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魔王と娘と懇願

 日が暮れ、ヴァンゲリンの丘は、とっぷりとした深い闇に覆われていた。

 丘の上には、肉の薄い三日月が青白い光を放っていたが、上空を漂う薄い雲に遮られているのか、その光は霞んで弱々しく、地表を煌々と照らすには至らなかった。


「……ま、むしろ好都合というべきかな」


 丘の麓に展開した魔王軍の陣から少し離れた位置でひとり佇み、上空を見上げていた魔王ギャレマスは、軽く頷きながら呟く。

 彼が纏っているのは、足元まで覆う漆黒のローブ。夜の色をしたローブによって、魔王の姿は遠目ではとても見止める事は出来ない。

 ――もちろん、それも計算の内である。


「暗ければ暗いほど都合がいい。これからの作戦においては、な」


 そう、ギャレマスは独り言つと、肩を揺らしながら上半身を屈める。

 次の瞬間、彼のローブの背中に予め入れられていた切れ目から、ローブよりも黒い色をした翼が飛び出し、横に大きく広がった。

 それは、魔族――その中でも、王族の血を引く者にしか顕現しないと言われている、真黒の翼である。

 その中でも、魔王であるギャレマスの翼はひときわ大きく、立派だった。


「ふむ……」


 ギャレマスは、こわごわと翼を伸ばしたり折り畳んだりして、その調子を確認する。

 何せ、最近はずっと背中で畳んだままだったのだ。作戦に取りかかる前に、腕……もとい、翼が(なま)っていないか、キチンとチェックする必要がある。

 彼は、軽く翼を羽ばたかせてみる。


「む……うぅ……」


 背中に神経を集中させながら、羽を動かし続けるギャレマスの口から、唸り声とも呻き声ともつかない声が漏れる。

 必死で羽を羽ばたかせ続けるギャレマス。翼が巻き起こす風が渦を巻いて、周囲に夥しい土煙が舞い上がるが――彼の身体は、思ったよりも浮かなかった。

 いきんで真っ赤になった魔王の顔に、焦燥の表情が浮かぶ。


「む……むぅ、いかん。さ、最近少し運動不足だったから……体重が――」


 どうやら……鈍っていたのは翼ではなく、身体の方だったらしい。

 最近下衣のベルトがきつくなっていた事を思い出し、ギャレマスは日頃の食生活を後悔したが、もう遅い。

 ――とはいえ、前よりも頑張って翼を羽ばたかせれば、飛べない事は無いようだ。当然、その分疲労は増すだろうが、しょうがない。

 まあ、日頃の不摂生を取り返す為にはちょうどいいダイエットと考えれば……。


「やれやれ、何はともあれ、飛べるようで良かった……。万が一、余が空を飛べぬとなったら、今回のシナリオ自体が成り立たなくなってしまうからな……。そうなったら、余はシュータに十分の八殺しにされてしま――」

