勇者と聖女と狼獣人
「おーい! 居るかクソ魔お……じゃなくて、クソ牛獣人!」
そんなけたたましい叫び声と同時に、客室の扉が勢いよく開け放たれる。
空いた扉の向こうに立っていたのは、外套を身に纏った三人組だった。
真ん中に立つ黒髪の男は、扉を蹴破った勢いのまま、無遠慮に部屋の中へと足を踏み入れ、残りの二人もその後に続く。
黒髪の男は、その冴えない顔に薄笑みを浮かべながら、日当たりが悪く薄暗い部屋の中に向かって叫んだ。
「おーい! 中にいるのは分かってるんだ! 抵抗せずに出てきやがれ!」
「……別に抵抗するつもりなど無いんだが」
彼の呼びかけに応えるように、部屋の奥から辟易とした声が返って来る。
見ると、部屋の中央に置かれた粗末なテーブルの向こう側に、蒼髪の女を従えた牛面の男が座っていた。
牛面の男は、憮然とした様子で腕を組みながら、自室に乱入してきた三人組に向かって苦言を呈す。
「人間族の世界には、礼儀作法というものは無いのか? 人の居室を訪れた時には、まずノックをして、おとなしく扉を開くのを待つのがマナーだろうが」
「ノックならしただろうが。とびきりデカいノックをな」
「扉を蹴破る事をノックとは言わんわ!」
涼しい顔で言ってのける黒髪の男に、思わず声を荒げる牛獣人。
そんな彼の事をギロリと睨みつけながら、男は言い返す。
「いちいちうるせえな。大昔のドッキリ番組みたいに、目覚ましバズーカを実弾入りで食らわしてやっても良かったんだぜ。ドアを蹴破るだけで済ましてやったんだから、むしろ感謝してほしいところだぜ」
「な……何で、自室のドアを壊された余がお主に感謝せねばならんのだ、シュータよ!」
傲岸不遜な男――勇者シュータの言葉に、呆れ半分でツッコむ牛獣人。
シュータは、牛獣人の言葉に不機嫌そうに眉をしかめた。
「うるせえな。たかがドアの一枚くらいでガタガタ言ってんじゃねえよ。そんなんでも、一国を統べる魔王だろうが、テメエは」
「いや、ここは余の居城ではなくて、宿屋なのだ。ドアが壊れた事がバレたら、余がここの主人に叱られてしまう……」
「……だから、何で一国の魔王ともあろう者が、しけた宿屋の扉一枚壊した程度の事を気にしてるんだよ」
「いや! お主、何しれっと余が扉を壊した事にしておるのだ! そもそも、扉を蹴破ったのは貴様なのだからな!」
「ちっ、うっせーな」
牛獣人の抗議に、シュータは舌打ちし、小声で毒づく。
そして、明後日の方向に視線を向けながら、
「……反省してまーす」
と、全く心の籠もっていない反省の弁を述べてみせた。
そして、すぐに視線を戻して牛獣人の顔を一瞥すると、その顔面を指さす。
「……つうか、いつまでそんな暑苦しい面を被ってるんだよ。ここには俺たちしか居ねえんだから、もう被ってる必要もねえだろうが」
「……ま、まあ、確かに……」
「ホレ、分かったらサッサと外せや」
「……」
シュータに促され、牛獣人は憮然とした様子で自分の首に手をかけ、そのままするりと牛頭の覆面を脱いだ。
覆面の下から現れたのは、黒い口髭を蓄えた壮年の男の顔。彼が人間族では無い事は、その側頭部からにょっきりと生えた二本の白い角からも明らかだ。
「「――ッ!」」
彼の顔を見た瞬間、シュータの後ろに立っていたふたりが動揺を見せる。
「ま……魔王ギャレマス……!」
「正直、シュータ殿の話を聞いても半信半疑でしたけど……魔族の王が、本当にアヴァーシに居るなんて……」
ふたりは驚きで、フードの下の目を大きく見開いた。
と、その時、
「……陛下が顔をお見せになったのだから、あなたたちも被っているものを脱いだらどうかしら?」
魔王ギャレマスの後ろに控えていた蒼髪の魔族の女――スウィッシュが、不機嫌を極めた渋い顔で、ぶっきらぼうに言う。
「あ、そりゃそうだね。ごめんごめん」
ふたりの内のひとりは、スウィッシュの言葉に素直に従い、軽く謝りながらフードを脱いだ。
ショートボブの銀髪と、その間からピンと上に突き立った狼のような三角耳が、フードの下からぴょこりと顔を出す。
彼女――“伝説の四勇士”のひとりである魔法騎士ジェレミィアは、ギャレマスとスウィッシュに人懐っこい笑顔を見せた。
「この前は敵だったけど、今回は味方って事みたいだね。って事でよろしくね、魔王さんとお付きの人!」
「お……おう」
「あ……ど、どうも。こちらこそ……よろしく……」
ジェレミィアの気安い態度に、逆に戸惑いを覚え、毒気を抜かれた顔で会釈を返すギャレマスとスウィッシュ。
一方、その隣で、被っていたフードを脱ぎ、乱れた翠髪を手で丁寧に梳いている人間族の女――聖女エラルティスは、その翡翠色の瞳にあからさまな嫌悪と侮蔑を込めて、スウィッシュの事を睨めつける。
「……相変わらず、子犬みたいにうるさいですわねぇ、このちっぱい娘は」
「……あ゛ぁッ? 何か言ったか、そこの破戒聖女ッ?」
冷笑を浮かべながら、わざとらしく呟いたエラルティスの一言に、スウィッシュの目は吊り上がった。
みるみるうちに憤怒で顔面を真っ赤に染めたスウィッシュを前に、エラルティスはわざとらしく肩を竦め、嫌味たらしい声で言う。
「あらぁ、聞こえちゃいましたぁ?」
「白々しい! 『聞こえちゃいましたぁ?』じゃないわよ! 明らかに、あたしに聞こえるように言ったでしょうが、この性悪女!」
「おほほ、ごめんなさいねぇ、ちょおっと言葉が悪かったかしら? じゃあ、言い直しますわ」
エラルティスは、ヘラヘラと笑いながら首を傾げ、更に言葉を継いだ。
「ギャーギャーと盛りのついた猫みたいに元気でお可愛いこと。胸の方はめっぽう大人しいのに……ってね」
「誰の胸が大凪ぎの時のアコォース湾みたいに平坦だってえええええぇッ!」
エラルティスの挑発にまんまと乗せられたスウィッシュは、その紫瞳を飛び出さんばかりに見開きながら絶叫する。
そして、清浄さの象徴である青白色の神官服の胸部を淫靡に盛り上げている、エラルティスの豊満な双丘を指さして怒鳴った。
「何よ! アンタこそ、育ち過ぎて腐り落ちる寸前のヘチマみたいな胸のくせに! デカきゃいいってもんじゃないのよッ、このデカ乳……いえ! バカ乳駄聖女がぁッ!」
「ば……バカ乳……駄聖女ォっ?」
スウィッシュの罵倒に、エラルティスは目を剥いた。
「「ぐぬぬ……」」
ふたりは、激しい怒りでギラギラと輝く目で睨み合い、
「「殺すッ!」」
と同時に叫ぶや、空中に互いの最大必殺術の印を書き始める。
「待てっ! お、落ち着くのだ、スウィッシュ!」
「ちょっ、エラリィッ! 止めなってば!」
ギャレマスとジェレミィアは、狭い部屋で今にも殺し合いを始めようとするふたりの事を羽交い絞めにして、すんでのところで押し止めるのだった。




