雷王と稲妻と憂慮
「ふぅ……」
背中の黒い翼を悠然とはためかせながら、漆黒の夜空に滞空していたギャレマスは、眼下のオーディション会場の様子を見下ろしながら安堵の息を吐いた。
「何とか、サリアがステージに上がる前にオーディションを中断する事ができたか……」
彼のいる高度からでは、密集した蟻かゴマのようにしか見えない観客たちが、悲鳴や怒号を上げながら会場の外へと逃げ惑う様を一瞥したギャレマスは、少し申し訳なさげな表情を浮かべる。
「……せっかく楽しんでいたところに水を差してしまって悪いが、お主ら人間族ごときにサリアとスウィッシュの半裸姿を見られたくは無かったのでな。赦せよ」
そう呟いた魔王は、自分が放った舞烙魔雷術が炸裂したあたりへ目を向けた。
彼が雷を落としたのは、ベルナー公園の開けた野原の一角だった。
幾条もの雷がひとつへと撚り合わさりながら地を穿つ舞烙魔雷術は、雷王ギャレマスの持つ雷系呪術の中でも見た目が派手な呪術のひとつである。
もちろん、見た目だけではなく、その威力も凄まじい。
撚り合わさった稲妻が炸裂した野原には巨大なクレーターが穿たれ、周囲の草木は帯電しながら激しい炎に包まれていた。
だが、その場所はオーディション会場からは少し離れており、直前に人影が無い事を確認した上で術を発動させたから、巻き込まれた人間族はいないはずだ。
「……ふぅ」
目を凝らしてクレーターの周囲を見回し、倒れている人影などが見当たらない事を確認したギャレマスは、安堵の息を吐く。
――と、
ギャレマスの脳裏に、宿屋『古龍の寝床亭』の主人・チョーケスや日帰り湯治場『良き湯だな』の支配人・トーチャなど、ここアヴァーシで出会った人々の顔が過ぎった。
「……人間族とはいえ、大半は悪い者たちではなかったからな。ひとかたならぬ世話になった者も居るし。あたら命を奪ったり、苦しませるのは忍びない……」
そう独り言つと、彼は再びオーディション会場の方へと目を戻す。
そして、ガランとしたステージを注視し、一人の男の姿を探した。
「……いた」
目当ての男は、ガランとしたステージの隅ですぐに見付けられた。
「シュータ……」
ステージの下へ身を乗り出して、そこにいる中年の男に何やら指示を出しているらしい勇者の姿を見付けたギャレマスは、少し上ずった声でその名を呟いた。
彼は苛立った表情で、大げさな身振りを交えながら叫んでいる。
――と、
「……ッ!」
突然、シュータが上空にいる自分の方を真っ直ぐに睨みつけたのを見たギャレマスは、思わず顔を引き攣らせ、慌てて身構えた。
……だが、シュータはそのままギャレマスの方へ襲いかかるような事はせず、引き続き中年男に向けて叫び続ける。
――どうやら、『あそこにいるのは、魔王ギャレマスだ!』と、中年男へ脅し交じりに伝えただけのようだ。
いきなりシュータが襲いかかってこなかった事に、魔王は安堵の息を吐くが、
「い、いかんいかんっ!」
ハッとすると、慌てて首を横に振った。
「な……何を安心しておるのだ、余は! 遅かれ早かれ、これからあやつと戦わなければならぬのに……」
そう。彼はこれから勇者シュータと死闘を演じなければならないのだ。
「――このアヴァーシに来た本来の目的である『空を見ろ! アレは鳥か? ドラゴンか? いいや、ク……ごほん! “エルフ解放作戦”の為に、な」
――突如アヴァーシに現れ、暴虐の限りを尽くそうとする魔王ギャレマスと、そんな“人間族の天敵”から街と人々を護る為に立ち上がった勇者シュータが派手に、そして激しく戦う事で、ニホハムーン州に駐屯する全軍の注意を引きつけ、逆にそれ以外に対して手薄になった隙を衝いて、メヒナ渓谷にある強制収容所に閉じ込められているエルフ族を、ヴァートスとファミィが誘導の元で収容所を脱出させる――。