「……お父様? 何ですか、十分のはち……何とかって?」

「ファッ?」


 突然、背後からかけられた声に、ギャレマスは仰天した。

 彼は、自分の耳を疑いながら、おずおずと背後(うしろ)を振り返る。

 そして、驚きで目を大きく見開いた。


「さ……サリア? な、何故ここに……?」

「何か、お父様がコソコソしながら陣を出たのが見えたから、少し気になって、こっそり後をつけてきたんです」

「そ、そうなのか……」


 今回の作戦は、魔王軍の誰にも明かさぬまま、ひとりで行なおうと思い、誰にも見つからぬように警戒しながら出てきたのだが、初っ端からバレてしまっていたらしい……。

 己の迂闊さに、内心で頭を抱えるギャレマスだったが、一方のサリアは好奇心で目を輝かせながら、父に尋ねかけた。


「で……お父様は、こんな所で何をなさっておいでなのですか?」

「あ……えー……」


 娘の直球な問いかけに、ギャレマスはどう答えようかと逡巡した。

 そして、一瞬だけ考え込んで、『ここは全力ではぐらかすのが最適解』という結論に達したギャレマスは、ゴホンと大げさに咳払いをすると、静かに口を開く。


「あー、実はな……ゆ、夕食を食い過ぎてしまったので、腹ごなしに――」

「あ、分かりました!」


 ギャレマスの言葉を途中で遮って、サリアは目を輝かせて、ポンと手を打つと、ドヤ顔で言葉を継いだ。


「――丘の上まで飛んで、空の上から人間族(ヒューマー)に攻撃しようとしてたんでしょう!」

「ファッ?」


 サリアの答えに、ギャレマスは驚きの叫びを上げる。

 何故なら――彼女が口にした答えは、正にギャレマスが今から行おうとしていた作戦であり、シュータから渡された“台本”に書かれたシナリオ通りだったのである。

 心の中を見透かされたギャレマスは不安を覚え、また恐怖した。――ひょっとして、娘は“台本”の事を知っているのではないか、と。

 『魔王が、よりにもよって、宿敵である勇者と結託して、茶番の死闘を演じている』――万が一、そんな事実が部下たちに知られる事になったら、自分の魔王としての威厳や信頼は失墜どころではない。

 ギャレマスは、顔を青ざめさせながら、恐る恐るサリアに尋ねた。


「さ……サリアよ……。い、一体、どうしてそれを――」

「え、そりゃあ――」


 父の問いに、サリアはニシシと笑いながら答える。


「何となく! でも、サリアは、お父様の考える事なら、何でもお見通しなんです!」

「な……何となく? そ、そうか……」


 サリアの答えを聞いたギャレマスは、ホッと胸を撫で下ろした。サリアは、涼しい顔でしらばっくれるような腹芸が出来るような娘ではない。今の彼女の言葉は、十中八九本心からだろう。

 だが、ギャレマスが安堵できたのも、ここまでだった。

 サリアが、その紅玉(ルビー)の様な瞳を輝かせて、こう言ってきたからだ。


「お父様! サリアもお供いたします!」

「は、はぁあああっ?」


 ギャレマスは、サリアの申し出に、思わず声を裏返した。

 そして、慌てて頭をブンブンと横に振る。


「な、ならぬぞ! それはならぬ! 余は、これから敵地へと赴くのだ。余について来るのは危険だ!」


 そう叫びながら、ギャレマスはサリアのあどけない顔を見つめ、つい口を滑らせた。


「ましてや……お前はまだ子供ではないか――」

「お父様っ! サリアは、もう子供ではありません!」


 迂闊にも、ギャレマスは娘の逆鱗に触れてしまった。その事に気付き、慌てて口を押さえるが、もう遅い。

 サリアは、怒りで形の良い眉を吊り上げながら、一気に捲し立てる。


「子供扱いは止めて下さい! サリアは、三年前に成人の儀を終えた、立派なオトナの女です! 相手さえいれば、結婚だってできるんです!」

「けっ! けけけけけ結婚んんんんッ? いや待てまだ早い相手は誰だ父はまだ結婚なんて認めんぞ!」

「そういう話じゃなくてッ!」


 『結婚』というワードを聞いた途端、目を白黒させながら口角泡を飛ばすギャレマスを一喝し、サリアは言葉を続けた。


「第一、サリアと同い年のスーちゃんは、もう戦場に出て、四天王にまでなってるじゃないですか! だったら、サリアだって……」

「す、スウィッシュは特別というか、特殊というか……。と、とにかく、お前はダメだ!」


 痛いところを衝かれて、一瞬口ごもるギャレマスだったが、迷いを振り切る様に、再び首を横に振った。


「お前は、余の娘――魔王家のただひとりの跡継ぎなのだ! お前の身に万が一のことがあったら――」

「お父様が一緒に居てくれるのなら、万が一の事なんて起こらないでしょう?」


 娘の身を案じるギャレマスに向かって、サリアは先程までとは打って変わった柔らかい笑みを浮かべてみせた。

 途端に、ギャレマスの喉に言葉が詰まる。

 ――昔から、ギャレマスはこの表情(えがお)に弱い。

 たじろぐ魔王に、サリアは瞳を潤ませながら言った。


「お願い、お父様! サリア、お父様と一緒に戦いたいの!」

「う……だ、だが……」

「お願い!」


 と、サリアは必死の形相でギャレマスの胸に縋りつき、上目遣いで父の顔を見ながら懇願する。


「サリア……戦うお父様のカッコいいお姿を見たいんです! だから、お願い。サリアも一緒に連れていって!」

「よ、余の……か、カッコいい……姿……」


 魔王である以前に、親バカ……いや、バカ親であるギャレマスが、目の中に入れてダンスを踊られても痛くない程に可愛い娘の殺し文句を前にして、抗えようはずもなかった……。

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