィは、闇の奥で息を潜めていた気配へ向かって、安心させるように頷くと、大きく手招きをする。
「もう大丈夫。向こうであなたたちのお父さんとお母さんが待ってるから、早くここを出て」
「……おとうさんが?」
「おかあさんもいるの……?」
「ママに会えるの? 本当に?」
「だいじょうぶ……? ひゅーまーのへいしさんにおこられちゃわない……?」
彼女の言葉に、希望と不安と怯えに満ちた幼い声が、闇の向こう側からポツポツと上がった。
怯えた様子の子どもたちが上げる弱々しい声に心を痛めながらも、ファミィは無理矢理に笑顔をこしらえ、大きく頷いてみせる。
「安心して。悪い人間族たちは、私が全員やっつけたから」
「――ほんとうにっ?」
「うん。本当だから」
「「「「「「「……わああ~!」」」」」」」
はっきりと言い切ったファミィの言葉に、一斉に歓声を上がった。そして、闇の中から騒々しい足音を立てながら、次々とエルフ族の子どもたちが“託児所”の中から出てきた。
すると、収容所の外の少し離れた木の物陰から、成人のエルフ族の男女が飛び出し、子どもたちの方に向かって駆け寄ってくる。
そして、自分たちの愛しい子どもたちの身体を、もう二度と離すまいと固く抱きしめた。
「ああっ! 坊や……!」
「無事だったか! 良かった……っ!」
「ごめんね! 怖かったでしょう……!」
「おかあさぁぁぁん!」
「あいたかったよう~!」
「ぱぱぁっ! ままぁっ!」
子どもたちと親は、互いに涙を流しながら、久々の再会を喜ぶ。
「……」
ファミィは、開け放った鉄扉の横にひとり佇み、そんなエルフ族の親子の邂逅を見つめていた。
その口元には優しい微笑みが浮かんでいる。
――そして、
ふと表情を消すと、首を巡らし、背後に向かって声をかけた。
「……いつまで、そこで気配を消して突っ立っているつもりだ? 魔王の部下」
「気付いていたのか……」
ファミィの背後に立っていたアルトゥーは、彼女に声をかけられた事に少し驚きながら応える。
アルトゥーの答えに、ファミィは憮然とした声で言った。
「――あの時、あのデカブツの襟首を引っ張って、私の上からどかしてくれたのはお前だろう? ついでに、私の口に詰め込まれた布を取ってくれたのも」
「……余計な真似だったか?」
アルトゥーは、無表情のファミィに尋ねる。
「誇り高いエルフ族のお前が、汚らわしい魔族の己に助けられるなんて、我慢ならないか?」
「……いや」
ファミィは、アルトゥーの言葉に、フルフルと首を横に振った。
そして、身体を彼の方に向けると、あの時の事を思い出して微かに声を震わせる。
「お前が助けてくれなかったら、私は今頃、あの男に穢されてしまっていた事だろう。本当に怖かった……」
彼女はそう言ってぶるりと身を震わせる。
そして、普段の彼女には珍しい、険の取れた柔らかな微笑みを浮かべながら、深々と頭を下げた。
「本当に助かった。ありがとう……アルルー」
「……アルトゥーだ」
アルトゥーは、憮然としながら訂正する。
「あ……ごめん……」
穏やかな雰囲気が一変。気まずい空気が、ふたりの間に立ち込める。
と、
アルトゥーはおもむろに自分の着ていた黒い上着を脱ぐと、おもむろにファミィに差し出した。
「着ろ」
「え……? 何だ、いきなり?」
突然アルトゥーに上着を手渡され、戸惑いの表情を浮かべるファミィ。
すると、彼は僅かに頬を染め、彼女から目を逸らしながら言った。
「いや……その……ふ、服がはだけて、胸が……。だ、だから、取り敢えず、これで隠した方が……と」
「フェッ?」
アルトゥーの言葉を聞いた途端、ファミィは目を飛び出さんばかりに見開き、慌てて自分の胸元を見下ろす。
そして、先ほど巨漢の兵に上衣のボタンを引き千切られたせいで、深い谷間と白い下着が露わになっている事に気が付くと、その顔は熟したトマトよりも真っ赤になった。
「み……みみみみみみみ見るなぁああああああああっ! このムッツリ窃視根暗野郎があああああああッ!」
「ぐぶぁっ!」
アルトゥーは、動揺し錯乱したファミィから理不尽極まるビンタを食らって吹っ飛びながら、自分の主であるギャレマスの苦労を少しだけ理解するのだった……。




