勇者と建前と下心
「は――ッハッハッハッハッハッハッ!」
混乱の坩堝の中にあるオーディション会場に、突如として場違いな高笑いが響き渡った。
オーディションスタッフの誘導で会場から避難しようとしていた観客たちは、戸惑いの表情を浮かべながら、笑い声が降ってきた方向――頭上を見上げる。
そして、星空をバックに浮かび上がった、大きく翼を広げた禍々しいシルエットを目にするや、恐怖の表情を浮かべた。
「に、人間が宙に浮いている……?」
「い、いや、違うぞ、アレは!」
「く、黒い翼と、頭に生えた二本の角……?」
「まさか……あ、あれは……!」
「間違い……ない! あ、ありゃあ……ま、魔族だッ!」
「な……何でっ? 何で魔族が、このアヴァーシに?」
「しししし知るかよッ! とにかく……逃ぃげるんだよ~ッ!」
観客たちは、ゆっくりと翼を羽搏かせながら空中を滞空している黒い人影が、人間族の勢力圏内から数百年前に駆逐されたはずの魔族のそれだと気付くや、恐怖で顔面を引き攣らせながら、慌てて出口へ向かって我先にと逃げ出し始める。
そんな観客たちの様子を上空から見下ろしながら、魔族の人影は一際大きな笑い声を上げながら叫んだ。
「ハハハハハハハハハッ! 逃げよ逃げよ、愚かな人間族ども! ……あ、だが、余は別にお主らに危害を加えるつもりはないゆえ、安心せよ。だから、慌てず落ち着いて逃げるのだぞ。『押さない。駆けない。喋らない』をキチンと守って避難せよ、良いな! ……って、ああ、いかん! おい! そこの男、前におる者を押すでない! 女子供を優先して、きちんと二列に並んで順番に出口から出るのだ! ……うむ、そうそう。それで良い……」
と、不敵な高笑いと注意の言葉を、逃げる観客たちにかけたギャレマスだったが、ハッと我に返る。
「あ……い、いかん。少しだけ人間族どもに派手な登場シーンを見せつけて、余の魔王っぽさをアピールしておこうと思ったら、ついつい夢中になってしまった……。い、今は、そんな事をしておる場合ではなかった……」
彼はそう独り言ちながらブンブンと首を左右に振ると、ステージの方に目を向けた。
そして、今にも舞台袖の幕の向こうへ消えようとしている若い人間族の後ろ姿を見つける。
「い、いかん!」
ギャレマスは焦燥に満ちた声を上げると、背中の黒翼を大きく羽搏かせ、ステージの方へと急降下した。
「ま、待てええええええい! 待つのだ、勇者シュータよッ!」
急接近をかけながら、シュータの背中に向かって叫ぶギャレマス。
だが、シュータは、自分を呼び止める声がまるで聞こえていないように、振り返りすらしない。
それを見たギャレマスは、更に慌てて声を張り上げる。
「き、聞こえておらぬか、シュータよ! ええい、止まれ、止まるのだ! それ以上先に行くな! 魔王ギャレマスの襲来だぞ! 応戦せぬか! ……む、無視するでなぁいッ! だから……早くコッチを向くのだ! ……いや、頼むから止まってくれ! ……あ、あれ? コレ、本当に聞こえてない? あ、あの……お願いですから止まって下さい勇者シュ――」
「ギャーギャーギャーギャーうるせえんだよクソ魔王ッ!」
「ぶべぇっ!」
背後でやかましく騒ぎ続けられ、遂に堪忍袋の緒が切れたシュータが怒声と共に放ったエネルギー弾をまともに顔面へ食らったギャレマスは、盛大に鼻血を撒き散らしながら空中で大きく仰け反った。
シュータは、そんな彼を大きく見開いた目を血走らせながら怒鳴りつける。
「うるせえよ! ちゃんと聞こえてるから静かにしてろやッ! 今こっちは取り込み中なんだよ見て分かんねえかクソが!」
「と、取り込み中って……」
シュータの剣幕に気圧されながらも、ギャレマスは問い質した。
「お、お主……舞台裏へ行って、何をするつもりなのだ?」
「え……ああ、そりゃあ――」
ギャレマスの問いに、シュータは一瞬言い淀んだが、すぐに胸を張って答える。
「ええと……もちろん、さっきの落雷で、裏に居る娘たちが怯えたり怖がってたりしないか確認しに……。そんで、必要ならば避難の手助けをしてあげよっかなぁっ……てさ」
彼はそう言うと、仰け反らんばかりに胸を張ってみせた。
「ほら……俺ってば勇者じゃん。だったら、ここは勇者らしくカッコいいところを見せなきゃよお。……ひひひ」
「そ……そういう事だったのか――って!」
シュータの言葉に、思わず感心しかけたギャレマスだったが、勇者の顔をもう一度見た途端ジト目になり、白けた声を上げる。
「……そういうセリフは、言動に相応しい顔をしてから言え。本音というか、下心がダダ漏れだぞ、その顔……」
「あ……バレた?」
勇者らしいとはとても言えない、鼻の下を伸ばし切った締まりのない薄笑みを浮かべていたシュータは、ギャレマスの指摘に悪びれる様子も無く、ぺろりと舌を出してみせた。
そんな彼に険しい顔を向けながら、ギャレマスは詰問するような声で言う。
「その劣情に塗れたスケベ面……! やはり、お主が舞台裏へと急いでいた理由は……サリアとスウィッシュのびきにあーまー姿を見る為か!」
「――ぴーんぽーん♪ 大当たり~!」
ギャレマスの鋭い声に、おどけた調子で答えるシュータ。
ふざけたシュータの態度に、ギャレマスは金色の瞳をカッと見開いた。
「シュータ! 貴様……余の娘と部下の事を、そんなふしだらで破廉恥な目で……ッ!」
「んだよ、頭固ぇなぁ」
憤怒の表情を浮かべるギャレマスを前に、シュータは涼しい顔で肩を竦めてみせる。
「つーか、別にいいじゃねえかよ。別に素っ裸を見に行く訳でもねえんだし。……つうか、ふしだらだ破廉恥だって、たかだかビキニアーマー如きで顔真っ赤にしてんじゃねえよ」
「た……たかだかっ? あ、あんな、鎧とは名ばかりの、下着のような恰好を“たかだか”と言うのか、お主は……!」
「ああそうだよ。俺が元々いた日本じゃ、あんなん比べ物にならねえくらいに際どい格好したコスプレイヤーがぞろぞろ歩いてるんだぜ。年末のビッグサ〇トあたりでな」
「な……ッ? あ、あれ以上だと……?」
シュータの言葉に愕然とするギャレマス。
そんな彼にニヤニヤと笑いかけながら、シュータは「だからよ……」と言葉を継いだ。
「……別におかしくなんかないんだよ。あのふたりが、ちょおっとくらいエロい格好をしたってさ。むしろ、ピッチピチな今を逃したら、もうあんな姿は出来なくなっちゃうんだぜ。……そこらへんは、お前も男だったら解るだろ?」
「う……」
妙な説得力のあるシュータの言葉に、ギャレマスは思わず言葉に詰まる。
ギャレマスが揺らぎつつあるのを敏感に悟ったシュータは、ペロリと舌なめずりをすると、更に畳みかける。
「なあ……本当はアンタも見てみたいんだろう? 自分の娘はともかく……あの蒼髪の氷女の方とか、さ」
「う……っ」
「いつ見るの? 今でしょ!」
「うぅ……」
ギャレマスは、シュータの甘言に心だけでなく身体すらも前後に揺らしながら、激しく懊悩し始めるのだった。