それが、“エルフ族解放作戦”――正式名称『空を見ろ! アレは鳥か? ドラゴンか? いいや、クソ魔王だ! ~第一回・チキチキ! 最強最高の勇者シュータと愉快な仲間たちによるエルフ救出大作戦!』の骨子である。
――と、その時、
(あ……)
ギャレマスは、重要な事を思い出す。
(そ、そういえば……作戦の開始は、シュータの合図を待ってからだった……)
サーっと音を立てて、ギャレマスの顔から血の気が引いた。
(ま……マズい。サリアとスウィッシュの“びきにあーまー”姿を観衆とシュータに見せまいとするあまり、その事が頭からすっぽりと抜け落ちておった……)
シュータの指示を完全無視してしまった事に遅まきながら気付いたギャレマスは、たちまち口の中が渇くのを感じながら、恐る恐る眼下のシュータの方へ目を向ける。
「う……ッ!」
そして、シュータの足元に、禍々しい赤色をした魔法陣が輝き出すのを見て、思わず息を呑んだ。
「あ……あの魔法陣は確か、“反重力”……! しかも、あの魔法陣……相当怒っている時の色の濃さだ……!」
何度もシュータと戦って(一方的にボコボコにされて)いる内に、シュータが操る魔法陣の光の色と濃度が、彼の心理状態によって変わるという、シュータ自身も知らないであろう事に気付いたギャレマスだった。……そんな事を知ったところで、何の自慢にも得にもならないが。
シュータの魔法陣の色の濃さから、今の彼が激怒に近い感情を抱いている時のそれである事を悟ったギャレマスは震え上がる。
その怒りが、自分が合図を待たずに勝手に作戦を開始した事に起因しているであろう事は、火を見るよりも明らかだった。
「い……いかん!」
シュータの嚇怒を目の当たりにして、恐怖で一瞬気が遠くなるギャレマスだったが、ハッと我に返ると、激しく首を左右に振った。
「す、竦んでおる場合ではない! と、取り敢えず、奴の初撃に備えねば……!」
シュータは、この世界に留まり続ける為にギャレマスを殺す訳にはいかないはずだったが、今抱いている怒りを少しでも晴らそうと、彼をギリギリ殺さない程度の強力な攻撃を叩き込んでくる可能性は充分に考えられる。
殺される心配の無い攻撃だろうと、まともに食らえば十二分に痛いので、出来れば食らいたくない。
なので、ギャレマスは何とか初撃を躱そうと、周囲を警戒しながら身構えた。
――だが、
「……おや?」
突然、ギャレマスは訝しげな声を上げた。
おもむろにシュータが、一度展開した魔法陣を消したからだ。
「どうしたのだ? 攻撃を……止めた?」
シュータの奇妙な行動に、思わず首を傾げるギャレマス。
そして、彼が次にとる行動を見逃すまいと目を凝らす。
「……何を考え込んでおるのだ、あやつは?」
少しの間、顎に手を当てて考え込んでいる風だったシュータだったが、おもむろに大きく頷くのが見えた。
――そして、その場でクルリと踵を返す。
「な――?」
その動きを見て、ギャレマスは目を大きく見開いた。
「あ……あやつ、まさか……!」
彼の胸の中に、何とも嫌な予感が靄のように広がる。
そして、その嫌な予感は的中した。
――シュータが、舞台袖の方に向けてゆっくりと歩き出したからだ。
その軽やかな、今にもスキップすら踏み出しそうな足取りが、これから彼が何をしようと考えているのかを雄弁に語っていた。
ギャレマスは、カッと目を見開く。
「しゅ……シュータめ! さては……舞台裏へ行って、サリアとスウィッシュの“びきにあーまー”姿を覗きに行くつもりかッ!」
彼は、ギリギリと歯ぎしりをしながら、ついさっき見せていた怖気が嘘のように、正に“雷王”の名に相応しい、激しい怒気を露わにした表情で叫んだ。
「うぬぬ……そのような破廉恥な所業、やらはせん! 断じてやらせはせんぞおおおおおおおおっ!」




