聖女と首輪と祝福
「サリア様ッ!」
スウィッシュは、力を失ってその場にへたり込んだサリアに向けて、上ずった声で叫んだ。
だが、力無く俯いたサリアはピクリとも動かない。
その首には、先ほどチラリと目にした白銀色の金属の首輪ががっちりと嵌っていた。
「――エラルティス!」
スウィッシュは、サリアの背後に立っていた人間族の聖女の名を敵意に満ちた声で叫び、薄笑みを浮かべた彼女の顔をギロリと睨みつける。
そして、両掌に魔力を集め、腕を十字に交差させ、無数の氷の弾丸を創り出す。
「この――ッ! 阿鼻叫喚氷晶魔……」
「あらあら、怖い怖い!」
今まさにスウィッシュの氷魔術が放たれようとする寸前、エラルティスが猫のような身のこなしでしゃがみ込み、目の前で意識を失って蹲っていたサリアの身体を抱え上げると、勝ち誇った声で叫んだ。
「うふふ! その氷雪弾でわらわを撃ちたいなら、遠慮なくお撃ちなさいな! その代わり、貴女の大切なお姫様も、わらわと一緒にミンチよりも酷い事になりますけどねえ!」
「くっ……!」
ぐったりとしたサリアの身体を、まるで楯のように掲げたエラルティスが上げる嘲笑交じりの声に、スウィッシュは思わず歯噛みする。
そして、血が滲むほどに唇を噛みながら、十字に交差していた両腕を力無く下ろした。それと同時に、射出寸前だった無数の氷雪弾が溶け消える。
「うふふ……くくくくく……」
悔しげなスウィッシュの顔を見て、実に愉しげな笑い声を上げるエラルティス。
スウィッシュは、そんな聖女の顔を憤怒の炎が滾る紫色の瞳で睨みつけながら、鋭い声で尋ねる。
「エラルティス……あなた、サリア様に何をしたのっ!」
「うふふふ……」
エラルティスは、スウィッシュの詰問を嘲弄するような笑い声を上げると、抱えたサリアの首元に光る金属製の首輪を指さした。
「別に大した事はしていませんわ。この、出会い酒場の商売女みたいなはしたない格好にピッタリな首飾りをプレゼントして差し上げただけですよ。この……聖女のわらわ自らが丹精を込めて“祝福”した、高純度ミスチール鋼製の首飾りを、ね」
「み……ミスチール鋼……ッ!」
エラルティスの答えを聞いたスウィッシュは思わず絶句し、その表情を引き攣らせた。
――ミスチール鋼。
ここ、アヴァーシの北にあるイワサミド鉱山で豊富に採掘されるミスチール鉱石を精錬して得られる金属だ。
ミスチール鋼には、人間族の術士が“祝福”をかける事で、魔族の身体や体内魔力に対して極めて強力な負干渉を齎すという特徴があり、“魔族殺し”と呼ばれる対魔族兵器の主要な構成原料として用いられてきたのだ。
……とはいえ、最近のミスチール鋼は、イワサミド鉱山の鉱脈が尽きた事で精錬しても純度が低く、数百年前のそれに比べれば、魔族に対する脅威は低くなったと言われている――。
「……って思っているでしょう、貴女?」
「……!」
自分の心の中を見透かされたかのようにほくそ笑むエラルティスを前に、スウィッシュは慄然とする。
そんな彼女に見せつけるように、細い指でサリアに付けたミスチール鋼製の首輪を撫でながら、エラルティスは言葉を継いだ。
「お生憎様。この素敵な首輪に使っているミスチール鋼は、最近の粗悪品とは違って、数百年前の魔族討伐で実際に使われていた“魔族殺し”を鋳つぶして作った特注品なんですの。だから、通常のものよりもずっと負干渉の力が強いんですのよ」
「……ッ!」
「それに加えて、このわらわが直々に“祝福”をかけて、清らかな“聖女”の法力を存分に注入しているのですもの。そんなものを首にかけられたら、あの魔王ならともかく、並程度の魔族はこうなっちゃいますわよねぇ……」
エラルティスはそう言いながら、ぐったりしているサリアの身体を抱えたまま、まるでダンスを踊るようにステップを踏んでみせる。
彼女のステップに合わせて、意識を失ったままのサリアの頭がガクンガクンと上下する。
「や……止めて! 止めなさいッ!」
堪らずスウィッシュが叫ぶ。
そして、降参するように両手を上げた。
「……ほら、もう何もしないから。だから、サリア様を放してあげて……」
「ふふふ。貴女、よっぽどこの世間知らずなお姫様の事が大切なんですわねぇ」
従順になったスウィッシュを挑発するように嘲笑ったエラルティスは、べぇと舌を出した。
「ですが……断りますわ。せっかく捕まえた金の卵を産む鶏を、むざむざと手放す訳が無いでしょう?」
「金の卵を産む鶏……? どういう意味よ、それは!」
