魔王と稲妻と攻撃
「……むぅ、この辺りか……」
星の瞬く夜空の上で、背中の黒い翼を羽ばたかせて滞空し、眼下の光景を見下ろしながら、ギャレマスは呟いた。
遥か足元では、地表からこんもりと盛り上がった丘の頂上と、そこにへばりつくように、粗末な砦の建物の屋根が連なっていた。
所々でポツポツと見える赤い点は、篝火の灯りだろう。
そして、その間を縫うように動いているいくつかの黒い影は、砦に立て籠っている人間族兵たちだ。
眼下の様子を観察しながら、ギャレマスは口髭を撫でつけながら唸った。
「さて……初撃を打ち込むとしたら、どの辺りが良いだろうか――」
「お父様!」
「ヒョッ? な、何だ?」
突然横から声をかけられ、すっかり考え込んでいたギャレマスは、思わず素っ頓狂な声を上げながら、声のした方に振り返る。
彼よりも幾分小振りな羽を大きく羽ばたかせながら、サリアが目を輝かせていた。
彼女は、声を弾ませながら、父に向かって言った。
「お父様! いよいよ始まるんですね!」
「う……うむ、まあ……」
「サリア、お父様が戦う所を見るのは初めて!」
「そ……そうだったかな?」
「みんなに“雷王”と呼ばれているお父様が、どれだけご立派な戦いをなさるのか……サリア、楽しみです!」
「お、おお……そうかぁ~」
サリアの言葉を聞いたギャレマスの顔が、これ以上なく緩む。
が、すぐに重大な作戦行動直前だった事を思い出し、溶けた牛酪のようになっていた顔を、慌てて引き締める。
そして彼は、「ゴホン! ゴホンッ!」と、大げさに咳払いをすると、真剣な表情で言った。
「サリアよ。先程も言ったが、お前は離れた所で、父の戦いぶりを見ておるのだぞ。勇者は手強い奴だからな。余と奴との戦いに巻き込まれたら、いかに“飛雲姫”と称されるお前といえど、とても無事では済まん」
……彼が娘に言った事は、半分だけは本当である。
シュータから渡された“台本”によれば、シュータと魔王は上空でかなり派手な激戦を行なう筋書きとなっており、文字通りケタの違う戦闘力を有したふたりの戦い(八百長ではあるが)に巻き込まれては、まだ戦闘経験の未熟なサリアがどうなってしまうかは分からない。
――同時に、ふたりの戦闘を至近距離で見られ、万が一でも、八百長と見破られたら大変だという懸念もあるのは確かだ……。
だから、ギャレマスとしては、サリアを可能な限り離れた所に退避させておきたかった。
(まあ……だったら、最初からここまで連れてくるなという話なのだろうがなぁ……)
と、ギャレマスは心の中で自嘲するが、もう遅い。
先ほど、同行を懇願するサリアの願いを断り切れなかったのは、他ならぬ自分自身だ。
……やっぱり、父親としては、娘に格好いい姿を見せたいものなのである。
「……お父様?」
「あ……いや、な、何でもない……」
怪訝そうな表情を浮かべて首を傾げたサリアに、ギャレマスは慌ててかぶりを振った。
そして、気を取り直すようにもう一度咳払いをすると、威厳を示すように胸を張ってみせた。
「……良いな。くれぐれも離れた所で、雄々しく戦う父の姿を見守っておるのだぞ」
「は……はいっ!」
“キリッ”という擬音が聞こえてきそうなキメ顔のギャレマスの言葉に、サリアは頬をほんのりと染めながら頷いた。
「分かりました! お父様のお言いつけ通り、サリアは離れて見守っております!」
「う、うむ。そうしてくれ」
サリアが、案外と素直に自分の言葉に従ってくれた事に、ホッと胸を撫で下ろしながら、ギャレマスは頷いた。
サリアは背中の羽を羽ばたかせて身を翻すと、ゆっくりとギャレマスから離れていく。
――と、彼女は首だけ振り向いて、ギャレマスに向かってニッコリと微笑んだ。
そして、大きく手を振りながら叫ぶ。
「――頑張って下さいませ、お父様! サリアは応援してます!」
「お、お~う!」
サリアの激励の言葉に、ギャレマスは心がキュンキュンするのを感じながら、千切れんばかりに手を振り返した。
……暗闇と距離が離れていた事で、今の彼の顔がサリアに見えなかった事は幸いだった。何故なら、彼の顔は、熱にやられて融けたスライムの様に蕩け切っていたからだ。
「……さて、と」
やがて、娘が二重の意味で安全な距離まで退いたのを確認したギャレマスは、緩み切った顔を引き締め、眼下の光景を見下ろした。
砦の兵たちは、上空に敵軍の総大将である魔王が滞空している事など知る由もない様子で、忙しなく動き回っていた。
ギャレマス――そして、勇者シュータにとっては好都合である。
「――始めるか」
と、小さな声で呟いたギャレマスは、身体の前で両掌を掲げ、ゆっくりと打ち合わせた。
そして、
「雷あれ」
と言いながら、合わせた両掌をゆっくりと離していく。
掌の間で、バチバチと乾いた音を立てながら、青白い雷が連続して閃き始めた。
その光に照らし出され、魔王の顔が闇夜に浮かび上がる。
「……」
ギャレマスは、自分の創り出した雷の出来に満足げに頷くと、足下の砦の様子を窺う。
(さて、どこに落とすか……。あそこは――いかんな。明かりが点いておる。恐らく、兵舎だろう……)
(あの尖塔は……いや、ボロ過ぎる。建っているのもやっとのようだ。あれでは、余の雷一発で倒壊して、下の兵どもを巻き込んでしまう……)
金色の瞳を巡らしながら、ギャレマスは攻撃の雷を打ち込むに適した場所を探す。――なるべく、人死が出ないような場所を。
「……シュータの台本では、『数十人くらいなら巻き込んでもオッケー♪』とか書いてあったが、サリアにあまり惨たらしいものは見せたくないからのぅ……」
彼は、そう独り言ちながら、もう一度砦に目を配る。
――そして、ほどなく良い場所を見つけた。
北郭の櫓と馬小屋らしき建物の間に、程よい草地が広がっている。恐らく、馬を放して運動させる馬場であろう。
夜なので、馬はもちろん、人の気配もない。
(うむ……少し中央からは外れておるが、悪くはない)
魔王は小さく頷くと、両手を向かい合わせたまま、頭上高く掲げ上げた。彼の両掌の間では、先ほどよりも太く強くなった稲妻が、ひっきりなしに閃き続けている。
そして、先ほどの草地に狙いを定め、大きく息を吸い込んだ。
「――舞烙魔雷術ッ!」
彼は、高らかに叫ぶと同時に、向かい合わせていた両掌を下に向ける。
次の瞬間、ずっと彼の両掌の力場に抑え込まれていた青白く輝く稲妻が、まるで怒竜の咆哮の様な暴音を立てつつ、数条の光柱となって地表へと放たれたのだった!




