扉と蝶番と軋み音
「……それが、あたしが覚えている……最後の、記憶です」
ギャレマスに先ほどの顛末を伝えたスウィッシュは、沈鬱な表情を浮かべながらがっくりと項垂れた。
「本当に……申し訳ございません……陛下。あたしが不甲斐ない……ばっか……りに……」
「おい! しっかりするのだ、スウィッシュ!」
エラルティスの聖罠法術によって受けたダメージと、サリアを連れ去られた事によるショックで、その場で倒れかけたスウィッシュの華奢な身体を、ギャレマスは慌てて支える。
そして、彼女をそっと床に横たえると、ギリリと唇を噛んだ。
「エラルティス……あの女狐めが、サリアを――!」
そして、その眦を吊り上げると、少し離れたところで立つ男をキッと睨みつける。
「シュータ! これは一体どういう事だッ!」
「知るか」
マグマを噴き出す火山さながらの憤怒を露わにしながら、自分の事を問い詰めようとする魔王を睨み返したシュータは、吐き捨てるように答えた。
「あいつが……エラルティスがサリアを攫っていった事には、俺も一切関わってねえよ。だから、俺を問い詰めようとしても無駄だぜ」
「ええいっ! 下手な嘘を吐くな!」
シュータの答えに対し、到底納得できないとばかりに、ギャレマスは大きく頭を振る。
「エラルティスは、お主ら“伝説の四勇士”のひとりだろうが! だったら、その筆頭であるお主が、裏で糸を引いているに違いな――」
「だから、『知らんがな』っつってんだろうが!」
ギャレマスの糾弾を怒声で遮ったシュータ。
彼は眉間に深い皺を刻みながら、不機嫌そうに言葉を継ぐ。
「つうかよ。そもそも、何で俺が、てめえの隙を衝く様な回りくどい方法でサリアを攫わなきゃいけねえんだよ」
「は……?」
「俺が絡んでるんだったら、そんな面倒くせえ事なんかしないで、サッサとてめえを十分の九殺しにしてから、堂々と攫っていくわボケ」
「……」
シュータの物騒な言葉に、思わず頬を引き攣らせるギャレマス。
だが、確かにそう言われればそうだ。
「じゃ、じゃあ……今回の件は、エラルティスが単独で――?」
「……まあ、そうなるな」
「な……何で……?」
頷いたシュータに上ずった声で尋ねたのは、ヨロヨロと身を起こしたスウィッシュだった。
「何で……あのエセ聖女は、ひとりでこんな事を……?」
「さあな。――でも、大方の察しはつくな」
そう言うと、シュータは口を歪めて皮肉げな薄笑みを浮かべ、気障ったらしく肩を竦めながら言葉を継ぐ。
「アイツが何で動くのはハッキリしてる。――テメエなら分かるよな、魔王」
「……ああ」
シュータに答えを振られたギャレマスは、苦々しい顔をしながら、不承不承頷いて答えた。
「――カネか」
「そゆ事」
「は……はあああ~っ?」
ギャレマスの答えと、それに対してシュータがあっさり頷いた事に愕然として、スウィッシュが目を丸くしながら声を上げる。
「あ、アイツ、あれでも一応聖女ですよね? 聖女なのに、お金で動くって……聖女なのにぃ?」
「まあ……数ある異世界の中には、そういう聖女もいるって事だ」
「とんだ生臭聖女じゃないの……」
苦笑交じりのシュータの言葉を聞いて、思わず呆れ声を上げるスウィッシュ。
と、ギャレマスが憤然とした表情を浮かべて立ち上がった。
「ええいっ! そんな事など、どうでも良いわ! い、今は一刻も早くエラルティスの後を追わなければ……サリアが――!」
「そ……そうでした!」
ギャレマスの声に、スウィッシュもハッとした様子で頷く。
そして、幔幕とは反対側の壁面にある粗末な木の扉を指さして叫んだ。
「――陛下! あたしが気を失う直前、蝶番が軋む音が聞こえました。多分……あのエセ聖女は、サリア様を抱えたまま、あそこの扉から出ていったんだと思います!」
「そうか! だったら……!」
「ええ! アイツは、陛下たちがこの部屋に入ってくる気配を感じて去っていったみたいでした。だったら、まだそう遠くへは行っていないはずです!」
「であれば……今ならすぐに追いつけるか――!」
「恐らく!」
サリアを取り戻せる可能性を見出し、金色の眼をギラリと輝かせるギャレマスに、スウィッシュも大きく首を縦に振った。
そんな彼女に力強く頷き返すと、ギャレマスはローブの裾を大きく翻しながら、大股で扉の方へと駆ける。
と、
「あ、ちょい待ち」
まさに猪突猛進といったギャレマスの背中に、軽い調子で声をかけたのはシュータだった。
「残念だけど、そっちじゃねえんだわ、多分な」
「はぁ?」
既に扉の前に立ち、今まさに開け放とうとノブに手をかけた体勢で、ギャレマスは訝しげな声を上げながら振り返る。
そして、鋭い目でシュータの事を睨みつけながら、苛立たしげに声を荒げた。
「何を言うておる! スウィッシュがドアの蝶番の軋む音を聞いておるのだぞ! そして、この部屋には、これ以外に扉は無い。ならば、エラルティスがここから出ていった事は確実であろうが!」
「それだけじゃねえんだよ、この部屋にある扉は」
「……はぁ?」
シュータの不可解な言葉に首を傾げたギャレマスは、部屋の四囲を見回すと眉根に皺を寄せる。
「……いや、見る限り、扉はここだけだ。そもそも、ここじゃない出口は、余とお主が入ってきたステージの方だけだ。なれば、エラルティスが通ろうとしたら、確実に我々と鉢合わせしたはずだし……」
「当たり前だろボケ。当然、俺が言ってるのは、幔幕の方じゃねえよ」
「だとしたら、やはり――」
シュータの答えに、当惑を露わにしながら、ギャレマスは目の前の扉に目を遣った。
「残るは、この扉しかないであろ――」
――と、その瞬間、
「――ゴメンゴメーンッ! 遅れちゃった~ッ!」
「うがふグボァッ!」
弾んだ声が聞こえると同時に、閉まっていた木の扉が勢いよく開け放たれ、急加速した扉の固い角が、彼の顔面に激突したのだった……。