不可解な言葉に、思わず訊き返すスウィッシュだったが、エラルティスは口元に酷薄な微笑を浮かべただけで、彼女の問いかけには答えなかった。
その代わりに、スウィッシュに向かって手招きをする。
「あぁ……もう少しこっちに近付いてもらえます?」
「は……?」
エラルティスが出した奇妙な頼み事に目を丸くするスウィッシュ。
「何で? 何かあるの?」
「うふふ……いいから、もっとこっちにおいでなさいな」
「だから! 何を企んでるっていうのよ、あなたはッ!」
「早くなさいな! さもないと……」
エラルティスは、言う通りにしないスウィッシュに苛立ちながら声を荒げ、抱えたサリアの首元の首輪に手を触れた。
次の瞬間、首輪が白く輝き始め、それと同時に意識の無いサリアの顔が苦痛に歪む。
「う……うぅ……」
「サリア様ッ!」
「ほらほら……早く貴女がわらわの言う通りにしないと、お姫様が遠いところに行っちゃいますわよぉ」
苦しむサリアの様子に血相を変えるスウィッシュに、エラルティスがからかうような声で言った。
「くっ……!」
スウィッシュは、せせら笑っている聖女の顔を憎々しげに睨みつけるが、観念したように肩を落とすと、慎重に脚を前に出す。
「そうそう……うーん、もう少し……もう一歩……ええ、そこで宜しいですわ」
「……一体、何をするつもりなの? あたしにこんな事をさせて……?」
「うふふ……それはですね……」
顔を青ざめさせながら尋ねるスウィッシュにニッコリと笑みかけたエラルティスは、腰に提げていた聖杖を抜き、
「――聖罠法術!」
と高らかに叫ぶと、その石突で床を叩いた。
「……きゃあっ!」
次の瞬間、スウィッシュが悲鳴を上げる。エラルティスの唱和と共に、スウィッシュの足元から幾条もの眩い白光が噴き出すように上がったからだ。
そして、スウィッシュの頭上で光が交差して網目状に組み上がったかと思うと、そのまま彼女の身体に覆い被さり、そのまま床に押し付けた。
「く……う、動け……ない!」
「うふふ、当然ですわ。邪で汚らわしい存在を封じ込める聖なる罠ですもの。魔族の貴女に対しては効果覿面ですのよ」
白光の網に捕らわれ、床に這いつくばったまま微動だにできないスウィッシュの事を見下ろしながら、エラルティスはからかうように言った。
「う……く……」
スウィッシュは、何とか束縛から逃れようと懸命に身を捩るが、聖網に魔力が干渉されているせいか、全く身体に力が入らない。それどころか、だんだんと意識が薄れていく――。
「さて……と」
そんな彼女の事を見下しながら、エラルティスは手に持った聖杖を頭上に掲げ上げた。
そして、冷ややかな声でうつ伏せのスウィッシュに向けて言う。
「このお姫様と違って、タダの鶏にすぎない魔族に利用価値はありませんからね……。貴女にはここで消えてもらう事にしましょう」
「……っ!」
もはや、意識が混濁して、声を上げる事すら出来ない状態のスウィッシュに向け、そう言ったエラルティスは、理力を聖杖の柄に仕込んだ宝玉に込める。
そして、その整った貌に嗜虐的な薄笑みを浮かべると、上げた腕を真っ直ぐ振り下ろす――。
「聖光千――」
……だが、彼女の腕は、振り下ろす途中でピタリと止まった。
そして、ステージへと続く通路と部屋を隔てた幔幕の方を凝視する。
「……ちっ」
エラルティスは、不満げに顔を歪めると舌打ちした。
そして、聖杖の先を床に叩きつける。
と、スウィッシュを拘束していた白光の聖網がたちまち掻き消えた。
「か……は……」
聖罠法術から解放されたものの、かなりの魔力を奪われてしまったスウィッシュは、息も絶え絶えで床の上に這いつくばったままだった。
そんな彼女に、エラルティスは冷たい声で言う。
「どうやら、無粋な邪魔が入りそうですわ。命拾いしましたね、貴女」
「う……」
「まあ、一番の目的はこうして達成出来ましたし……。わらわはこれで退散させて頂きますわ。うふふ」
「……ま」
エラルティスが口にした“一番の目的”が何なのかを悟ったスウィッシュが、荒い息を吐きながら顔を上げる。
そして、朦朧とした意識を懸命に奮い起こし、ぼやけた視界に映る翠色のシルエットに向けて必死に懇願した。
「ま……待って……待ちなさい……さ、サリア様を……どこへ……」
「それでは、ごきげんよう」
だが、エラルティスはスウィッシュの上げた声も無視して、一方的に別れの言葉を告げる。
「ま……待て……待っ……」
微かな軋み音が、スウィッシュが意識を失う直前に聴いた最後の音だった――。




